古文対策問題 005(土佐日記「海賊の恐れ」)
【本文】
二十七日。今日、風雲のけしきはなはだ悪し。뱃人みな騒ぎて、「これ、海賊の舟にあらずや。」と言ふ。あやふきこと、いと恐ろし。
これを聞きて、筆硯も取りあへず、我は女なれば、ただ手をすりて、神仏を祈り申す。「『わたつみの神、この度は舟の財物奉らむ。命ばかりは助け給へ。』と、人々皆言ふめり。」とぞ、뱃人ども言ふなる。これを聞きて、ある人の言はく、「『はやうまに乗せて奉らむ。』と言ふなるは、この神のことか。」とぞ言ふ。
かく騒ぐうちに、この海賊、すでに追ひかけたりと思へば、我は女なれば、念じて射殺されむ、と思ひて、ただわななくわななく、うちにゐたるに、뱃の長言ふやう、「この舟、海賊にあらず。我らが御船の、行きあひたるなり。」と言ふにぞ、からくして、人々、胸うちなでつ。
かかれば、この二十七日の日の、風波の荒かりし時に、住吉の神に祈りて詠める歌。
わがたつそまに ゐてこし舟は 住の江の 松こそきかめ 神のまにまに
【現代語訳】
二十七日。今日、風と雲の様子がたいそう悪い。船頭たちは皆大騒ぎして、「これは、海賊の舟ではないか」と言う。危険なことで、たいそう恐ろしい。
これを聞いて、(日記の筆者である私は)筆と硯を手に取る余裕もなく、私は女なので、ただ手をこすり合わせて、神仏にお祈り申し上げる。「『海の神様、この度は舟の積み荷を差し上げましょう。命だけはお助けください』と、人々は皆言っているようです」と、船頭たちが言っているようだ。これを聞いて、ある人が言うには、「(よく神様へのお願いで)『(願いを叶えてくれたらお礼の品を)早馬に乗せてお供えしましょう』と言うそうだが、この海の神様のことだろうか」と言う。
このように騒いでいるうちに、この海賊は、すでに追いかけてきたかと思うと、私は女なので、(抵抗せず)覚悟して射殺されよう、と思って、ただぶるぶると震えながら、船室の中に座っていると、船の長が言うには、「この舟は、海賊ではない。我々の(味方の)お船で、たまたま出会ったのだ」と言うので、やっとのことで、人々は胸をなでおろした。
そういうわけで、この二十七日の日の、風と波が荒かった時に、住吉の神に祈って詠んだ歌。
(私が旅立ってきた土佐のそま山から切り出して造ったこの舟は、住吉の神様のお導きを期待しております。住吉の松が聞き入れてくれるでしょう、神様のお心のままに。)
【覚えておきたい知識】
文学史・古文常識:
- 作者:紀貫之(きのつらゆき)。平安前期の歌人。『古今和歌集』の撰者の一人。
- 作品:『土佐日記』は、作者が土佐国守の任を終え、京へ帰る船旅を記した日記。男性である貫之が、意図的に女性の筆者に仮託して、ひらがな(仮名文字)で書いた日本初の日記文学として非常に重要。
重要古語:
- けしき(気色):様子、兆候、機嫌。
- 取りあへず:(〜する)余裕もなく、すぐに。
- 〜めり:推定の助動詞。「〜のようだ」と訳す。視覚情報に基づく推定。
- 〜なる:伝聞・推定の助動詞。「〜だそうだ」「〜のようだ」と訳す。聴覚情報に基づく推定。
- からくして(辛くして):やっとのことで、かろうじて。
【設問】
【問1】傍線部「はやうまに乗せて奉らむ。」とは、どういうことを言っているのか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 海の神様を早馬に乗せて、都までお送り申し上げよう。
- 海賊を捕らえたら、早馬に乗せて都の役人に引き渡そう。
- 願いが叶ったら、お礼の品を急いで馬で運んでお供えしよう。
- この危険な状況を、早馬の使いを出して都にいる家族に知らせよう。
- 舟を捨てて、近くの陸地から早馬で都へ向かおう。
【問1 正解と解説】
正解:3
「はやうまに乗せて奉る」は、神仏に祈願する際の常套句の一つ。願いを叶えてもらった際の返礼として、「お礼の品を急いで(=早馬で)お供えします」と約束する表現である。文脈上、海の神への祈りの中で出てくる言葉であり、お礼の約束と解釈するのが最も自然である。
【問2】筆者が「我は女なれば、念じて射殺されむ」と思っているが、この時の心情の説明として最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 自分は非力な女だから、抵抗しても無駄だと諦め、運命を受け入れようとしている。
- 自分だけは女だから特別に助けてもらえるだろうと、神仏に強く念じている。
- 男性であれば戦って死ねるのに、女はなすすべもなく殺されるだけだと嘆いている。
- 男性である自分が女性のふりをしている状況で、冷静に「女ならこうするだろう」と客観的に描写している。
- あまりの恐怖に錯乱し、自分は女だと思い込んでしまっている。
【問2 正解と解説】
正解:4
『土佐日記』の最大の特徴は、作者・紀貫之(男性)が女性のふりをして書いている点にある。この一文は、パニック状況下にもかかわらず、「(自分は)女だから、(男のように戦ったりせず)覚悟して射殺されよう」と、あたかも他人事のように分析的に記述している。作者が設定した「女性筆者」という立場を貫き、状況を客観的に描写する、貫之の冷静さとユーモアが垣間見える表現である。諦め(選択肢1)や嘆き(選択肢3)の感情がないわけではないが、この作品の特性を考えると、作者の創作態度そのものを指摘した選択肢4が最も深い理解と言える。
【問3】最後の和歌「わがたつそまに…」について、どのような思いが込められているか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 土佐で切り出した木で造った舟は粗末なので、神のご加護がなければ沈んでしまうという不安。
- この舟が無事に都へ着くかどうかは、有名な住吉の松が聞き届けてくれる神の御心次第であるという祈り。
- 都を離れて土佐にいたことを後悔しており、神の力で一刻も早く都に戻りたいという焦り。
- 土佐のそま山も住吉の松も神聖なものであるから、この舟は絶対に安全であるという確信。
- 住吉の神よ、もし願いを聞き入れてくれないなら、松を切り倒して舟にしてしまうぞという脅し。
【問3 正解と解説】
正解:2
この歌は、舟の由来(土佐のそま山)と、舟の安全を祈る対象(住吉の神)を結びつけている。「そま」は舟の材料となる木材を切り出す山のこと。「住の江の松」の「松」には、植物の「松」と、神の帰りを「待つ」が掛詞(かけことば)になっているとされる。「住吉の神が(願いを)聞き入れてくださるだろう、神の御心のままに(航海の安全をお任せします)」という、神への全面的な信頼と切実な祈りが込められている。選択肢2がこの解釈に最も近い。