古文対策問題 049(風来山人伝「先生の行状」)
【本文】
先生、姓は平賀、名は源内、字は子彝、風来山人と号す。…(中略)…
先生、人に語りて曰く、「われ、天下に、三つの懼るる物あり。世辞と、饅頭と、さん・に・いちの算なり。世辞は、人の心の、実ならぬをいふ。饅頭は、その餡の、砂糖か、塩か、知れぬをいふ。さん・に・いちの算は、天下一の無理算用なり。されば、世辞をいふ者に、真実なく、饅頭に、甘からぬなく、さん・に・いちの算に、金を取られぬ事なし。」と。
また、人の、先生が、貧にして、常に、米に窮するを、あざけりて、「米なくして、いかでか、年は越えむとする。」と言ふに、先生、笑ひて、「われは、餅を搗きて、年を越えむ。餅は、米の粉にあらずや。」と。その、機知、頓才、かくの如し。
【現代語訳】
先生は、姓は平賀、名は源内、字は子彝(しき)、風来山人(ふうらいさんじん)と号した。…(中略)…
先生が、人に語って言うには、「私は、天下に、三つ恐れるものがある。お世辞と、饅頭と、『三に一の算』である。お世辞は、人の心が、誠実でないことを言う。饅頭は、その餡が、砂糖か、塩か、わからないことを言う。『三に一の算』は、天下第一の無茶な計算である。だから、お世辞を言う者に、真実はなく、饅頭に、甘くないものはなく、『三に一の算』で、金を取られないことはない」と。
また、ある人が、先生が、貧乏で、常に、米に困っているのを、あざけって、「米がなくて、どうやって、年を越そうとするのか」と言うと、先生は、笑って、「私は、餅をついて、年を越そうと思う。餅は、米の粉ではないか」と。その、機知や、とっさの才気は、このようであった。
【覚えておきたい知識】
文学史・古文常識:
- 作者:平賀源内(ひらがげんない)。江戸時代中期の学者(本草学者、蘭学者)、発明家、作家、画家など、多方面で活躍した天才。
- 作品:『風来山人伝(ふうらいさんじんでん)』は、源内が自身の経歴や人物像を、三人称を用いて、戯作的に、半ばフィクションとして描いた自伝的作品。「風来山人」は源内のペンネーム。
- 戯作(げさく):江戸時代中期以降に流行した、娯楽的・通俗的な読み物の総称。滑稽本、洒落本、黄表紙など、様々なジャンルを含む。
- 三に一の算:「三両の元手で一両の利益」という意味で、当時としては非常に高い利息(年利33.3%)の金貸しのこと。
重要古語・語句:
- 号す(がうす):号(ペンネームなど)を名乗る。
- 懼る(おそる):恐れる。
- 世辞(せじ):お世辞、おべっか。
- 算(さん):計算。
- 無理算用(むりさんよう):無茶な計算、法外な請求。
- 窮す(きゅうす):困窮する、行き詰まる。
- いかでか~む(反語):どうして~だろうか、いや、~ない。
- 機知(きち)・頓才(とんさい):その場に応じて、気の利いた対応ができる、頭の回転の速さ。
【設問】
【問1】平賀源内が「懼るる物」として挙げた、「世辞」「饅頭」「さん・に・いちの算」に共通する、彼が警戒している性質は何か。最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 高価で、庶民にはなかなか手が出せないという性質。
- 一見すると良さそうに見えて、その内実が怪しい、あるいは裏があるという性質。
- 伝統や格式を重んじる、古い時代の遺物であるという性質。
- 当時の江戸で、大流行していたが、中身が伴わないという性質。
- 口当たりは良いが、食べ過ぎると健康を害するという性質。
【問1 正解と解説】
正解:2
源内が挙げる三つのものは、すべて「表と裏」がある点で共通しています。「世辞」は、表向きは心地よい言葉ですが、裏には真実の心がありません。「饅頭」は、甘いもののはずなのに、塩が入っているかもしれないという、裏切り(=食えないもの)の可能性があります。「三に一の算」は、一見便利な金貸しに見えて、裏では法外な利息を取る、という罠があります。このことから、源内が警戒しているのは、物事の表面的な姿と、その内実が異なる、信用できないもの全般であることがわかります。
【問2】貧乏をあざけられた源内が、「われは、餅を搗きて、年を越えむ。餅は、米の粉にあらずや」と返した。この言葉の真意として、最も的確なものはどれか。
- 米はないが、餅米ならたくさんあるのだという、事実の説明。
- 米も餅も同じ米からできているのだから、言葉遊びで相手を煙に巻こうとする、ごまかし。
- 米(=給料)はないが、餅(=臨時収入)のあてがあるのだという、比喩的な表現。
- 「米がない」という直接的な表現を、「餅をつく」という間接的な表現に言い換える、言葉遊び(とんち)。
- 米を買う金はないが、人から餅をもらう約束があるのだという、他力本願な態度。
【問2 正解と解説】
正解:4
これは、源内の機知・頓才を示す逸話です。相手は「米がないのに、どうやって年を越すのか」と、現実的な問題(食糧)を指摘して、彼を困らせようとします。それに対し、源内は「餅をつく」と答えます。年越しには餅がつきものですが、餅の原料は米です。しかし、彼はとっさに「餅は米の粉ではないか」と、言葉の上での理屈をつけて返します。これは、相手の意地の悪い質問を、正面から受け止めずに、「とんち」ではぐらかし、笑いに変えてしまう、彼の頭の回転の速さを示しています。
【問3】この文章は、平賀源内が「風来山人」というペンネームで、自分自身のことを三人称で書いたものである。この自伝の書き方には、どのような効果があるか。
- 自分を客観的な視点から描くことで、自身の才能や行状を、自慢らしくなく、面白おかしく読者に伝える効果。
- 自分の本当の身分を隠し、架空の人物であるかのように見せかけることで、幕府からの追及を逃れる効果。
- 自分を歴史上の偉大な人物であるかのように描くことで、自身の権威を高めようとする効果。
- 自分の内面的な苦悩や葛藤を、他人事のように描くことで、読者の同情を誘う効果。
- 自分の功績を、第三者の視点から、より正確で、信頼性の高い記録として残そうとする効果。
【問3 正解と解説】
正解:1
もし源内が、「私は、こんなに機知に富んだ人間である」と一人称で書いたならば、それはただの鼻持ちならない自慢話になってしまいます。しかし、あえて「先生」という三人称を用い、まるで他人が自分の言行を観察して記録したかのような形式(伝記形式)をとることで、自画自賛のいやらしさを消し去り、自分自身を一つのキャラクターとして、客観的に、面白おかしく描き出すことに成功しています。これは、読者に自身の非凡さを、嫌味なく、エンターテイメントとして楽しんでもらうための、戯作者らしい、計算された手法です。