古文対策問題 050(にひまなび「歌の姿」)

【本文】

歌は、姿を先とすべし、と言ふめれど、そは、あらず。心をこそ、先とはすべきなり。
たとへば、よき馬を、金銀もて、美々しく飾りて、これを、能く乗りこなす人なくば、ただ、いたづらに、倒れ伏すのみ。これ、姿はあれども、心なければなり。
また、賤しき馬なれども、乗りて、能く使ふ時は、千里の道も、行き着くべし。これ、姿は、劣りたれども、心ある故なり。
されば、歌も、ただ、言葉を飾り、調べを美しくせむとて、まことの心なくば、人の耳を悦ばしむるのみにて、感ずる事は、あるべからず。詞、拙くとも、心、深く、まことあらば、姿は、おのづから、これに従ふものなり。

【現代語訳】

和歌は、姿(=形式・言葉)を第一とすべきである、と言うようだが、それは、違う。心(=内容・感情)こそを、第一とすべきなのである。
たとえば、良い馬を、金や銀で、美しく飾っても、これを、上手に乗りこなす人がいなければ、ただ、いたずらに、倒れ伏してしまうだけだ。これは、姿(=外見)はあるけれども、心(=乗りこなす精神・技術)がないからである。
また、粗末な馬であっても、乗って、上手に使う時は、千里の道も、行き着くことができるだろう。これは、姿(=外見)は、劣っているけれども、心(=乗りこなす精神・技術)があるからである。
だから、和歌も、ただ、言葉を飾り、リズムを美しくしようとして、本当の心がなければ、人の耳を楽しませるだけで、感動させることは、あり得ない。言葉が、つたなくても、心が、深く、真実であれば、姿(=形式)は、自然と、これに従うものである。

【覚えておきたい知識】

文学史・古文常識:

  • 作者:賀茂真淵(かものまぶち)。江戸時代中期の国学者、歌人。本居宣長の師としても知られる。
  • 作品:『にひまなび』は、真淵が和歌の初学者に向けて、その心得を説いた歌論書。「にひまなび」とは「新学び」、つまり新しい学び、初歩の学びを意味する。
  • 国学(こくがく):江戸時代中期に興った、日本の古典(『古事記』『万葉集』など)を研究し、儒教や仏教が伝来する以前の日本古来の精神を明らかにしようとした学問。
  • ますらをぶり:真淵が理想とした、『万葉集』に見られる、素朴で、力強く、おおらかな歌風のこと。技巧的になった中古以降の和歌を批判した。

重要古語・語句:

  • 姿(すがた):和歌の形式、言葉遣い、体裁。
  • 心(こころ):和歌の内容、込められた感情、精神。
  • ~めれど:~ようだが、~と見えるが。
  • 専一(せんいつ):最も大切なこと。
  • 賤しき(いやしき):身分が低い、粗末だ。
  • 調べ(しらべ):リズム、音調。
  • おのづから(自ら):自然と、ひとりでに。

【設問】

【問1】筆者は、和歌における「心」と「姿」の関係を、「馬と乗り手」にたとえている。このたとえにおいて、「心」と「姿」は、それぞれ何に対応しているか。最も適当な組み合わせを次の中から一つ選べ。

  1. 心=馬、姿=乗り手
  2. 心=乗り手、姿=馬
  3. 心=馬、姿=馬具の飾り
  4. 心=乗り手、姿=馬具の飾り
  5. 心=道のり、姿=馬
【問1 正解と解説】

正解:2

筆者は、「姿はあれども、心なければなり」「姿は、劣りたれども、心ある故なり」と述べています。良い馬(姿)も、乗りこなす人(心)がいなければ倒れるだけ。粗末な馬(姿)でも、優れた乗り手(心)がいれば千里を行く。この対比から、「姿」が馬そのものやその飾りといった外的な要素、「心」がそれを動かす乗り手の精神や技術といった内的な要素に対応していることがわかります。

【問2】筆者が、良い和歌の条件として、最も重要だと考えていることは何か。最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 美しく飾られた言葉と、流れるような美しいリズム。
  2. 多くの人が共感できる、普遍的なテーマ。
  3. 作者の、深く、偽りのない真実の感情。
  4. 『万葉集』のような、古代の力強い歌風の模倣。
  5. たとえ話のような、分かりやすい表現技法。
【問2 正解と解説】

正解:3

筆者は冒頭で「心をこそ、先とはすべきなり」と明確に主張し、結論として「詞、拙くとも、心、深く、まことあらば」と、言葉がつたなくても、心が深く真実であることが重要だと述べています。彼の主張の核心は、小手先の技術や言葉の美しさではなく、歌の根源となる、作者の真実の心(まことの心)にこそ、最も重要な価値がある、という点にあります。

【問3】この文章に示された賀茂真淵の歌論は、以前学習した鴨長明の『無名抄』の議論と、どのような点で共通しているか。

  1. どちらも、和歌はまず第一に、調べの美しさを追求すべきだと主張している。
  2. どちらも、近ごろの歌は内容が薄く、昔の歌の方が優れているという、懐古的な視点を持っている。
  3. どちらも、和歌を詠む上で、優れた師の教えに従うことが最も重要だと主張している。
  4. どちらも、和歌の理想として、『古今和歌集』の優美な歌風を挙げている。
  5. どちらも、良い歌とは何かという議論は無意味であり、ただ多く詠むべきだと主張している。
【問3 正解と解説】

正解:2

『無名抄』で鴨長明は、「今の世の歌は、詞をのみ先として、情の乏しき歌のみ多し。昔の歌は、詞、拙く聞こゆれども、情、深く、哀れなり」と述べていました。今回の賀茂真淵も、「ただ、言葉を飾り、調べを美しくせむとて、まことの心なくば…」と、同時代の歌が技巧に走り、心が伴っていない風潮を批判しています。このように、両者ともに、自分たちの時代の和歌が形式主義に陥っていることを嘆き、より内容(心・情)が豊かであった「昔の歌」に理想を見出すという、共通した懐古的な視点を持っています。

レベル:難関大レベル|更新:2025-07-24|問題番号:050