古文対策問題 046(方丈記「方丈の庵」)
【本文】
(都の天災や人災を見てきた作者が、日野山に結んだ庵について語る場面)
わが身、齢に添ひて、栖、狭し。…(中略)…
大きさは、わづかに、方丈、高さは、七尺がうちなり。所を思ひ定めざるが故に、地を占めて、造らず。土台をすゑて、屋を覆へり。もし、心にかなはぬことあらば、やすく、よそへ移さむがためなり。その、家を造るに、いくばくの煩ひかある。
今、この庵は、わづかに、車二両に積むばかりなり。車の力を煩はすほかは、更に、他の用途いらず。
もし、もの憂くおぼえなば、この庵を、かたはらに建ておきて、しばらく、都に出でて、乞食す。これを、恥づとも思はず。食ひ物なければ、木の実を拾ひ、草の穂を摘む。
【現代語訳】
(都の天災や人災を見てきた作者が、日野山に結んだ庵について語る場面)
私の身は、年齢を重ねるにつれて、住まいが、狭くなっていく。…(中略)…
(庵の)大きさは、わずかに、一丈(約3メートル)四方で、高さは、七尺(約2.1メートル)以内である。特定の場所に住むと決めていないので、土地を所有して、本格的に建てたわけではない。土台を据えて、その上に(仮の)家を覆っただけだ。もし、心に合わないことがあれば、簡単に、他の場所へ移せるようにするためである。その、家を造るのに、どれほどの面倒があることか。
今、この庵は、わずかに、牛車二台に積めるだけの資材である。車を引く手間以外には、全く、他の費用はいらない。
もし、(庵での暮らしが)嫌になったならば、この庵は、そのまま建てておいて、しばらく、都に出て、乞食をする。これを、恥だとも思わない。食べ物がなければ、木の実を拾い、草の穂を摘む。
【覚えておきたい知識】
文学史・古文常識:
- 作者:鴨長明(かものちょうめい)。鎌倉時代初期の歌人・文人。
- 作品:『方丈記』は、作者が体験した都の災害や、自身の出家・隠棲の生活を記した随筆(隠者文学)。
- 方丈(ほうじょう):一丈四方の広さのこと。元は、仏教の僧が住む小さな部屋を指した。長明の庵の名であり、作品名の由来ともなった。
- 無常観:この作品では、災害で簡単に失われてしまう「都の大きな家」と、簡単に移動できる「方丈の庵」とを対比することで、執着を捨てることの重要性という、仏教的な無常観が表現されている。
重要古語:
- 齢(よはひ):年齢。
- 栖(すみか):住まい、住居。
- 地を占む(ちをしむ):土地を所有する。
- 煩ひ(わづらひ):面倒、手間。
- 用途(ようど):費用、経費。
- もの憂し:気が進まない、嫌だ。
- 乞食(かたゐ):食べ物を乞うこと、乞食。
【設問】
【問1】作者が、この「方丈の庵」を、土地を所有せずに、簡単に移動できるように建てた最大の理由は何か。最も適 当なものを次の中から一つ選べ。
- 経済的に貧しく、立派な家を建てるだけの資材がなかったから。
- いつか都へ帰るつもりで、あくまで仮の住まいだと考えていたから。
- 一つの場所に執着せず、いつでも自由に移動できる身軽さを求めたから。
- 幕府からの追手を逃れるため、常に住居を転々とする必要があったから。
- 様々な場所に庵を建てて、景色が良い場所を探し求めていたから。
【問1 正解と解説】
正解:3
作者は、庵を簡単に移せる理由を「もし、心にかなはぬことあらば、やすく、よそへ移さむがためなり」と説明しています。これは、特定の場所や所有物に対する「執着」から解放されたいという、彼の思想の表れです。都で、大きな家や財産が災害や戦乱であっけなく失われる様を見てきた長明にとって、執着こそが苦しみの根源でした。そのため、いつでも捨て、移動できる「方丈の庵」は、彼の理想とする生き方を体現した住まいなのです。
【問2】この庵での生活について、作者が最も価値を置いている点は何か。最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 都の喧騒から離れた、静かで穏やかな環境。
- 家を建てる手間や費用がほとんどかからない、経済的な効率性。
- 誰にも干渉されず、自分の好きなように暮らせる、精神的な自由。
- 自然の恵みだけで十分に生活できる、究極の自給自足。
- 都の暮らしへの執着を断ち切るための、厳しい修行の場。 ol>
- 長明は、庵を俗世から完全に隔絶された空間と考えるが、徒然草の庵主は、人との交流を求めている。
- 長明は、庵の実用性や合理性を重視するが、徒然草の庵主は、庵の持つ風流や趣を重視している。
- 長明は、庵での厳しい修行生活を理想とするが、徒然草の庵主は、庵での快適な生活を理想としている。
- 長明は、庵を永住の地と考えているが、徒然草の庵主は、庵を仮の住まいと考えている。
- 長明は、庵を自慢の対象と考えるが、徒然草の庵主は、庵をひたすら隠そうとしている。
【問2 正解と解説】
正解:2
この部分で作者が強調しているのは、庵の「簡便さ」です。彼は、「家を造るに、いくばくの煩ひかある」と、大きな家を建てることの面倒さをまず指摘します。それに対し、自分の庵は「わづかに、車二両に積むばかりなり」「他の用途いらず」と、手間も費用もかからない点を誇らしげに語ります。これは、住居にかかる労力や費用といった現実的な負担を最小限にすること、その経済性・効率性に大きな価値を見出していることを示しています。
【問3】作者・鴨長明が庵に求めるものと、以前学習した『徒然草』「神無月のころ」の庵主の美意識との違いとして、最も的確なものはどれか。
【問3 正解と解説】
正解:2
『徒然草』の庵主は、「閼伽棚に、菊、紅葉など折り散らし」「木の葉をうち敷きて」もてなすなど、その暮らしの中に、さりげない美しさや風情(風流・趣)を演出することに心を配っていました。一方、この『方丈記』の長明が庵について語る言葉は、「車二両に積む」「他の用途いらず」など、極めて実用的・合理的です。彼は、庵を、美的な鑑賞の対象としてではなく、執着から逃れるための、機能的な「装置」として捉えています。この、美意識よりも合理性を重視する点が、二人の隠者の大きな違いと言えます。