古文対策問題 045(西行物語「西行と子供」)
【本文】
さて、西行、二十三にて、いづくにも、心置かず、思ひ立ちて、出家しけり。
その日、家に帰りて、指櫛を取りて、髻を切りて、捨てけるを、幼き娘、四つばかりなるが、あやしと思ひて、父のしわざを見れば、常にも似ず、涙を流して、母の前に、走り寄りて、父の櫛を、取りて、母に見せて、「これ、父君の御櫛なり。」と言ふ。
西行、これを見て、心、動きけれど、さすがに、道心、深くして、「今は、世を厭ひ、身を捨つるぞ。」とて、蔀のうちへ、入りにけり。娘、いとほしく、あはれに思ひて、その櫛を、形見とて、母の許に、置きたりけるとかや。
その後、西行、娘の事を、思ひ出でて、詠める歌、
あはれとは 見る人ごとに 言はれなむ 花と散りぬる 身を知る人やは
【現代語訳】
さて、西行は、二十三歳で、どこにも、未練を残さず、決心して、出家した。
その日、家に帰って、指櫛(さしぐし)を取って、髻(もとどり=結った髪)を自分で切り落として、捨てたのを、幼い娘が、四歳くらいであったが、不思議に思って、父のしていることを見ると、いつもの様子と違って、(父が)涙を流しているので、母の前に、走り寄って、父の櫛を、拾って、母に見せて、「これ、お父様の御櫛です」と言う。
西行は、これを見て、心が、揺れ動いたけれど、そうは言うものの、仏道への思いが、深かったので、「今はもう、俗世を厭い、我が身を捨てるのだ」と言って、蔀(しとみ)の内側へ、入ってしまった。娘は、(父を)気の毒に、不憫に思って、その櫛を、形見として、母のもとに、置いていたとかいうことだ。
その後、西行は、娘のことを、思い出して、詠んだ歌、
((私のことを)「かわいそうなことだ」と、見る人ごとに、言われるだろうなあ。(しかし、私が、仏道という)花と咲いて(悟りを得て)散っていく(=死んでいく)身の上であることを、本当に知っている人がいるだろうか、いや、いないだろう)
【覚えておきたい知識】
文学史・古文常識:
- 作品:『西行物語』は、鎌倉時代に成立した、歌人・西行の生涯を描いた伝記物語。西行の和歌をちりばめながら、その出家や漂泊の人生を物語る、歌物語の一種。
- 出家:俗世との縁を断ち、仏道に入ること。家族、財産、官位など、すべてを捨てることを意味する。髻(もとどり)を切ることは、その象徴的な儀式であった。
- 西行の出家:西行(俗名:佐藤義清)は、鳥羽院に仕える将来有望なエリート武士であったが、若くして妻子を捨てて出家した。その劇的な人生は、多くの伝説を生んだ。
重要古語:
- 心置く:気兼ねする、未練を残す。
- 髻(もとどり):成人男性が頭上で束ねた髪。
- しわざ(仕業):していること、行為。
- さすがに:そうは言うもののやはり。
- 道心(どうしん):仏道を求める心。
- 厭ふ(いとふ):嫌って避ける。
- 蔀(しとみ):格子状の戸。上下または内外に開閉する。
- 形見(かたみ):亡き人や別れた人を思い出すための品。
- ~とかや:~とかいうことだ。伝聞を表す。
【設問】
【問1】出家を決意した西行が、髻を切っている際に「涙を流して」いたのはなぜか。その心情として最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 自分の髪が、あまりに美しく、それを失うのが惜しかったから。
- これから始まる、厳しい仏道修行への不安に、心が押しつぶされそうになったから。
- 俗世への未練は全くないが、出家という行為の荘厳さに、心が感動したから。
- 出家するという強い決意とは裏腹に、残していく家族への愛情や憐れみを断ち切れずにいたから。
- 自分の出家が、主君である鳥羽院への裏切りになるのではないかと、罪悪感を感じていたから。
【問1 正解と解説】
正解:4
西行は「いづくにも、心置かず、思ひ立ちて、出家しけり」と、未練なく決意したと書かれています。しかし、実際に髻を切る段になって、涙を流しています。そして、幼い娘の無邪気な行動を見て、「心、動き」ます。これらの描写は、彼の決意が固い一方で、人間として、夫として、父として、残していく家族への断ち切れない愛情や憐れみの情が、涙となってあふれ出ていることを示しています。
【問2】西行は、娘の行動に「心、動きけれど」、最終的に「今は、世を厭ひ、身を捨つるぞ」と言って、蔀の内側へ入ってしまった。この一連の行動が示す、彼の心の葛藤として最も的確なものはどれか。
- 出家したいという気持ちと、武士として成功したいという気持ちとの間の葛藤。
- 仏道への強い憧れと、愛する家族を捨て去ることへの人間的な苦悩との間の葛藤。
- 家族を養っていかねばならないという責任感と、自由な旅に出たいという願望との間の葛藤。
- 世間の人々から賞賛されたいという名誉欲と、それを否定する仏の教えとの間の葛藤。
- このまま出家すべきか、もう少し俗世に留まるべきかという、時期をめぐる葛藤。
【問2 正解と解説】
正解:2
この場面は、西行の心の葛藤を象徴的に描いています。幼い娘の健気な姿は、彼を俗世に引き戻そうとする「家族愛」の象徴です。それに対して、彼は「心、動き」ながらも、最終的には「道心、深くして」、その愛を振り切り、仏道の世界(蔀のうち)へと入っていきます。つまり、彼の心の中では、「仏道を求める強い意志」と、「家族を愛する人間的な情」とが、激しくせめぎ合っていたのです。
【問3】最後の和歌「あはれとは…」について、作者・西行がこの歌に込めた、出家者としての覚悟と心情はどのようなものか。
- 世間の人々が自分を哀れんでも、自分はそれを気にせず、仏道に専念するという強い決意。
- 世間の人々は自分のことを忘れてしまうだろうが、自分は家族のことを決して忘れないという愛情。
- 世間の人々は自分の表面的な姿しか見ていないが、自分は仏道という真の花を咲かせるのだという、孤高の自負心。
- 世間の人々に哀れまれるような惨めな自分を、仏だけは救ってくださるだろうという、深い信仰心。
- 世間の人々が哀れむように、出家などせず、家族と共に花のように暮らせばよかったという、深い後悔。
【問3 正解と解説】
正解:3
この歌は、二つの対照的な視点を示しています。一つは、「あはれとは見る人ごとに言はれなむ」という、世間の人々からの同情的な視点です。彼らは、妻子を捨ててみすぼらしい姿になった西行を「かわいそうだ」と見るでしょう。しかし、西行自身は、自分のことを、ただ落ちぶれたのではなく、仏道という真理の「花」を咲かせるために、俗世という花を「散りぬる身」だと捉えています。そして、「身を知る人やは」と反語で結ぶことで、「私のこの真の覚悟を、世間の人々が理解できるはずがない」という、孤高のプライドと強い意志を示しているのです。