古文対策問題 042(東海道中膝栗毛「早立ち」)
【本文】
(江戸を発った弥次郎兵衛と喜多八が、最初の宿場町・品川に泊まった翌朝の場面)
喜多八、目をこすりこすり起きあがり、あくびして言ふやう、「やや、弥次さん、もう夜が明けたか。」
弥次郎兵衛、「いや、まだ夜は明けねども、はや、立つがよからう。宵に、亭主が申すやう、ここから先は、川崎といふ宿まで、二里の道、その間に、六郷の渡しといふ、大きなる川がある。夜が明けては、人足も多く、渡るに手間取る、と申したによつて、夜立ちをせうと思ふなり。」
喜多八、「そりや、もっともだ。では、とく、支度をせう。」とて、二人、顔を洗ひ、身じたくして、宿を出づる。
まだ、暁の四つ時分、あたりは、闇の夜にて、東西も見えず。ただ、品川の沖に、漁火のちらちらと燃ゆるばかりなり。二人は、提灯を頼りに、おぼつかなく、足もとを見ながら、行くほどに、道に、犬の糞を踏み付け、喜多八、すべって転ぶ。「あいたた。」と言へば、弥次郎兵衛、大いに笑ひ、「これ、これ、江戸を発つ足始めに、うんが付いたは、縁起がよいわい。」
【現代語訳】
(江戸を発った弥次郎兵衛と喜多八が、最初の宿場町・品川に泊まった翌朝の場面)
喜多八が、目をこすりこすり起きあがり、あくびをして言うことには、「おい、弥次さん、もう夜が明けたのかい」と。
弥次郎兵衛、「いや、まだ夜は明けないが、早く、出発するのがよかろう。昨夜、宿屋の主人が言うには、ここから先は、川崎という宿場まで、二里(約8km)の道で、その間に、六郷の渡しという、大きな川がある。夜が明けてからでは、人も多く、渡るのに時間がかかる、と言ったので、夜のうちに出発しようと思うのだ」と。
喜多八、「そりゃ、もっともなことだ。では、早く、支度をしよう」と言って、二人は、顔を洗い、身支度をして、宿を出る。
まだ、夜明け前の午前四時頃で、あたりは、真っ暗闇で、東西の方角もわからない。ただ、品川の沖に、漁船の火がちらちらと燃えているだけである。二人は、提灯を頼りに、おぼつかなく、足もとを見ながら、行くうちに、道で、犬の糞を踏み付け、喜多八が、滑って転んだ。「あ痛っ」と言うと、弥次郎兵衛は、大いに笑って、「これ、これ、江戸を発つ旅の始まりに、『うん』が付いたとは、縁起がよいわい」と。
【覚えておきたい知識】
文学史・古文常識:
- 作者:十返舎一九(じっぺんしゃいっく)。江戸時代後期の戯作者(げさくしゃ)。
- 作品:『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』は、主人公の弥次郎兵衛(やじろべえ)と喜多八(きたはち)が、江戸から伊勢、京、大坂へと旅する道中の失敗談や滑稽なやり取りを描いた、滑稽本(こっけいぼん)の代表作。「膝栗毛」とは、自分の膝を栗毛の馬の代わりにする、つまり徒歩旅行のこと。
- 滑稽本(こっけいぼん):江戸時代後期の小説ジャンル。庶民の日常や会話、失敗談などを、口語に近い、軽妙な文体で描き、読者の笑いを誘った。
重要古語・語句:
- 宵(よい):昨夜。
- 人足(ひとあし):人通り、往来。
- 夜立ち(よだち):夜のうちに出発すること。
- とく:早く、さっさと。
- 暁の四つ時分:現在の午前4時頃。不定時法。
- おぼつかなし:頼りない、心もとない。
- うんが付く:「運が付く」と、汚物である「うん(糞)」を掛けた、駄洒落。
【設問】
【問1】弥次郎兵衛が、まだ夜も明けぬうちに出発しようと提案した、その理由として最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 夜のうちに歩けば、涼しくて体力を消耗しないから。
- 夜明けの美しい景色を、六郷の渡しから眺めたいと思ったから。
- 日が高くなると、川の渡し場が混雑して、時間がかかると聞いたから。
- できるだけ早く次の宿場に着いて、ゆっくりと休みたいと考えたから。
- 宿代を払わずに、こっそりと逃げ出してしまおうと計画したから。
【問1 正解と解説】
正解:3
弥次郎兵衛は、その理由を「宵に、亭主が申すやう…夜が明けては、人足も多く、渡るに手間取る、と申したによつて」と、はっきりと説明しています。宿屋の主人から得た情報に基づいて、渡し場が混雑する前に通過してしまおうという、極めて合理的で、旅慣れた判断であることがわかります。
【問2】喜多八が犬の糞を踏んで転んだのを見て、弥次郎兵衛が「うんが付いたは、縁起がよいわい」と言った。この発言に最もよく表れている、彼の性格はどのようなものか。
- 友人の失敗を心から心配し、何とか慰めようとする、優しい性格。
- どんな災難も、駄洒落や冗談で笑い飛ばしてしまう、陽気で楽天的な性格。
- 迷信や縁起を深く信じ、すべての出来事を吉凶で判断しようとする、信心深い性格。
- 友人の不注意を厳しく叱責し、旅の危険を教えようとする、真面目な性格。
- 汚いものを不吉だと考え、すぐにその場から離れようとする、神経質な性格。
【問2 正解と解説】
正解:2
このセリフは、『膝栗毛』という作品の性格を象徴するものです。普通なら不快で不運な出来事(糞を踏んで転ぶ)を、弥次郎兵衛は「運が付く」という言葉遊び(駄洒落)に転換し、大笑いしています。これは、旅の道中のどんなトラブルや失敗も、笑いの種にして楽しんでしまおうという、彼の陽気で、物事を深刻に考えない楽天的な性格を非常によく表しています。
【問3】この作品の文体や登場人物の会話は、それ以前の時代の文学(例:『源氏物語』『平家物語』)と比べて、どのような特徴を持っているか。
- 漢文の知識を前提とした、格調高く、難解な特徴。
- 和歌を中心に物語が展開する、叙情的で優雅な特徴。
- 七五調を基本とした、音楽的でリズミカルな特徴。
- 当時の庶民が実際に話していたであろう、口語に近く、写実的で滑稽な特徴。
- 仏教的な教えを根底に置いた、教訓的で思索的な特徴。
【問3 正解と解説】
正解:4
『源氏物語』の雅な言葉遣いや、『平家物語』の格調高い和漢混交文とは異なり、『膝栗毛』の文章は、登場人物の会話が中心で、その言葉遣いも「~か」「~がよからう」「~だわい」など、当時の庶民の話し言葉に非常に近いのが特徴です。内容も、貴族の恋愛や武士の名誉ではなく、庶民の旅の失敗談という、極めて身近で写実的な題材を、滑稽に描いています。これが滑稽本というジャンルの大きな特徴です。