古文対策問題 041(折たく柴の記「白石の学問」)
【本文】
父のいはく、「学問は、第一に、書をよく読み、その理を考へ、心に得させん事を、専一とすべきなり。師を頼まば、とかく、その説にへつらひて、おのれが本心を失ふことあり。ひたすら、書をのみ、師とせよ。」とぞ、教へられし。
されば、童の時より、書を読む事、おほよそ、人の三倍せしなり。一度読みて、意の通ぜざる所は、かならず、しるしを付け置きて、再読、三読、ひまあるごとに、繰り返し読むに、つひに、心に得られざる事はなかりき。
ある人、問ひていはく、「君は、いかにして、多くの書を記憶し給ふや。」と。答へていはく、「別に、才あるにあらず。ただ、書を読む事、人の十倍せしのみ。これぞ、わが記憶の術なり。」と。
【現代語訳】
父が言うには、「学問は、第一に、書物をよく読み、その道理を考え、心で理解させることを、最も大切なこととすべきである。師に頼ると、とかく、その先生の学説にへつらって、自分自身の本来の考えを失うことがある。ひたすら、書物だけを、師とせよ」と、教えられた。
だから、子供の時から、書物を読むことは、おおよそ、人の三倍はした。一度読んで、意味の通じない所は、必ず、印を付けておいて、再読、三読と、暇があるごとに、繰り返し読むうちに、最終的に、心で理解できないことはなかった。
ある人が、尋ねて言うには、「あなたは、どのようにして、多くの書物を記憶していらっしゃるのですか」と。答えて言うには、「特別に、才能があるわけではない。ただ、書物を読む回数が、人の十倍であるだけだ。これこそが、私の記憶術である」と。
【覚えておきたい知識】
文学史・古文常識:
- 作者:新井白石(あらいはくせき)。江戸時代中期の儒学者、政治家。徳川家宣・家継の二代の将軍に仕え、正徳の治(しょうとくのち)と呼ばれる政治改革を主導した。
- 作品:『折たく柴の記(おりたくしばのき)』は、白石が自身の家系、経歴、学問や政治についての見解を記した、日本初の体系的な自叙伝とされる。
- 文体と精神:平安・鎌倉時代の文学が仏教的な無常観や「あはれ」「をかし」といった情趣を重んじたのに対し、白石の文章は、儒学を背景とした、合理的で、論理的な精神に貫かれている。
重要古語・語句:
- 理(り):道理、筋道、論理。
- 専一(せんいつ):最も大切にすべきこと。
- へつらふ:おもねる、相手に気に入られようと振る舞う。
- 本心(ほんしん):自分本来の考え、真心。
- しるし(標):目印。
- つひに(終に):最終的に、とうとう。
- 術(じゅつ):方法、手段。
【設問】
【問1】作者の父が、学問において「師を頼む」ことを戒め、「ひたすら、書をのみ、師とせよ」と教えたのはなぜか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 優れた師を見つけるのは、非常に困難であるから。
- 師の学説に盲従してしまい、自ら考える力を失う危険があるから。
- 師に月謝を払うのは、経済的に大きな負担となるから。
- 書物には、古今東西のあらゆる師の教えが詰まっているから。
- 師に頼ると、学問の進度が遅くなってしまうから。
【問1 正解と解説】
正解:2
父の教えは、「師を頼まば、とかく、その説にへつらひて、おのれが本心を失ふことあり」という部分に集約されています。これは、師の権威にへつらい、その学説を鵜呑みにしてしまうと、自分自身の頭で考え、自分なりの意見(本心)を確立するという、学問の最も大切な部分が失われてしまう、という警告です。師への依存ではなく、書物と直接向き合う自立した探求心を重視しているのです。
【問2】作者・新井白石が実践した、書物を理解するための具体的な方法は何か。最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 一度に多くの書物を並行して読み、知識の幅を広げる方法。
- 意味が通じない部分は飛ばして読み進め、後でまとめて師に質問する方法。
- 理解できない箇所に印をつけ、暇を見つけては、理解できるまで何度も繰り返し読む方法。
- 毎日、読む量を決め、人の三倍のペースで、とにかくたくさんの書物を読破する方法。
- 一つの書物を、声に出して何度も音読し、文章を丸ごと暗記してしまう方法。
【問2 正解と解説】
正解:3
本文には、白石の具体的な学習法が「意の通ぜざる所は、かならず、しるしを付け置きて、再読、三読、ひまあるごとに、繰り返し読むに、つひに、心に得られざる事はなかりき」と、はっきりと書かれています。これは、分からない部分を放置せず、粘り強く、徹底的な反復読書によって、自力で理解に至る、という方法です。
【問3】この文章全体に流れる、作者・新井白石の学問に対する姿勢として、最も根本的なものは何か。
- 生まれ持った才能やひらめきを重視する、天才肌の姿勢。
- 先人の教えを忠実に守り、伝統を重んじる、保守的な姿勢。
- 多くの学者と議論を交わし、自らの見解を磨いていく、開放的な姿勢。
- 他者に頼らず、自らの努力と論理的思考で真理を探究しようとする、合理的・実証的な姿勢。
- 学問は、あくまで現実の政治に役立てるための手段であると考える、実利的な姿勢。
【問3 正解と解説】
正解:4
父の「書を師とせよ」という教え、白石自身の「繰り返し読む」という学習法、そして記憶力の秘訣を「人の十倍せしのみ」と才能ではなく努力に帰する態度。これら全てに共通するのは、権威や他者に安易に依存せず、自らの力で粘り強く対象(書物)と向き合い、論理的に理解しようとする、極めて合理的で実証的な精神です。これは、情趣や伝統を重んじる中世までの文学とは一線を画す、江戸時代の儒学者らしい、近世的な学問への姿勢と言えます。