古文対策問題 038(平家物語「灌頂巻」)

【本文】

(平家滅亡後、尼となった建礼門院が大原の寂光院に隠れ住んでいるのを、後白河法皇が訪ねる場面)
さて、大原の奥、寂光院と申す所は、まことに、山里寂莫として、松の響き、谷の水の音、さびしき隈々も、なうてふ事もなかりけり。…(中略)…
さて、御庵室のありさまを見奉れば、片方は、柴を折りかけて、軒あやふく、壁落ちて、月の影、漏るばかりなり。庭には、若菜、色浅く、蓬、跡なく、萌え出でて、所々の雪は、まだ消えやらで、谷の氷、解け初むと見えて、筧の水、細く落ちて、いたはしきありさまなり。
法皇、これをご覧じて、「そもそも、これは、昔の宮の内裏のありさまに、似るべくもなし。かく、変わり果てさせ給ふ御住まひこそ、悲しけれ。」とて、涙を流させ給ふ。
建礼門院、聞こしめし、「げに、昔の光、夢になりて、今の闇に迷ふ心地、まことに、さる事に候ふ。」とて、御袖を、顔に押しあてて、さめざめと、泣き給ひけり。

【現代語訳】

(平家滅亡後、尼となった建礼門院が大原の寂光院に隠れ住んでいるのを、後白河法皇が訪ねる場面)
さて、大原の奥、寂光院と申します所は、本当に、山里がひっそりとして静まりかえり、松風の響きや、谷の水の音など、寂しい場所の隅々に至るまで、ないということもなかった(=すべてが寂しい風情であった)。…(中略)…
さて、御庵室の様子を拝見すると、一方には、柴の枝を折って立てかけてあり、軒は危なげで、壁は崩れ落ちて、月の光が、漏れるほどである。庭には、若菜が、色浅く、蓬(よもぎ)が、古い跡形もなく、芽を出していて、所々の雪は、まだ消えきらずに、谷の氷が、解け始めたと見えて、筧(かけひ)の水が、細く落ちて、痛々しいありさまである。
法皇は、これをご覧になって、「それにしても、これは、昔の宮中の内裏のありさまに、似ても似つかない。このように、変わり果てなさったお住まいこそ、悲しいことだ」と言って、涙を流された。
建礼門院は、これをお聞きになって、「本当に、昔の栄華は、夢となってしまい、現在の闇に迷っているような気持ちは、まことに、おっしゃる通りでございます」と言って、お袖を、顔に押し当てて、さめざめと、お泣きになった。

【覚えておきたい知識】

文学史・古文常識:

  • 作品:『平家物語』。その最終巻が、後日譚にあたる「灌頂巻(かんじょうのまき)」。
  • 登場人物:
    • 建礼門院(けんれいもんいん):平徳子。平清盛の娘で、高倉天皇の中宮、安徳天皇の母。壇ノ浦で入水するも助けられ、平家一門の菩提を弔うため出家した。
    • 後白河法皇(ごしらかわほうおう):平安末期から鎌倉初期にかけての朝廷の中心人物。平家とも源氏とも、時に協力し、時に敵対した、複雑な政治的立場にあった。
  • 大原御幸(おおはらごこう):法皇が、大原に隠棲する建礼門院を訪ねる場面。灌頂巻の中心であり、平家物語全体の締めくくりとなる重要な場面。

重要古語:

  • 寂莫(じゃくまく):ひっそりと静まりかえっているさま。
  • 隈々(くまぐま):隅々まで、至る所。
  • 庵室(あんしつ):僧や尼、隠者が住む、質素で小さな家。
  • いたはし:痛々しい、気の毒だ。
  • 内裏(だいり):天皇の私的な住まいである御殿。
  • 聞こしめす:「聞く」の尊敬語。お聞きになる。
  • げに:本当に、なるほど。

【設問】

【問1】法皇が建礼門院の庵室を見て「悲しけれ」と涙を流した。彼が悲しんだ最も大きな理由は何か。最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 建礼門院が、仏道修行に耐えられないほど衰弱していると思ったから。
  2. 庵室があまりに貧しいため、元国母としての体面が保てないことを心配したから。
  3. かつての栄華を極めた内裏の様子と、現在の荒れ果てた庵室との、あまりの落差に心を痛めたから。
  4. 平家を滅亡に追い込んだのは自分でもあるのに、今さら訪ねてきたことへの罪悪感から。
  5. 庵室の庭が手入れされておらず、建礼門院の心の荒廃ぶりが見て取れたから。
【問1 正解と解説】

正解:3

法皇の言葉「そもそも、これは、昔の宮の内裏のありさまに、似るべくもなし」が、彼の心情を直接的に示しています。彼は、かつて日本の最高位の女性として、この上なく華やかな内裏に住んでいた建礼門院の姿を知っています。その記憶と、目の前の「軒あやふく、壁落ちて」いる庵室の惨状との、あまりにも激しい落差、つまり栄枯盛衰の極端な実例を目の当たりにし、その悲しさに涙を流しているのです。

【問2】法皇の言葉に対する、建礼門院の返答「昔の光、夢になりて、今の闇に迷ふ心地」について、その心情の説明として最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 過去の栄華を美しい夢として懐かしみ、現在の生活を穏やかに受け入れている。
  2. 過去の栄華が嘘のように消え去り、今はただ苦しみの中にいるという、深い絶望感。
  3. 過去の栄華も現在の苦しみも、すべては仏の導きによる試練だと解釈している。
  4. 昔の栄華を支えてくれた人々への感謝と、現在の自分を支えてくれる人々への感謝。
  5. 過去の栄華の日々が、本当にあったことなのかどうかさえ、わからなくなっている混乱。
【問2 正解と解説】

正解:2

建礼門院は、過去を「光」、現在を「闇」と、明確に対比させています。そして、「夢になりて」という言葉は、美しい思い出というよりも、現実感がなく、儚く消え去ってしまったもの、というニュアンスが強いです。さらに、「闇に迷ふ心地」と述べていることから、彼女が現在の境遇を単に受け入れているのではなく、今なお、深い苦しみと絶望の中にいることがわかります。栄華と滅亡のすべてを経験した彼女の、痛切な実感のこもった言葉です。

【問3】『平家物語』の物語全体が、この「灌頂巻」で終わることの文学的効果として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 平家と源氏の対立が、最終的には仏法の下で和解されたことを示し、物語を平和的に締めくくる効果。
  2. 平家の女性たちの悲劇的な運命を最後に描くことで、戦乱の最も大きな犠牲者は常に女性であることを訴える効果。
  3. 栄華と滅びのすべてを経験した生存者の視点から、物語全体の「諸行無常」というテーマを、静かに、しかし深く再確認させる効果。
  4. 法皇が、敵であった平家の菩提を弔う姿を描くことで、法皇こそが真の勝者であったことを示す効果。
  5. 建礼門院が、平家再興の望みを捨てていないことを暗示し、物語の続きを予感させる効果。
【問3 正解と解説】

正解:3

『平家物語』は、激しい合戦や政治的駆け引きを描いてきましたが、その根底には常に「諸行無常」という仏教的なテーマが流れています。物語の最後に、栄華の頂点と滅亡のどん底の両方を知る唯一の証人である建礼門院を登場させ、彼女の静かな語りによって、これまでのすべての出来事が、まさに「昔の光、夢になりて」という無常の理の現れであったことを、読者に深く納得させます。戦の喧騒の後の静寂の中で、物語全体のテーマが、一人の女性の人生を通して、しみじみと再確認されるのです。

レベル:難関大レベル|更新:2025-07-24|問題番号:038