古文対策問題 037(紫式部日記「清少納言への批評」)
【本文】
清少納言こそ、したり顔に、いみじう侍りける人。さばかり、さかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく見れば、まだ、いと足らぬこと多かり。かく、人に異ならむと思ひ好める人は、かならず、見劣りし、行く末、うたて、あぢきなき事に、なり侍るべし。
はた、いと軽々しく、滑稽に、ふるまひたるも、深く、もののあはれを知り、しみじみと人の心を動かす事は、あるまじきなり。ただ、物事の、をかしき所を、取り集めて、語りなすは、さすがに、上手なり。されど、まことの歌よみには、あらず。
さて、その人の本性は、いかにぞや。人の心を、悩まし、苦しめむとする事は、いと、罪深きわざなり。
【現代語訳】
清少納言こそは、得意顔で、たいそう(才気煥発で)ございました人。あれほど、利口ぶって、漢字を書き散らしておりますその程度も、よくよく見れば、まだ、たいそう未熟な点が多い。このように、人と違っていようと特別に好む人は、必ず、(人より)見劣りがし、将来、いやな感じで、つまらないこと(=末路)に、なるに違いありません。
やはり、たいそう軽々しく、滑稽に、振る舞っているのも、(そのような態度では)深く、物の情趣を理解し、しみじみと人の心を動かすことは、あり得ないでしょう。ただ、物事の、面白い所を、取り集めて、語りこなすのは、そうは言うものの、上手である。しかし、本当の歌詠みでは、ない。
さて、その人の本性は、どうなのでしょうか。人の心を、悩ませ、苦しめようとすることは、たいそう、罪深い行いです。
【覚えておきたい知識】
文学史・古文常識:
- 作者:紫式部(むらさきしきぶ)。『源氏物語』の作者。
- 作品:『紫式部日記』は、作者が一条天皇の中宮・彰子(しょうし)に仕えていた頃の宮廷生活を記録したもの。
- 背景—二人の才女:清少納言は、彰子のライバルであった中宮・定子(ていし)に仕えていた。定子のサロンが才気煥発な文化の中心であったのに対し、彰子のサロンはより穏健で、紫式部も内省的な性格であったとされる。この文章は、ライバルサロンの中心人物であった清少納言に対する、紫式部の複雑な評価がうかがえる、極めて貴重な記述である。
重要古語:
- したり顔:得意顔、うまくいったという顔つき。
- さかしだつ(賢し立つ):利口ぶる、才気を見せびらかす。
- 真名(まな):漢字。ひらがな(仮名)に対して言う。
- 見劣りす:他と比べて劣って見える。
- うたて:いやな感じで、不快に。
- あぢきなし:つまらない、どうしようもない。
- もののあはれを知る:物事の深い情趣を理解する。紫式部の文学の根幹をなす美意識。
- 語りなす:巧みに語る、語りこなす。
【設問】
【問1】紫式部は、清少納言のどのような態度を「さかしだち(利口ぶっている)」と批判しているか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 和歌の才能を誇り、即興で歌を詠んでみせる態度。
- 漢学の知識をひけらかし、文章に漢字を多用する態度。
- 宮仕えの経験が長いことを鼻にかけ、後輩を指導しようとする態度。
- 高価な衣装や調度品を自慢し、自分のセンスの良さをアピールする態度。
- 中宮定子から、誰よりも寵愛されていることを見せつける態度。
【問1 正解と解説】
正解:2
本文には、「さばかり、さかしだち、真名書き散らして侍るほども」とあります。「真名」とは漢字のことです。当時、女性の公式な文章は、ひらがな(仮名)で書くのが一般的でした。その中で、漢学の素養が必要な漢字を多用することは、知識をひけらかす行為と見なされる場合がありました。紫式部は、清少納言のこのスタイルを、内容が伴わない見せかけの才気(さかしだち)だと、厳しく批判しているのです。
【問2】紫式部は、清少納言の文学的才能について、ある一点は評価しつつも、根本的な部分では不十分だと考えている。その評価の内容として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 評価している点:人を笑わせるユーモアの才能。/不十分な点:物語を構成する能力。
- 評価している点:物事の面白い側面を巧みに描写する才能。/不十分な点:人の心を深くしみじみと感動させる力。
- 評価している点:和歌を即興で詠む才能。/不十分な点:漢詩を作る能力。
- 評価している点:宮中の出来事を正確に記録する才能。/不十分な点:登場人物の心理を描写する力。
- 評価している点:漢字を使いこなす才能。/不十分な点:ひらがなを美しく書く能力。
【問2 正解と解説】
正解:2
紫式部は、「ただ、物事の、をかしき所を、取り集めて、語りなすは、さすがに、上手なり」と、清少納言の才能を一部認めています。これは『枕草子』の「をかし」の世界、つまり物事の明るく知的な面白さを捉える才能を評価したものです。しかし、その直後に「深く、もののあはれを知り、しみじみと人の心を動かす事は、あるまじきなり」と続けています。これは、紫式部自身の文学の根幹である「もののあはれ」、つまり物事の奥にある深い情趣や哀感を捉え、読者の心をしみじみと打つ力は、清少納言には欠けている、という批判です。
【問3】この文章から浮かび上がる、作者・紫式部自身の文学観や人間観として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 才気や知識は、人前で披露してこそ価値がある。
- 文学は、人々を楽しませるための、明るい娯楽であるべきだ。
- 真の知性とは、ひけらかすものではなく、物事の本質を深く理解し、人の心を感動させる力にある。
- 女性は、男性のように漢学の知識を誇るべきではなく、ひらがなで感情を表現すべきだ。
- 文学において最も重要なのは、正確な事実を記録することである。
【問3 正解と解説】
正解:3
この文章は、清少納言への批判を通して、紫式部自身の価値観を浮き彫りにしています。彼女が批判するのは、知識を「書き散らす」ことや、「軽々しく」振る舞うこと、つまり表面的な才気のアピールです。そして、清少納言に欠けているものとして挙げるのが、「深く、もののあはれを知り、しみじみと人の心を動かす事」です。このことから、紫式部にとって、真に価値があるのは、ひけらかされる知識ではなく、物事の奥にある本質や情趣(もののあはれ)を深く理解し、それによって人の心を静かに、しかし深く動かす力なのだ、という文学観・人間観を持っていることがわかります。