古文対策問題 036(増鏡「後鳥羽院の配流」)
【本文】
(承久の乱に敗れた後鳥羽院が、隠岐の島へ流される場面)
十三日の暁、鳥羽の作り道より、押し出されさせ給ふ。夢かとのみおぼしめさるるに、いとど、涙にくれて、行く末も知らぬ心地し給ふ。御供の人々は、数も少なにて、涙に浮かびつつ、馬の口に付きて参る。
院の御所、また、女房たちの曹司の方には、夜の御殿の燈火、かすかに見えて、人々の泣き騒ぐ声、空に満ちて、あはれに悲しきこと、限りなし。ある女房の詠める歌、
出でしより 帰るを待つと 聞きしかど こは思ひ出の 旅なりけり
女院も、いかでか、とどまりて聞かせ給はむ。胸、塞がる心地して、堪へがたくおぼしめさる。
【現代語訳】
(承久の乱に敗れた後鳥羽院が、隠岐の島へ流される場面)
(八月)十三日の夜明け前、鳥羽の造道を(院は)お発ちになった。まるで夢ではないかとばかりお思いになるうちに、ますます、涙にくれて、この先どうなるかも分からない気持ちにおなりになる。お供の人々は、人数も少なくて、涙に溺れながら、馬の口元に付き添って参上する。
院の御所、また、女房たちの部屋の方では、夜の御殿の灯火が、かすかに見えて、人々が泣き騒ぐ声が、空に満ちて、しみじみと悲しいことは、この上ない。ある女房が詠んだ歌、
(「旅は、出発した時から帰るのを待つものだ」と聞いておりましたが、この度の旅は、(二度と帰れない)思い出のための旅となってしまいました)
女院(=院の后)も、どうして、その場にとどまって(人々の悲しむ声を)お聞きになることができようか、いや、できない。胸が塞がるような気持ちがして、堪えがたくお思いになる。
【覚えておきたい知識】
文学史・古文常識:
- 作品:『増鏡(ますかがみ)』は、南北朝時代(14世紀中頃)に成立した歴史物語。『大鏡』に始まる「四鏡(しきょう)」の第四番目にして最後の作品。
- 構成と語り手:百歳を超える老尼が、若き日に宮中で見聞きした出来事を語る、という回想形式で書かれている。そのため、朝廷や公家の視点から歴史が描かれる。
- 承久の乱(じょうきゅうのらん):1221年、後鳥羽上皇が鎌倉幕府打倒の兵を挙げたが、敗北した事件。この結果、後鳥羽上皇は隠岐へ、順徳上皇は佐渡へ配流(はいる=流罪)となり、幕府の朝廷に対する優位が確立した。
重要古語:
- 暁(あかつき):夜明け前、まだ暗い頃。
- おぼしめす:「思ふ」の最高尊敬語。お思いになる。
- いとど:ますます、いっそう。
- 曹司(ぞうし):宮中や役所などにある、個人の部屋。
- あはれなり:しみじみと悲しい、心打たれる。
- こは:これは。
- 女院(にょいん):天皇の母や后で、上皇に准ずる待遇を受けた女性の尊称。
- いかでか~む(反語):どうして~だろうか、いや、~ない。
【設問】
【問1】配流される後鳥羽院の心情が「夢かとのみおぼしめさるる」と表現されているが、これはどのような気持ちを表しているか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 長年夢見てきた、幕府を打倒する計画がついに失敗したことへの絶望感。
- これから始まる流人としての生活が、悪夢のようであってほしいという現実逃避。
- つい先日まで天下の頂点にいた自分が、罪人として都を追われるという事態が、現実とは思えないほどの衝撃。
- この悲劇的な状況も、いずれは夢のように過ぎ去り、再び都へ帰れるだろうという楽観的な希望。
- あまりの悲しみに、夢と現実の区別がつかなくなるほど、精神が錯乱している状態。
【問1 正解と解説】
正解:3
「夢かとのみ」という表現は、目の前で起きている出来事があまりに信じがたく、現実感が持てない状態を表します。後鳥羽院は、自ら討幕の兵を挙げた、最高権力者でした。その自分が、一夜にして敗者となり、罪人として辺境の島へ流される。この天国から地獄へのあまりに急激な転落は、彼にとって、到底現実のこととは思えないほどの衝撃であり、呆然自失の状態にあったことを示しています。
【問2】ある女房が詠んだ和歌「出でしより…」について、この歌が表現している絶望的な状況とはどのようなものか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 旅に出た院からの便りが、全く届かないだろうという状況。
- 今回の院の旅は、通常の旅とは異なり、二度と都へは帰って来られないであろうという状況。
- 旅の思い出を語り合う相手もいなくなってしまうだろうという、宮中の寂しい未来。
- 院がお発ちになった後、すぐに都の人々が院のことを忘れてしまうだろうという、人情の薄さ。
- 旅の途中で、院の身にさらなる不幸が降りかかるのではないかという、不吉な予感。
【問2 正解と解説】
正解:2
この歌は、「普通の旅は、出発した時から無事に帰ってくることを待つものだ(出でしより帰るを待つ)」という前提と、今回の院の旅を対比させています。「こは思ひ出の旅なりけり(しかし、この旅は、後で思い出すためだけの旅=帰還のない旅、なのだなあ)」と詠むことで、後鳥羽院の配流が、生きては帰れないであろう、永遠の別れであることを表現しています。この「帰還の望みのなさ」こそが、この歌が示す絶望的な状況の核心です。
【問3】この場面は、『平家物語』のような軍記物語における合戦の描写と比べて、どのような点に重点を置いて描かれているか。その特徴として最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 合戦の勝敗を分けた、具体的な戦術や武将の駆け引き。
- 敗者となった院や、それを見送る人々の、内面的な悲しみや嘆き。
- 歴史的な事件が、後世に与える政治的な影響についての、客観的な分析。
- 敗北した側の武将たちが、いかに勇敢に最後まで戦ったかという、英雄的な活躍。
- 事件の根本的な原因となった、朝廷と幕府の間の構造的な対立。
【問3 正解と解説】
正解:2
軍記物語が、合戦そのもののダイナミックな描写や、武士の武勇伝に焦点を当てることが多いのに対し、『増鏡』は歴史物語であり、特に朝廷側の視点から描かれます。そのため、この場面では、承久の乱という事件の「結果」として生じた、敗者の悲劇に焦点が当てられています。院の「夢かとのみおぼしめさるる」という呆然とした心情、お供の者や女房たちの「涙にくれて」「泣き騒ぐ」様子など、敗北した側の内面的な悲しみを、しみじみと「あはれ」に描くことに、文章の重点が置かれているのです。