古文対策問題 034(徒然草「高名の木登り」)
【本文】
高名の木登りといひし男、人を掟てて、高き木に登せて、梢を切らせしに、いと危ふく見えしほどは、言ふ事もなく、降るる時に、軒桁ばかりになりて、「あやまちすな。心して降りよ。」と、言葉をかけはべりしを、「かばかりになりては、飛び降るるとも、降りなん。いかに、かく言ふぞ。」と申し侍りしかば、
「その事に候ふ。目くるめき、枝危ふきほどは、己が恐れ侍れば、申さず。誤ちは、やすき所に至りて、必ず、仕る事に候ふ。」と言ふ。
あやしき下賤の者ながら、聖人の戒めにかなへり。蹴鞠も、また、かたき所を蹴出して後、やすく思へば、必ず、落つと侍るやらん。
【現代語訳】】
木登りの名人と言われた男が、人を指図して、高い木に登らせて、梢(こずえ)を切らせた時に、たいそう危なく見えた間は、何も言わずにいて、降りてくる時に、軒と同じくらいの高さになってから、「失敗するな。注意して降りろ」と、言葉をかけましたのを、(私が)「これほどの高さになったら、飛び降りても降りられるだろう。どうして、そのようにおっしゃるのか」と申しましたところ、
(名人は)「そのことでございます。目がくらみ、枝が危ない間は、本人が恐れておりますので、私は何も申しません。失敗というものは、簡単な所まで来て、必ず、するものでございます」と言う。
身分の低い者ではあるが、(その言葉は)聖人の戒めに合致している。蹴鞠(けまり)も、また、難しい所を蹴り出した後、簡単だと思えば、必ず、(鞠を)落とすということでございましょうか。
【覚えておきたい知識】
文学史・古文常識:
- 作者:吉田兼好。『徒然草』の作者。
- 作品:鎌倉時代末期に成立した随筆。兼好の鋭い人間観察や、仏教的な無常観に基づく思索が記される。
- 聖人の戒め:ここでは、儒教の経典などにある「油断大敵」といった趣旨の、聖人君子の教えを指す。兼好は、身分の低い職人の言葉の中に、高尚な教えと通じる普遍的な真理を見出している。
重要古語:
- 高名(かうみょう):名高いこと、評判が高いこと、名人。
- 掟つ(おきてつ):指図する、命令する。
- あやまちすな:失敗するな。「すな」は禁止を表す終助詞。
- はべり(侍り):「あり」の丁寧語。聞き手に対する丁寧な態度を示す。ここでは作者が読者に対して丁寧に語っていることを示す。
- 目くるめく:目がくらむ、めまいがする。
- やすし(易し):簡単だ、容易だ。
- 下賤(げせん):身分が低いこと。
- かなへり(かなへり):合致している。「かなふ」の連用形+存続・完了の助動詞「り」。
【設問】
【問1】木登りの名人が、弟子が高い梢で作業している、最も危険な間は何も言わなかったのはなぜか。その理由として最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- あまりに危険なため、声をかけるとかえって弟子の集中を乱してしまうと考えたから。
- 自分の指示がなくても、弟子が自力で困難を乗り越えられるか試していたから。
- 弟子本人が、その危険を十分に認識し、自ら最大限の注意を払っているはずだから。
- 名人は、弟子が落ちても構わないと考えるような、冷酷な人物だったから。
- 高い所では声が届きにくく、指示をしても無駄だと判断したから。
【問1 正解と解説】
正解:3
名人は、その理由を「目くるめき、枝危ふきほどは、己が恐れ侍れば、申さず」と説明しています。つまり、本当に危険な状況では、誰に言われるまでもなく、本人自身が恐怖心から最大限に注意を払っているので、あえて自分が口出しする必要はない、と考えているのです。
【問2】名人が「誤ちは、やすき所に至りて、必ず、仕る事に候ふ」と述べた、その言葉の真意は何か。最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 簡単な場所では、誰でも油断してしまいがちで、それがかえって事故の原因になるということ。
- 簡単な場所で失敗するのは、その人の技術がまだ未熟である証拠だということ。
- 難しい作業を終えた後は、疲れがたまっていて、簡単な場所でも注意力が散漫になるということ。
- 難しい場所と簡単な場所では、求められる技術の種類が全く違うということ。
- 失敗の多くは、簡単な作業を、わざと難しく考えすぎてしまうことから起こるということ。
【問2 正解と解説】
正解:1
この言葉は、この逸話の核心となる教訓です。人間は、困難な状況では緊張感を保ちますが、危険が去って「もう大丈夫だ」と安心した(=やすき所に至りて)瞬間に、気が緩んで油断しやすくなります。名人によれば、失敗(誤ち)というものは、まさにその油断から生まれるのだ、ということです。これは、人間の心理の弱点を鋭く突いた指摘です。
【問3】作者の兼好は、この木登りの名人の言葉を「聖人の戒めにかなへり」と称賛している。この逸話を通じて、兼好が最も伝えたかったことは何か。
- どのような職業であっても、名人の域に達した人物は尊敬に値するということ。
- 真理というものは、高貴な聖人だけでなく、身分の低い者の言葉の中にも見出せるということ。
- 物事の成否は、困難な局面よりも、むしろ気の緩みやすい平易な局面で決まるということ。
- どんな名人であっても、常に初心を忘れず、謙虚な気持ちでいるべきだということ。
- 上記のすべて。
【問3 正解と解説】
正解:5
この設問は、逸話から引き出せる教訓を多角的に問うものです。兼好は、まず「高名(名人)」の言葉に耳を傾け(選択肢1)、その言葉が身分(下賤)に関わらず「聖人の戒め」と通じる普遍的な真理であることを見抜いています(選択肢2)。その真理の内容こそが、「油断大敵」、つまり物事の成否は気の緩みやすい局面で決まる、というものでした(選択肢3)。そして、名人がこのことを理解しているのは、彼自身が常に初心を忘れず、油断なく自分の仕事に向き合っているからに他なりません(選択肢4)。このように、この短い逸話には、これらすべての教訓が凝縮されており、5が最も包括的な正解となります。