古文対策問題 030(平家物語「帝、御入水」)

【本文】

(壇ノ浦の合戦で敗色が濃くなった平家。帝の祖母である二位殿は、覚悟を決める。)
二位殿、やうやう、かうなるべき事なりければ、ちりばかりも騒がず、紺の二枚襲の上に、ねずみ色の御小袖をぞ着させ給ふ。神璽をば、脇にはさみ、宝剣をば、腰にさし、幼き帝を、抱き奉りて、「われは、女なりとも、敵の手にはかかるまじ。君の御供に参るなり。心ある人々は、これに習へ。」とて、舟の舳に、歩み出でられけり。
帝、御年八歳にて、御髪、肩過ぎさせ給ひ、御顔、いと美しく、あたりも照り輝くばかりなり。あきれたる御様にて、「いづ方へ、われをば、率て行くぞ。」と仰せければ、二位殿、御涙にむせび、「君は、これまでの御運、尽きさせ給ひぬ。前世の御約束にや、悪縁に引かれて、この悪所に来たり給へり。まづ、東に向かはせ給ひて、伊勢大神宮に、御暇申させ給へ。その後、西に向かはせ給ひて、西方浄土の来迎を願はせ給ふべし。波の下にも、都の候ふぞ。」と、泣く泣く、慰め奉る。
帝、小さく美しき御手をあはせ、まづ、東に向かはせ給ひ、その後、西に向かはせ給ひて、御念仏ありしかば、二位殿、抱き奉り、「波の下にも、都の候ふぞ。」と、慰め奉り、千尋の底へぞ、入り給ふ。

【現代語訳】

(壇ノ浦の合戦で敗色が濃くなった平家。帝の祖母である二位殿は、覚悟を決める。)
二位殿は、だんだんと、こうなるべき運命であったのだからと、少しも騒がず、紺色の二枚重ねの衣の上に、ねずみ色の御小袖をお召しになる。三種の神器の一つである神璽(しんじ=神聖な勾玉)を、脇にはさみ、宝剣を、腰にさし、幼い安徳天皇を、抱き申し上げて、「私は、女ではあるが、敵の手にはかかるつもりはない。帝のお供として参るのである。志のある人々は、私に倣え」と言って、舟のへさきへと、歩み出なさった。
帝は、御年八歳で、御髪は、肩を過ぎるほどの長さで、御顔は、たいそう美しく、あたりも照り輝くばかりである。呆然とされたご様子で、「どこへ、私を、連れて行くのか」と仰せになったので、二位殿は、涙にむせびながら、「帝は、これまでの御運が、尽きてしまわれました。前世からの御約束であったのか、悪い因縁に引かれて、この悪い場所(=戦場)に来てしまわれました。まず、東にお向きになって、伊勢大神宮に、お別れを申し上げてください。その後、西にお向きになって、西方浄土からの仏のお迎えをお願いなさいませ。波の下にも、立派な都がございますよ」と、泣く泣く、お慰め申し上げる。
帝は、小さく美しい御手を合わせ、まず、東にお向きになり、その後、西にお向きになって、お念仏を称えなさったので、二位殿は、(帝を)抱き申し上げて、「波の下にも、都がございますよ」と、お慰め申し上げ、千尋の海の底へと、お入りになった。

【覚えておきたい知識】

文学史・古文常識:

  • 作品:『平家物語』。平家の栄華と滅亡を描いた軍記物語。
  • 背景:壇ノ浦の戦い(1185年)。源氏と平家の最後の決戦。この戦いで平家は完全に滅亡した。
  • 登場人物:
    • 安徳天皇:当時8歳の幼い天皇。平清盛の娘・建礼門院徳子が母。
    • 二位殿(にいどの):安徳天皇の祖母・平時子。清盛の正室。出家して「二位尼(にいのあま)」とも。
  • 三種の神器:皇位の証とされる三つの宝物(鏡・玉・剣)。二位殿は、このうち玉(神璽)と剣(宝剣)を携えて入水した。

重要古語:

  • やうやう:だんだん、次第に。
  • ちりばかりも~ず:少しも~ない。
  • ~まじ:~するつもりはない(打消意志)、~べきではない(打消当然)。
  • 御暇申す(おいとまもうす):お別れを申し上げる。
  • 来迎(らいごう):臨終の際に、阿弥陀仏が菩薩たちを連れて迎えに来ること。
  • 千尋(ちひろ):非常に深いことのたとえ。

【設問】

【問1】二位殿が、幼い帝を抱いて自ら海に身を投げるという、極端な行動に出た最大の理由は何か。最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. もはやこれまでと、自分自身の人生に絶望してしまったから。
  2. 神聖な血を引く帝が、敵である源氏の手に捕らえられるという最大の屈辱を避けるため。
  3. 三種の神器を、敵に奪われる前に、海の底へ隠してしまおうと考えたから。
  4. 戦に敗れた責任を取り、一門の長として、自らの命を絶とうとしたから。
  5. 帝を殺してしまえば、源氏が勝利しても天下を治められなくなるだろうと画策したから。
【問1 正解と解説】

正解:2

二位殿の行動の根底にあるのは、平家一門、そして皇族としての誇りです。彼女は「われは、女なりとも、敵の手にはかかるまじ」と、まず自身の覚悟を述べます。当時の価値観では、高貴な者、特に天皇家が敵に生け捕りにされることは、死ぬ以上の屈辱でした。帝を守るべき最後の責任者として、その最大の不名誉を避けるために、彼女は、帝と共に死ぬという、悲壮な道を選んだのです。

【問2】二位殿は、怯える帝に「波の下にも、都の候ふぞ」と語りかける。この言葉に込められた意図と効果として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 帝をだまして油断させ、抵抗できないようにするための、残酷な嘘。
  2. 死の恐怖を和らげ、これから向かう場所が恐ろしい所ではないと、幼い帝を安心させるための、優しい慰め。
  3. 海の底には、平家一門が築く新しい都があるのだという、一門の再興を願う強い意志の表明。
  4. 自分自身に、これから死ぬのではない、新しい都へ移るだけなのだと言い聞かせ、覚悟を固めるための言葉。
  5. 海の神である竜宮城のことを指し、竜神の助けを借りようという、最後の望み。
【問2 正解と解説】

正解:2

幼い帝は「いづ方へ、われをば、率て行くぞ」と、何が起きるのかわからず怯えています。二位殿は、この幼い孫に、これから死ぬのだという残酷な真実を告げることはできません。そこで、「波の下にも都がある」という詩的で、優しい嘘をつくことで、死を「移住」という形に置き換え、帝の恐怖を和らげようとしています。この言葉は、二位殿の深い愛情と、極限状況における痛切なまでの配慮の表れであり、場面の悲劇性を一層高めています。

【問3】『平家物語』冒頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」というテーマは、この「帝、御入水」の場面で、どのように結論づけられているか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 平家一門が、仏教に深く帰依することで、無常の苦しみから救済されることを示している。
  2. 栄華を極めた平家でさえも、その頂点である幼い帝と共に滅び去るという、無常の理の絶対的な厳しさを示している。
  3. たとえ一門が滅びても、帝の血筋さえ生きていれば、再興の可能性があるという希望を示している。
  4. 無常の世においては、個人の力では何もできず、ただ運命に身を任せるしかないという諦観を示している。
  5. どんな悲劇の中にも、二位殿の愛情のような、変わらない人間の美しい心が存在することを示している。
【問3 正解と解説】

正解:2

物語の冒頭で提示された「盛者必衰(栄える者も必ず滅びる)」という無常のテーマは、この場面でその頂点を迎えます。「平家」という、かつて日本の頂点に立った一門の栄華の象徴であり、血筋の頂点でもある「幼帝」が、何の罪もなく、なすすべもなく、海の底に消えていく。この出来事は、いかなる権力者も、いかなる身分の者も、この世の無常という絶対的な法則からは決して逃れられない、という事実を、最も悲劇的かつ象徴的な形で示しています。平家の物語は、この幼帝の死をもって、その壮大なテーマを完結させるのです。

レベル:難関大レベル|更新:2025-07-24|問題番号:030