古文対策問題 003(伊勢物語「東下り」)
【本文】
むかし、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり。
(中略)
なほ行き行きて、武蔵の国と下総の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。
その河のほとりにむれゐて、思ひやれば、かぎりなく遠くも来にけるかな、とわびあへるに、渡守、「はや舟に乗れ、日も暮れぬ。」と言ふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。
さる折に、白き鳥の、嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡守に問ひければ、「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて、
名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと
とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。
【現代語訳】
昔、一人の男がいた。その男は、自分を(都では)役に立たない者だと思い込んで、京にはいるまい、東国の方に住むのにふさわしい国を探しに行こうと思って出かけた。
(中略)
さらにどんどん進んで行くと、武蔵の国と下総の国の間に、たいそう大きな川がある。それを隅田川という。
その川のほとりで一行は集まって座り、「思い返せば、この上なく遠くまで来てしまったものだなあ」と互いに嘆いていると、渡し守が「さあ早く舟に乗れ、日も暮れてしまうぞ」と言うので、舟に乗って渡ろうとすると、誰もかれもが心細い気持ちで、京に恋しく思う人がいないわけでもない。
そのような折に、白い鳥で、くちばしと脚が赤い、鴫ぐらいの大きさの鳥が、水面で遊びながら魚を食べている。京では見かけない鳥なので、一行は誰も知らない。渡し守に尋ねたところ、「これが都鳥という鳥です」と言うのを聞いて、(男が歌を)
「その名に『都』という言葉を背負っているのならば、さあ、尋ねよう、都鳥よ。私が恋しく思う人は、都で無事でいるのかいないのか、と」
と詠んだところ、舟に乗っている人々は皆そろって泣いてしまった。
【覚えておきたい知識】
作品:『伊勢物語』は平安時代に成立した歌物語。在原業平とされる男の生涯を、和歌を中心に描く。
重要古語:
- えうなし(ようなし):役に立たない、つまらない。
- わびし:つらい、心細い、寂しい。
- なきにしもあらず:「〜ないわけではない」という二重否定による弱い肯定。頻出。
- こと問ふ(言問ふ):尋ねる、問いかける。
- こぞりて:残らず、皆で。
【設問】
【問1】傍線部「京に思ふ人なきにしもあらず」は、どのようなことを表しているか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 都にいる全員のことを、心から大切に思っているということ。
- 都には恋しい人など一人もいないと、強がっているということ。
- 都に心残りがなく、東国での新しい生活に期待しているということ。
- 口には出さないが、都に恋しい人を残してきているということ。
- 都での辛い思い出があり、思い出す人もいないということ。
【問1 正解と解説】
正解:4
「なきにしもあらず」は「ないわけではない」という二重否定の構文で、遠回しな肯定を表します。一行が「ものわびしく」感じている文脈で使われていることから、都での生活に嫌気がさして出てきたものの、やはり都に残してきた恋しい人への未練や望郷の念があることを、奥ゆかしく表現しています。これが後の「舟こぞりて泣きにけり」というクライマックスへの伏線となります。
【問2】男が詠んだ和歌について、人々が「舟こぞりて泣きにけり」とあるように、一行の涙を誘った最大の要因は何か。最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 旅の辛さを的確に表現した、歌の完成度の高さ。
- 「都」という名の鳥との出会いが、抑えていた望郷の念をかき立てたこと。
- 鳥に話しかけるという、男の現実離れした奇妙な行動。
- 自分たちの運命を鳥に尋ねるという、切羽詰まった状況への同情。
- 都では見られない鳥を目にしたことで、故郷が遠いことを改めて実感したこと。
【問2 正解と解説】
正解:2
一行はすでに「ものわびしく」感じ、望郷の念を抱いています(問1参照)。そのタイミングで、偶然にも「都」という名前を持つ鳥に出会います。男の歌は、この「都鳥」の名をきっかけに、皆が心の中に秘めていた都への想い、残してきた人への想いを代弁する形となりました。この偶然の一致と、歌による感情の代弁こそが、人々の涙腺を崩壊させた最大の要因です。