古文対策問題 028(曽根崎心中「道行」)
【本文】
(醤油屋の手代・徳兵衛と、遊女・お初が、Sonezakiの森へ心中しに行く場面)
語り:
この世のなごり、夜もなごり。死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜。一足づつに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ。
あれ数ふれば、暁の七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘のひびきの聞き納め。寂滅為楽とひびくなり。
徳兵衛:
鐘ばかりかは、草も木も、空もなごりと見納めて、そなたもなごり、お初もなごり。
語り:
互ひに言ひ交はし、顔と顔とを見合はせて、涙にくるる。
梅田の橋をかち渡り、死ぬ覚悟はかねてより、心に決まる橋なれや。
【現代語訳】
(醤油屋の手代・徳兵衛と、遊女・お初が、曽根崎の森へ心中しに行く場面)
語り:
この世との別れ、この夜との別れでもある。死にに行く我が身をたとえるなら、墓地であるあだしが原の道に降りた霜のようだ。一歩進むごとに(命が)消えていく、夢の中の夢のような(はかない)道行は、まことに哀れである。
あれを聞いて数を数えれば、夜明けを告げる七つの鐘が六つまで鳴って、残る一つが、この世で聞く最後の鐘の響きとなるだろう。(その鐘の音も、仏教の)「寂滅為楽(じゃくめついらく=煩悩を滅した悟りの境地こそが真の安楽である)」と響いているように聞こえる。
徳兵衛:
鐘の音ばかりだろうか、いや、草も木も、空も、これが見納めだと見つめ、お前(の顔)も見納め、私も(お前の顔を)見納め。
語り:
互いに言葉を交わし、顔と顔とを見つめ合っては、涙にくれるのであった。
梅田の橋を歩いて渡り、死ぬ覚悟は以前から、心に決まっている橋(=命)であったよ。
【覚えておきたい知識】
文学史・古文常識:
- 作者:近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)。江戸時代前期の浄瑠璃・歌舞伎の作者。「日本のシェイクスピア」とも称される。
- 作品:『曽根崎心中』は、実際に起きた堂島新地の遊女お初と内本町醤油屋の手代徳兵衛の心中事件を脚色した世話物(せわもの=当時の町人社会の出来事を描いた作品)。人形浄瑠璃として上演され、大評判となった。
- 道行(みちゆき):劇中で、登場人物が目的地へ向かう道中の場面。特に、男女が死場所へ向かう道行は、七五調の美しい詞章で綴られ、見せ場・聞かせ場となる。
- 義理と人情:江戸時代の町人社会を貫く重要な価値観。
- 義理(ぎり):社会的な付き合いや、世間体、守るべき筋道。
- 人情(にんじょう):人間としての自然な愛情や感情。
- 近松の世話物は、この「義理」と「人情」の板挟みになった人々が、最終的に「死」によって愛(人情)を貫く悲劇を描くことが多い。
重要古語・語句:
- なごり(名残):別れ。見納め。
- あだしが原(化野):京の西郊にあった墓地。はかないものの象徴。
- 今生(こんじょう):この世。現世。
- 寂滅為楽(じゃくめついらく):涅槃経の言葉。煩悩の炎が消えた静かな悟りの境地こそが、真の安楽であるということ。
- かち渡り:歩いて渡ること。
【設問】
【問1】冒頭の「死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜」という比喩は、お初と徳兵衛の運命について、どのようなことを示唆しているか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 二人の愛が、霜のように純粋で、けがれのないものであったこと。
- 二人の命が、夜明けと共に消えてしまう霜のように、儚く、はかないものであること。
- 二人の進む道が、霜の降りる道のように、非常に寒く、厳しいものであること。
- 二人の死が、霜のように、やがては溶けて忘れ去られてしまう運命にあること。
- 二人の心が、霜柱を踏むように、恐怖で張りつめていること。
【問1 正解と解説】
正解:2
「あだしが原」は墓地の名前であり、それ自体が「死」を象徴します。そこに降りる「霜」は、朝日が昇ればすぐに消えてしまう、きわめて儚いものの代表です。この比喩は、死に向かって一歩一歩進んでいる二人の命が、まさにその霜のように、夜明けと共に消え去ってしまう運命にあるという、彼らの命の儚さと、死の切迫感を強く示唆しています。
【問2】本文では、鐘の音が「寂滅為楽とひびくなり」と表現されている。死に向かう二人の耳に、鐘の音がそのように聞こえたのはなぜか。その解釈として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 鐘の音が、二人の犯した罪の深さを告げ、反省を促しているように聞こえたから。
- 鐘の音を聞き、二人がこれから死ぬことへの恐怖で、錯乱状態に陥ってしまったから。
- 鐘の音が、義理に縛られた苦しいこの世から解放され、死によって安楽を得られるのだと、二人を肯定しているように聞こえたから。
- 鐘の音が、二人に死を思いとどまるよう、仏の慈悲を説いているように聞こえたから。
- 鐘の音が、この世への未練を断ち切るための、最後の合図のように聞こえたから。
【問2 正解と解説】
正解:3
「寂滅為楽」とは、煩悩が消えた悟りの境地こそが真の安楽である、という仏教の教えです。義理と人情の板挟みとなり、この世では愛を貫けなかった二人にとって、「死」は、その全ての苦しみから解放される唯一の道です。したがって、これから死のうとする彼らにとって、鐘の音は、自分たちの選択が、苦しい現世(=煩悩)を捨てて、真の安楽(=寂滅)へ向かう正しい道なのだと、肯定し、祝福してくれているように聞こえるのです。
【問3】この「道行」の場面は、七五調を基本とするリズミカルで美しい文体で描かれている。悲劇的な場面を、あえてこのような詩的な文体で描くことの効果として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 美しい言葉を使うことで、二人の死の悲劇性を和らげ、観客が暗い気持ちにならないように配慮している。
- リズミカルな文体によって、物語のテンポを速め、観客を飽きさせないように工夫している。
- 二人の悲しい心情と、それを彩る美しい情景や言葉を融合させることで、悲劇性を芸術的な感動へと高めている。
- これは人形劇の脚本なので、人形遣いが動きやすいように、単純でリズミカルな言葉を選んでいる。
- 難解な仏教用語を美しい言葉で飾ることで、観客にその教えをわかりやすく伝えようとしている。
【問3 正解と解説】
正解:3
この文体の効果は、悲しみを和らげることではありません。むしろ、逆です。美しい比喩(道の霜)、情景(有明の月)、そして音楽的な七五調のリズムに乗せて二人の悲痛な心情が語られることで、観客は彼らの悲劇に深く感情移入します。現実に起きればただ痛ましいだけの出来事を、言葉の力で美しく彩ることによって、観客の涙を誘い、忘れがたい芸術的な感動(=悲劇のカタルシス)へと昇華させているのです。