古文対策問題 026(源氏物語「橋姫」)

【本文】

(宇治の八の宮を訪れた薫が、宮の姫君たちの様子を垣間見る場面)
山の鳥、心々にあちこち鳴きかはし、おもしろき夕暮れの空も、なにとなく、袖ぬるる心地するに、例の、御仏のお勤め暮れ果てて、端近う出で給へる人々のけはひ、あてはかに、いと、もの深くすみたる所のさまなり。
琵琶、箏の琴、あひて、すみやかに掻き鳴らし給へる、山の嵐に響きあひて、松の風、通ひ、川の音、添ひて、すごく、おもしろく聞こゆ。…(中略)…
「なまめかしく、あてやかなる御ありさまどもかな。かかる人に、宮仕へのやうならむ、きらきらしき所にて、もてかしづかれ給はまし、いかめしからまし。」と思ふにも、涙ぞ落つる。「世の常の人のやうに、軽々しき方に、もてなしたてまつらば、いとほしからむ。」など、やうやう、近まさりて、見たてまつらむことを、心にかけ給ふ。

【現代語訳】

(宇治の八の宮を訪れた薫が、宮の姫君たちの様子を垣間見る場面)
山の鳥が、思い思いにあちこちで鳴き交わし、趣深い夕暮れの空も、何となく、袖が涙で濡れるような気持ちがする時に、いつもの、御仏へのお勤めがすっかり終わって、縁側に近い所へ出ていらっしゃる姫君たちのご様子は、高貴で、たいそう、奥ゆかしく暮らしている所のありさまである。
琵琶と、箏の琴を合わせて、よどみなくお弾きになっているのが、山の嵐の音と響き合い、松を渡る風の音が通い、川の音がそれに加わって、もの寂しくも、また趣深く聞こえる。…(中略)…
(薫は心の中で思う)「若々しく美しく、高貴なご様子の方々だなあ。このような方々が、宮仕えのような、きらびやかな場所で、大切にお世話されたならば、さぞ立派に見えるだろうに」と思うにつけても、涙が落ちる。「世間並みの人のように、軽々しい身分の相手として(この姫君たちを)お扱い申し上げるならば、それはまことに気の毒なことだろう」などと、(思いは)ますます募って、近くで(姫君たちを)お見かけしたいものだと、心におかけになる。

【覚えておきたい知識】

文学史・古文常識:

  • 作品:『源氏物語』の最終盤、第四十五帖「橋姫」から第五十四帖「夢浮橋」までの十帖を、特に「宇治十帖(うじじゅうじょう)」と呼ぶ。
  • 登場人物:
    • 薫(かおる):光源氏の子とされているが、実は柏木と女三の宮の不義の子。生まれつき体に芳香がある。真面目で思索的な性格。
    • 八の宮(はちのみや):桐壺帝の第八皇子。光源氏の異母弟にあたる。不遇な政治的運命から、俗世を離れて宇治で仏道に専念している。
    • 大君(おおいぎみ)・中の君(なかのきみ):八の宮の二人の娘。都の華やかさとは無縁に、宇治でひっそりと暮らす。
  • 垣間見(かいまみ):男性が、簾や垣根の隙間などから、中にいる女性の姿をこっそり覗き見ること。平安時代の物語における、恋愛の重要な発端となる場面。

重要古語:

  • けはひ(気配):様子、雰囲気、感じ。
  • あてはかなり(貴はかなり):高貴だ、上品だ。
  • すさまじ:(本文では「すごく」)もの寂しい、殺風景だ。趣深いという意味合いも持つことがある。
  • なまめかし:若々しく美しい、優美だ。
  • もてかしづく:大切に世話をする、大事に育てる。
  • いかめし:威厳がある、立派だ。
  • いとほし:気の毒だ、かわいそうだ。

【設問】

【問1】薫が、姫君たちの住まいや暮らしぶりを見て、最初に抱いた印象はどのようなものか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 都の華やかさに慣れた目には、あまりに田舎びていてみすぼらしいという印象。
  2. 人里離れた暮らしをしているため、どこか世間ずれしていて風変わりだという印象。
  3. 質素な暮らしの中にも、隠しきれない高貴な気品と奥ゆかしさがあるという印象。
  4. 仏道に専念するあまり、音楽などの楽しみを忘れた、暗く寂しい暮らしぶりだという印象。
  5. 山の自然と一体となり、野性的な力強さにあふれているという印象。
【問1 正解と解説】

正解:3

薫は、姫君たちの様子を「あてはかに、いと、もの深くすみたる所のさまなり」と評しています。「あてはかなり」は高貴な身分にふさわしい上品さを、「もの深く」は奥ゆかしさを表します。つまり、宇治という寂しい場所での質素な暮らしにもかかわらず、彼女たちの立ち居振る舞いには、育ちの良さからくる気品が自然に表れていることに、薫は深く感動しているのです。

【問2】薫が、姫君たちのことを思って「涙ぞ落つる」とあるが、この時の彼の心情として、最も複雑に絡み合っている感情の組み合わせはどれか。

  1. 姫君たちの美しさへの【感動】と、彼女たちを都へ連れ帰りたいという【願望】。
  2. 姫君たちの境遇への【同情】と、そのような素晴らしい人々が世に埋もれていることへの【嘆き】。
  3. 姫君たちの演奏技術への【称賛】と、自分の音楽の腕が及ばないことへの【劣等感】。
  4. 姫君たちに出会えたことへの【喜び】と、彼女たちが自分の身分を知らないことへの【不安】。
  5. 姫君たちの父親である八の宮への【尊敬】と、その娘たちを覗き見ていることへの【罪悪感】。
【問2 正解と解説】

正解:2

薫は姫君たちの「なまめかしく、あてやかなる御ありさま」に感動しつつも、「かかる人に、宮仕へのやうならむ、きらきらしき所にて、もてかしづかれ給はまし(こんなに素晴らしい方々が、もし宮仕えのような華やかな場所で大切にされたならば)」と、彼女たちが本来いるべき場所(都)にいない現状を嘆いています。つまり、彼女たちの素晴らしさを認めれば認めるほど、その才能や身分が埋もれてしまっている不遇な境遇が気の毒(いとほし)に思えるのです。この、才能への称賛と、その不遇な境遇への深い同情と嘆きが、彼の涙の源泉となっています。

【問3】この場面における薫の人物像は、『源氏物語』前半の主人公である光源氏の若い頃と比べて、どのような特徴を持つと考えられるか。

  1. 社交的で情熱的な光源氏に比べ、内向的で物事を深く思い悩む、思索的な性格。
  2. 和歌や音楽の才能を誇示した光源氏に比べ、芸術には全く関心を示さない、現実的な性格。
  3. 多くの女性と関係を持った光源氏に比べ、一人の女性をひたすら愛し抜こうとする、一途な性格。
  4. 自らの政治的野心のために女性を利用した光源氏に比べ、相手の幸福を第一に考える、献身的な性格。
  5. 運命に翻弄された光源氏に比べ、自らの力で運命を切り開こうとする、強い意志を持つ性格。
【問3 正解と解説】

正解:1

光源氏の若い頃は、自ら積極的に行動し、情熱的に女性にアプローチする場面が多く描かれます。それに対し、この場面の薫は、直接行動を起こす前に、遠くから様子をうかがい、相手の境遇に深く同情し、涙を流すなど、非常に内省的で思索的な行動をとっています。彼の関心は、相手をどうにかするという情熱よりも、その場の雰囲気や相手の心情を深く味わい、共感する「もののあはれ」の感覚にあります。この内向的で、物事を深く思い詰める性格が、光源氏とは対照的な、薫という人物の最大の特徴です。

レベル:難関大レベル|更新:2025-07-24|問題番号:026