古文対策問題 024(今昔物語集「池の尾の禅智内供の鼻」)
【本文】
今は昔、池の尾に、禅智内供と云ふ僧ありけり。鼻、長さ五、六寸ばかりにして、あごの下に垂れ下りて、形、異様なりければ、内心に、これを苦に病みけり。物を食ふ時は、大きなる鍵を以て、鼻をかき上げて、物を食ひけり。然らざれば、鼻、物の中に入りて、食はれざりければなり。
内供、密かに、鼻の短くならむずる法を求めけるに、或る人の云はく、「これ、たやすき事なり。熱き湯を以て、鼻をよくよく浸して、熱き時に、よくよく踏むべし。然れば、必ず、短くならむ。」と。内供、これを聞きて、「尤も然るべし。」と思ひて、密かに、この法を行ふに、まことに、鼻、少し短くなりぬ。内供、大きに悦びて、その後、怠らず、日々、この事を行ふに、鼻、殊に短くなりて、常の人の鼻の如くなりぬ。
内供、大きに悦びて、「今は、人、我を咲はざらむ。」と思ひて、心、安くおぼえけり。
【現代語訳】
今となっては昔のことだが、池の尾という所に、禅智内供という僧がいた。鼻が、長さ五、六寸(約15~18センチ)ほどあって、あごの下まで垂れ下がり、形が、普通ではなかったので、心の中では、これを苦にして悩んでいた。物を食べる時は、大きな鉤(かぎ)で、鼻をかき上げて、物を食べた。そうしないと、鼻が、食べ物の中に入ってしまって、食べられなかったからである。
内供は、ひそかに、鼻が短くなる方法を探し求めていたところ、ある人が言うには、「これは、たやすいことです。熱い湯で、鼻をよくよく浸して、熱いうちに、よくよく踏むのがよい。そうすれば、必ず、短くなるでしょう」と。内供は、これを聞いて、「もっともなことだ」と思って、ひそかに、この方法を試すと、本当に、鼻が、少し短くなった。内供は、大いに喜んで、その後、怠ることなく、毎日、このことを行うと、鼻は、とりわけ短くなって、普通の人の鼻のようになった。
内供は、大いに喜んで、「これで、もう、人は、私のことを笑わないだろう」と思って、心が、安らかに感じられた。
【覚えておきたい知識】
文学史・古文常識:
- 作品:『今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)』は平安時代末期に成立した、全三十一巻に及ぶ日本最大の説話集。作者未詳。
- 構成と文体:インド(天竺)・中国(震旦)・日本(本朝)の三部構成で、千以上の説話が収められている。「今は昔、~けり」で始まり、「~とナム語り伝へたるとや」で結ばれる形式が多い。和漢混交文で書かれ、簡潔で力強い文体が特徴。
- 近現代文学への影響:この話は、芥川龍之介の短編小説『鼻』の元ネタとして非常に有名。古典が、時代を超えて新たな作品の着想源となる好例である。
重要古語:
- 今は昔(いまはむかし):『今昔物語集』の各話の冒頭に置かれる決まり文句。今となっては昔のことだが。
- 内供(ないぐ):朝廷から供応を受ける高僧の称。
- 異様なり(ことようなり):普通とは様子が違う、風変わりだ。
- 病む(やむ):病気になる、悩む、苦しむ。
- 然らざれば(しからざれば):そうでなければ。
- 尤も(もっとも):なるほどもっともだ、道理だ。
- 咲ふ(わらう):笑う。古文では「咲」の字を当てることがある。
【設問】
【問1】禅智内供が「内心に、これを苦に病みけり」とあるが、彼の苦しみの最も大きな原因は何か。最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 鼻が長すぎて、食事をするのに大変な不自由を強いられていたこと。
- 鼻の治療法を探すために、僧侶としての修行に集中できなかったこと。
- 普通とは違う自分の鼻の形を、他人から笑われるのではないかと気に病んでいたこと。
- 鼻のせいで、仏前でのお勤めを満足に行うことができなかったこと。
- 生まれつきの身体的な特徴は、仏の教えに背いても変えるべきではないと悩んでいたこと。
【問1 正解と解説】
正解:3
食事の不便さも描かれていますが、彼の苦しみの核心は、鼻が短くなった後の彼の喜びの言葉に表れています。彼は「今は、人、我を咲はざらむ(これで、もう、人は、私のことを笑わないだろう)」と思って、「心、安くおぼえけり」と感じています。このことから、彼が最も苦しんでいたのは、物理的な不便さ以上に、他人の目を意識し、自分の異様な外見を笑われることへの恐怖、つまり精神的な苦痛であったことがわかります。
【問2】この物語に登場する禅智内供は、僧侶でありながら、どのような人間的な弱さを持つ人物として描かれているか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 他人の助言をすぐに信じてしまう、軽率さ。
- 自分の身体的な欠点に悩み、世間体を気にする、虚栄心。
- 目的のためには、どんな手段もいとわない、非情さ。
- 一度手に入れた安楽な生活を、手放したくないという、執着心。
- 自分だけが不幸であると思い込む、自己中心的な性格。
【問2 正解と解説】
正解:2
内供は、仏道に仕える高僧でありながら、その関心は悟りや衆生済度ではなく、ひたすら自分の「鼻」に向いています。これは、世俗的な悩みそのものです。他人の評価を過剰に気にして、自分の外見にこだわり、それが改善されると大喜びする姿は、悟りとは程遠い、人間誰しもが持つ「虚栄心」や「世間体」という弱さを象徴的に示しています。作者は、高僧でさえも、そうした人間的な弱さからは逃れられない、という視点で彼を描いているのです。
【問3】『今昔物語集』の説話として、この物語が読者に伝えようとしている隠れたメッセージは何か。最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- どんな悩みでも、努力と工夫次第で必ず解決できるということ。
- 人の外見をからかったり、笑いものにしたりしてはならないということ。
- 僧侶たる者、世俗的な悩みに心を奪われず、修行に専念すべきであるということ。
- 人間の幸福は、結局のところ、他人の評価によって左右されるということ。
- 身体的な欠点にこだわる人間の姿は、どこか滑稽で、哀れなものであるということ。
【問3 正解と解説】
正解:5
『今昔物語集』の多くの説話は、人間の赤裸々な姿を、時に突き放したような客観的な視点で描きます。この物語も、内供の深刻な悩みを、どこかコミカルな筆致で描いています。食事の際の鉤の話や、鼻を踏んで治すという荒療治は、読者の笑いを誘います。一人の人間が、人生を左右するほど深刻に悩んでいることが、傍から見ればいかに滑稽に見えるか。作者は、内供の苦悩を、人間の持つ普遍的な「業(ごう)」や「執着」の現れとして捉え、その姿に哀れみを感じつつも、どこか突き放した視点でその滑稽さを描き出していると考えられます。