古文対策問題 023(十六夜日記「旅立ちの月」)

【本文】

夢のうちにも、うつつにも、忘れむとせしど、忘られぬ事のみ、多かるに、また、この秋、はるかなる東路の末を、思ひ立つことありて、心細さ、やる方なし。さはいへど、たのむ所ある人は、さしもあらじ。子のため、身のため、かねてより、思ひ定めつる事なれば、神仏の御助け、疑ひなし、と思ひ立ちぬ。
十月十六日の夜、有明の月を、ひとりながめて、出で立ちぬ。前途の事、思ひやられて、いと心細し。都の空の、なごりだに、慕はしく、見捨てがたき心地すれど、さだめなき命のほど、思ひ知られて、心を強く、思ひなして、旅の空に、心をすすめ、詠める歌、

 旅の空、これやわが身の 行く末も、おぼつかなかる 有明の月

【現代語訳】

夢の中でも、現実でも、忘れようとしても、忘れられないことばかりが多い上に、また、この秋、遥か遠い東国への道の果て(=鎌倉)へ、旅立とうと決心することがあって、心細さは、どうしようもない。そうは言うものの、頼りにするところがある人は、それほどでもないだろう。(私には頼るべき人もいないが、)子の為、我が身の為、以前から、思い定めていたことなので、神仏のお助けは、疑いない、と決心した。
十月十六日の夜、夜明けの空に残る月を、独り眺めて、出発した。これからの旅路のことが、自然と思いやられて、たいそう心細い。都の空の、名残さえも、恋しく、見捨てがたい気持ちがするけれど、定めのない命の程が、思い知らされて、心を強く、思い直して、旅の空へと、心を向けて、詠んだ歌、

(これから旅立つ空よ、これこそが私の身の行く末なのだろうか、おぼつかなく、頼りないことよ、この有明の月は。)

【覚えておきたい知識】

文学史・古文常識:

  • 作者:阿仏尼(あぶつに)。鎌倉時代中期の女流歌人。藤原為家の側室。
  • 作品:『十六夜日記(いざよいにっき)』は、作者が亡き夫から子・為相(ためすけ)に譲られた所領をめぐる訴訟のため、京から鎌倉へ下った際の旅日記。紀行文であり、訴訟記録の側面も持つ。
  • 日記の名称:旅立ちが陰暦十月十六日の夜であったことに由来する。「十六夜(いざよい)」は、満月(十五夜)より少し遅れて、ためらうように(いざようように)月が昇ることから言う。その月の姿に、作者は自らの境遇を重ね合わせる。

重要古語:

  • うつつ(現):現実。夢の対義語。
  • やる方なし:心の晴らしようがない、どうしようもない。
  • さはいへど:そうは言うものの。
  • かねてより:以前から、前もって。
  • 有明の月(ありあけのつき):夜が明けても、まだ空に残っている月。
  • なごり(名残):別れを惜しむ気持ち、心残り。
  • おぼつかなし:はっきりしない、頼りない、不安だ。

【設問】

【問1】作者が「心細さ、やる方なし」と感じながらも、「神仏の御助け、疑ひなし、と思ひ立ちぬ」と旅立ちを決意できた、その心の支えとなっているものは何か。最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 旅の安全を守ってくれるという、鎌倉幕府からの正式な保証。
  2. 我が子の将来のためという、母としての強い使命感。
  3. 旅先で多くの歌を詠むことで、歌人としての名声が高まることへの期待。
  4. 都での辛い思い出から一刻も早く逃れたいという、切実な思い。
  5. 旅の途中で、亡き夫の旧友たちが助けてくれるという確信。
【問1 正解と解説】

正解:2

作者は旅立ちを決意した理由を「子のため、身のため、かねてより、思ひ定めつる事なれば」と明確に述べています。多くの不安や心細さを抱えながらも、彼女を支え、心を強く持たせているのは、「我が子の将来を守る」という、母としての揺るぎない使命感です。この目的の正当性こそが、「神仏のお助けは疑いない」という確信にも繋がっています。

【問2】作者は旅立ちの際に見た「有明の月」に、自らの境遇を重ね合わせている。この時の「有明の月」が象徴しているものとして、最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 夜明けの光に照らされ、やがて輝きを増していく、希望に満ちた未来。
  2. 暗い夜道を明るく照らし、進むべき道を示してくれる、頼もしい導き。
  3. 夜が明けても消え残っている、都への断ち切れない未練や心残り。
  4. 夜明けの空に頼りなく浮かび、この先の運命がどうなるかわからない、不安な心境。
  5. 満月を過ぎて欠けていく、すでに盛りを過ぎてしまった自らの人生。
【問2 正解と解説】

正解:4

作者は「有明の月」を詠んだ和歌の中で、自分の「行く末も、おぼつかなかる」と、月の様子と自分の未来を直接結びつけています。「おぼつかなし」は、はっきりせず、頼りなく、不安な様子を表す言葉です。夜明けの空に、今にも消えそうに、ぼんやりと浮かんでいる月の姿に、訴訟の行方もわからず、たった一人で旅立つ自分の、心細く、不確かな未来を重ね合わせて見ているのです。

【問3】この日記の冒頭部分からうかがえる、作者・阿仏尼の人物像として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 現実の困難に直面し、ひたすら運命を嘆き悲しむ、か弱い女性。
  2. 深い悲しみや不安を抱えながらも、強い意志と目的意識を持って行動を起こす、知的な女性。
  3. 旅立ちの感傷に浸り、和歌を詠むことだけに心を注ぐ、風流な趣味人。
  4. 神仏への信仰心が篤く、すべての物事を運命として受け入れる、受動的な女性。
  5. 過去をすべて捨て去り、未来のことだけを考えて前向きに進もうとする、楽天的な女性。
【問3 正解と解説】

正解:2

阿仏尼は「心細さ、やる方なし」と、旅への不安や悲しみを率直に吐露しています。しかし、それに押し流されるだけではありません。「子のため」という明確な目的を持ち、「かねてより、思ひ定めつる事」として自らの意志で決断し、「心を強く、思ひなして」旅立ちます。そして、その不安な心情を和歌に昇華させる知性も持ち合わせています。このことから、感傷的でありながらも、現実的な問題解決のために行動を起こす、意志の強い知的な女性像が浮かび上がります。

レベル:共通テスト〜難関私大|更新:2025-07-24|問題番号:023