古文対策問題 022(日本永代蔵「世界の借屋大将」)
【本文】
その身一代に、銀七百貫目もたまるは、この人の仕業にありけり。
ある時、友だち寄り合ひて、伊勢物語を読みけるに、亭主、「我は、いにしへの事は知らず。在原の業平は、銀を何ほども堪へたる人ぞ。」と問ひしに、一座の者、これを聞きて、顔を見あはせ、その心を弁へず。「さればこそ、この亭主の考へは、人の及びがたきところあり。」と、後には感じける。
万の事、しまつを先として、楊枝の先をば、片端づつ使ひ、吸ひ殻の煙草を、雨の降る日には、乾かして用ひ、朝夕の燈火の油、一合づつ桶に入れて、そのほかをば、油屋へ預け置き、泊まりの客来たりても、夜の伽をせさせず、暗きうちより寝させける。誠に、銀を貯むるに、目の明きたる人なり。
【現代語訳】
その人一代で、銀七百貫文も貯まったのは、この人(=藤一)の行いによるものであった。
ある時、友人たちが集まって、『伊勢物語』を読んでいた時に、家の主人(である藤一)が、「私は、昔のことは知らない。在原業平は、銀(お金)をどれくらい貯めた人なのか」と尋ねたところ、その場にいた者たちは、これを聞いて、顔を見合わせ、その言葉の真意を理解できなかった。「だからこそ、この主人の考え方は、常人には思いもよらないところがある」と、後になって感心したということだ。
何事においても、倹約を第一として、楊枝の先は、片方ずつ使い、吸い殻の煙草を、雨の日には、乾かして用い、朝夕の灯火用の油は、一合ずつ桶に入れて、それ以外は、油屋に預けておき、泊まりの客が来ても、夜の話し相手をさせず、暗いうちから寝させて(油を節約し)た。本当に、お金を貯めることにかけては、目の開いた(=熟達した)人であった。
【覚えておきたい知識】
文学史・古文常識:
- 作者:井原西鶴(いはらさいかく)。江戸時代前期の俳諧師、浮世草子作家。町人の経済活動や色恋を、現実的に、時にユーモラスに描いた。
- 作品:『日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)』は、様々な町人が知恵と才覚で富を築く(あるいは失う)話を集めた、日本初の経済小説ともいわれる作品。
- 浮世草子(うきよぞうし):江戸時代に流行した、当時の世相や風俗を描いた小説の総称。特に町人(商人・職人)を主人公とすることが多い。
- 町人(ちょうにん):江戸時代の都市部に住む商人や職人。武士階級とは異なり、経済力で社会に影響力を持つようになった。倹約(始末)や才覚が美徳とされた。
重要古語・語句:
- 仕業(しわざ):行い、すること。
- 堪へる(こらえる):蓄える、所有する。
- 弁へず(わきまえず):理解できない、区別がつかない。
- しまつ(始末):倹約、節約。
- 楊枝(ようじ):歯を掃除する道具、爪楊枝。
- 伽(とぎ):夜、側にいて話し相手などをすること。
- 目の明きたる人:物事に通じている人、熟達した人。
【設問】
【問1】亭主(藤一)が、『伊勢物語』の読書会で「在原の業平は、銀を何ほども堪へたる人ぞ」と尋ねた。この質問が、周りの人々を困惑させ、後に「人の及びがたきところあり」と感心させたのはなぜか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 在原業平が大変な富豪であったことを、自分だけが知っていたから。
- 『伊勢物語』が、恋愛ではなく経済について書かれた物語だと勘違いしていたから。
- 歴史上の偉大な歌人でさえも、金儲けの観点から評価するという、徹底した価値観を持っていたから。
- 友人たちの教養のなさを試すために、わざと意地の悪い質問をしたから。
- 自分は金儲けにしか興味がないということを、間接的に自慢したかったから。
【問1 正解と解説】
正解:3
『伊勢物語』の主人公・在原業平は、平安時代の「みやび」を体現する伝説的な恋愛歌人です。普通、彼を評価する基準は、その和歌の才能や恋の遍歴です。しかし、藤一はそうした文化的価値には一切触れず、ただ「どれくらい金を貯めたか」という一点だけで人物を測ろうとします。この、あらゆる物事を金銭的価値に換算してしまう、常人離れした徹底的な町人根性が、友人たちを驚かせ、ある種の感心へと繋がったのです。
【問2】本文で挙げられている藤一の「しまつ(倹約)」の具体例に共通する、彼の行動原理は何か。最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 人からどう見られるかを常に意識し、倹約家であるという評判を保とうとしている。
- どんなに些細なものであっても、無駄を徹底的に排除し、すべてを金銭的価値に繋げようとしている。
- 健康に良い生活を心がけ、医療費などの将来的な出費を抑えようとしている。
- 自分自身には厳しく、客人や友人に対してはできる限りのもてなしをしようとしている。
- 環境に配慮し、資源を大切に再利用するという、先進的な考え方を持っている。
【問2 正解と解説】
正解:2
楊枝を半分ずつ使う、吸い殻を再利用する、客が来ても油を使わないよう早く寝かす、といった例はすべて、常識では「そこまでしなくても」と思われるような、徹底的な倹約ぶりを示しています。彼の行動原理は、単にお金を大事にするというレベルではなく、どんなに小さな物や事柄(楊枝の先、一滴の油)にも潜在的な金銭的価値を見出し、その無駄を一切許さないという、執念にも似た合理主義です。
【問3】この作品に描かれている町人・藤一の生き方は、それ以前の時代の文学で理想とされた人物像(例:『平家物語』の武士、『源氏物語』の貴公子)と比べて、どのような価値観の変化を示しているか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 家柄や血筋よりも、個人の才能や努力が成功の鍵であるという価値観への変化。
- 恋愛や芸術といった文化的な価値よりも、経済的な成功や合理性が称賛される価値観への変化。
- 主君への忠義や一族の名誉よりも、自分個人の幸福を追求することが許される価値観への変化。
- 来世での救済や悟りを求める宗教的な価値よりも、現世での利益を追求する現実的な価値観への変化。
- 上記のすべて。
【問3 正解と解説】
正解:5
この設問は、文学史全体の流れを問うものです。『源氏物語』の貴公子は「みやび(雅)」を、『平家物語』の武士は「名誉」を、『方丈記』の隠者は「無常の悟り」を理想としました。それに対し、西鶴が描く町人・藤一の理想は、ひたすら「富の蓄積」です。これは、恋愛や芸術(選択肢2)、名誉(選択肢3)、来世(選択肢4)といった従来の価値観とは全く異なり、個人の才覚(選択肢1)による現世での経済的成功(選択肢4)を第一とする、江戸時代の町人社会が生んだ新しい価値観の登場を明確に示しています。したがって、1から4のすべてが、この時代の価値観の変化を的確に捉えています。