古文対策問題 018(おくのほそ道「旅立ち」)

【本文】

月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。
予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひて、年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えむと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて、取るもの手につかず。ももひきの破れをつづり、笠の緒付けかへて、三里に灸すゆるより、松島の月、まづ心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、

 草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家

面八句を庵の柱に懸け置く。

【現代語訳】

月日は、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた旅人である。船頭として舟の上に一生を浮かべ、馬子として馬の口輪を取って老いを迎える者は、毎日が旅であり、旅そのものを住処としている。昔の人々も多くが旅の途上で亡くなっている。
私も、いつの年からか、ちぎれ雲が風に誘われるように、旅に出たいという思いがやむことがなく、海辺をさすらい、去年の秋、隅田川のほとりのあばら家に蜘蛛の古巣を払って(一時住んだが)、年も暮れ、春になって霞が立つ空を見ると、白河の関を越えたいと、そぞろ神(=旅に誘う神)が取り憑いて私の心を狂わせ、道祖神(=旅の安全を守る神)の手招きにあって、何も手につかなくなってしまった。股引の破れを繕い、笠の紐を付け替えて、三里のツボに灸を据えるやいなや、旅先の松島の月が、まず心に浮かんで、住んでいる家は人に譲り、杉風(さんぷう)の別荘へと移るにあたって、(一句詠んだ)。

(私のこの草庵も、住む人が代わる時が来たのだなあ。次の住人によって、雛人形が飾られる家となるのだろう)

この句を含む八句(の歌仙)を、庵の柱に掛けておいた。

【覚えておきたい知識】

文学史・古文常識:

  • 作者:松尾芭蕉(まつおばしょう)。江戸時代前期の俳諧師。俳諧を芸術的な高みに引き上げた。
  • 作品:『おくのほそ道』は、芭蕉が弟子の曾良(そら)を伴い、江戸から東北、北陸を巡って大垣(岐阜県)に至る約五ヶ月間の旅を記した紀行文。格調高い漢文調の散文(俳文)と、旅先で詠んだ俳句から構成される。
  • 旅の動機:西行などの古の歌人の足跡を慕い、歌枕を訪ねる「古人跡尋(こじんせきじん)」の旅であったとされる。

重要古語・語句:

  • 百代の過客(はくたいのかかく):永遠の旅人。
  • 栖(すみか):住居、住処。
  • 片雲の風(へんうんのかぜ):ちぎれ雲を誘う風。あてどない旅へと誘うものの比喩。
  • 漂泊(ひょうはく):あてもなくさまよい歩くこと。
  • そぞろ神:漫然と心をそわそわさせ、旅へと駆り立てる神。
  • 道祖神(どうそじん):旅の安全を守る、路傍の神。

【設問】

【問1】冒頭「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。」の一文に示されている、作者の根源的な世界観はどのようなものか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 人間の一生は、月日や年に比べれば、取るに足らない短いものであるという諦観。
  2. 時間も人間も、絶えず移り変わっていく旅のような存在であるという無常観。
  3. 月日や年は人間を置いて過ぎ去っていくが、旅の思い出は永遠に残るという信念。
  4. 旅をすることで、人間は月日という永遠の存在に少しでも近づけるという期待。
  5. 船頭や馬子のように、常に旅をしている職業は尊いものであるという考え。
【問1 正解と解説】

正解:2

この一文は、『おくのほそ道』全体のテーマを提示しています。作者は、まず「月日」や「年」という、人間を超えた大きな存在そのものを「過客(旅人)」と捉えています。その上で、船頭や馬子、そして古人、さらには自分自身(予)もまた旅人であると続けます。これは、この世のあらゆる存在が、一つの場所にとどまることなく、絶えず移り変わっていく「旅」のようなものであるという、壮大な無常観を示しています。

【問2】作者が旅立ちを決意するに至った直接的なきっかけを、「そぞろ神」という語を用いて説明している。これは、旅への思いがどのような性質のものであったことを表しているか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 綿密な計画と準備に基づく、極めて理性的な判断であったこと。
  2. 他者からの強い勧めや命令による、やむを得ない出発であったこと。
  3. 自分でも抗うことのできない、内から湧き上がる衝動的なものであったこと。
  4. 現実の生活の苦しさから逃れるための、現実逃避的な願望であったこと。
  5. 金銭的な利益を目的とした、実利的な動機であったこと。
【問2 正解と解説】

正解:3

作者は、旅立ちの動機を「そぞろ神の物につきて心を狂はせ」「道祖神の招きにあひて」と、神々の仕業であるかのように表現しています。これは、自分の旅立ちが、損得勘定や合理的な計画によるものではなく、自分自身の意志ではどうにも抑えられない、内面から突き上げてくる衝動的な欲求であったことを示しています。「心を狂はせ」という強い言葉からも、その抗いがたい衝動の激しさがうかがえます。

【問3】旅立ちの際に詠んだ俳句「草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家」について、この句が持つ効果の説明として最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 自分が去った後の庵が荒れ果ててしまうだろうという、寂しい予測を詠んでいる。
  2. 自分の粗末な庵と、雛人形を飾るような華やかな家を対比し、自嘲の念を詠んでいる。
  3. 自分が旅に出ている間、家が雛人形のように小さく感じられるだろうという、旅への期待感を詠んでいる。
  4. 自分の住処もまた「旅人」のように移り変わっていくという無常観を、具体的な情景の中に表現している。
  5. 雛人形を飾るような新しい住人が、旅の安全を祈ってくれるだろうという、他者への信頼を詠んでいる。
【問3 正解と解説】

正解:4

この句は、冒頭の壮大な無常観を、身近な情景に引き寄せて具体化しています。「月日は旅人」であり、自分もまた旅に出る。それと同じように、自分が住んでいたこの「草の戸(粗末な庵)」もまた、一つの場所にとどまることなく、住む人が代わって新しい生活の場(おそらくは女の子のいる家庭を想像させる「雛の家」)へと移り変わっていく。このように、自分自身の旅立ちという出来事を、万物が流転するという大きな世界の法則の一部として捉え、具体的なイメージの中に表現しているのです。単なる感傷ではなく、無常を静かに受け入れる作者の心境が示されています。

レベル:共通テスト〜難関私大|更新:2025-07-23|問題番号:018