古文対策問題 017(謡曲『敦盛』)

【本文】

(舞台に、草刈りの男(シテ)と、僧・蓮生(ワキ)が登場する。)

シテ:さて、この浦に、名をば熊谷の次郎直実、今は蓮生法師と申し、御僧の御事で候ふな。
ワキ:さん候。蓮生とは、わが身の事なり。さても、かくの如く問ひ給ふは、いかなる人にてましますぞ。
シテ:これは、この浦の者に候へども、ただ、御辺に、ゆかりある者なり。
ワキ:げに、ゆかりあるよしをば、再三のたまへども、なほ、その名をば、名のり給はず。いかなる者にて、ましますぞ。
シテ:実に、これは、敦盛の縁の者にて候ふなり。さては、念仏のひまひまには、ただ、一管の笛を吹かせ給ひて、御菩提を弔ひ給へ。…(中略)…この身は、これにて、失せ候ふなり。暇申して、さらば、とて、入相の鐘に紛れて、かき消すやうに、失せにけり。

【現代語訳】

(草刈りの男が、僧・蓮生に語りかける)

草刈男(シテ):さて、この一ノ谷の浦に、「名を熊谷の次郎直実、今では蓮生法師と申す」というのは、あなた様のことですね。
蓮生(ワキ):その通りです。蓮生とは、私のことです。それにしても、このように(私のことを)お尋ねになるあなたは、どういう方でいらっしゃるのですか。
草刈男(シテ):私は、この浦の者ではありますが、ただ、あなた様と、ご縁のある者です。
蓮生(ワキ):なるほど、ご縁がある旨を、再三おっしゃるけれども、やはり、そのお名前を、名乗りなさらない。一体どういう方でいらっしゃるのですか。
草刈男(シテ):実は、私は、敦盛に縁のある者でございます。つきましては、(あなたが称える)念仏の合間合間には、ただ、一本の笛を吹かれて、敦盛の菩提をお弔いください。…(中略)…私は、これで、失礼いたします。お暇を申し上げて、さようなら、と言って、(折から鳴り響く)入相の鐘の音に紛れて、かき消すように、いなくなってしまった。

【覚えておきたい知識】

文学史・古文常識:

  • 作品:『敦盛』は室町時代に世阿弥によって作られたの演目。ジャンルは、亡霊が主役となる夢幻能(むげんのう)。
  • 背景:『平家物語』の一ノ谷の合戦で、源氏方の武将・熊谷直実(くまがいなおざね)が、我が子と同じ年頃の平家の公達・敦盛を討ち取った逸話に基づく。戦の無常を感じた直実は、後に出家して蓮生法師(れんしょうほうし)となり、敦盛の菩提を弔った。
  • シテとワキ:能の主要な登場人物。
    • シテ:主役。この場面では草刈男の姿で現れるが、その正体は敦盛の亡霊(後シテとして甲冑姿で再登場する)。
    • ワキ:シテの相手役。多くは旅の僧などで、シテの物語を引き出す役割を担う。この曲では蓮生法師。

重要古語:

  • 候ふ(さうらふ):「あり」「をり」の丁寧語。「です」「ます」「ございます」。
  • 御辺(ごへん):二人称。あなた様。主に男性が同等か目下の相手に用いるが、敬意も含まれる。
  • ゆかり(縁):縁、関係。
  • 菩提を弔ふ(ぼだいをとむらふ):亡くなった人が成仏できるように祈ること。
  • 入相の鐘(いりあいのかね):夕暮れ時に寺でつく鐘。

【設問】

【問1】名も知らぬ草刈男(シテ)が、蓮生法師(ワキ)の過去の名(熊谷直実)を知っており、かつ自分を「ゆかりある者」と述べている。このことから、観客はこの草刈男の正体が誰であると推測できるか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 熊谷直実の古い戦友の亡霊
  2. 熊谷直実が討ち取った敦盛の亡霊
  3. 敦盛の遺族から弔いを頼まれた使者
  4. 熊谷直実の出家前の息子
  5. 敦盛の吹いていた笛の精霊
【問1 正解と解説】

正解:2

ワキである蓮生法師は、かつての武将・熊谷直実です。シテの草刈男は、その蓮生に対して「あなたと縁がある」と述べ、さらに敦盛の菩提を弔うように頼んでいます。熊谷直実にとって、最も深く、宿命的な縁で結ばれている人物は、自らが討ち取った平敦盛に他なりません。これらのヒントから、観客は、この不思議な草刈男の正体が敦盛の亡霊であると推測するのです。これが能における「正体明かし」への伏線となります。

【問2】草刈男(シテ)が、蓮生(ワキ)に対して「一管の笛を吹かせ給ひて、御菩提を弔ひ給へ」と頼んだのはなぜか。その理由として最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 蓮生が笛の名手であることを知っており、その美しい音色で霊を慰めてほしかったから。
  2. 敦盛が戦場にまで笛を持ち込むほどの音楽好きであり、笛の音が何よりの供養になると考えたから。
  3. 読経の代わりに笛を吹くという、当時流行していた新しい供養の形を試してほしかったから。
  4. 蓮生が持っている笛が、実は敦盛の形見であったことを思い出させたかったから。
  5. 笛の悲しい音色によって、蓮生に敦盛を討った罪の重さを改めて自覚させたかったから。
【問2 正解と解説】

正解:2

『平家物語』の元々の逸話において、敦盛は陣中から聞こえる笛の音を風流だと感じ、自らも「小枝(さえだ)」という名の笛を戦場に携えていました。熊谷直実が敦盛の首をはねた後、その笛を見つけて、一層の哀れを誘うという場面があります。つまり、「笛」は敦盛という人物を象徴する重要なアイテムなのです。したがって、敦盛の亡霊(シテ)が、単なる念仏だけでなく、自分にとって最もゆかりの深い「笛」の音を供養として求めるのは、物語の背景に即した、極めて自然な要求と言えます。

【問3】『平家物語』では熊谷直実(武士)と敦盛(武士)の「敵同士の悲劇」として描かれた物語が、能『敦盛』では蓮生(僧)と敦盛の亡霊(霊的存在)の対話として再構成されている。この設定の変更によって、物語のテーマはどのように変化したか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 武士の非情な宿命を描く物語から、戦の無益さを訴える反戦の物語へと変化した。
  2. 敵を討った者と討たれた者の怨念がぶつかり合う、復讐の物語へと変化した。
  3. 歴史的な事実を忠実に再現する物語から、自由な創作を加えた恋愛物語へと変化した。
  4. 現世での対立と悲劇を描く物語から、仏法の力によって敵味方の怨念が解き放たれ、魂が救済される宗教的な物語へと変化した。
  5. 武士社会の出来事を描く物語から、貴族社会の雅な文化を懐かしむ物語へと変化した。
【問3 正解と解説】

正解:4

『平家物語』のテーマは、戦の無常や武士の悲哀にあります。一方、能『敦盛』では、討った側(熊谷)はすでに出家して蓮生となり、討たれた側(敦盛)の菩提を弔っています。そして、討たれた敦盛の亡霊自身が、弔いを求めに現れます。これは、現世での「敵」「味方」という対立構造が、仏法というより高次の価値観の前では意味をなさなくなり、両者が共に救済されるべき存在として描かれていることを示します。つまり、能楽という形式を通して、元の物語が持つ「悲劇性」を、仏教的な「救済」のテーマへと昇華させているのです。

レベル:難関私大レベル|更新:2025-07-23|問題番号:017