古文対策問題 016(十訓抄「大江山」)

【本文】

これも今は昔、小式部内侍、和泉式部が娘にて、歌よみにとられ、世に覚えはなはだしく、ありがたき者にてありけり。
ある時、丹後へ下りける人のもとへ、歌を詠みて遣はしけるを、定頼の中納言、戯れて、「その歌は、丹後へ遣はしける人は、帰りて参りたるか。いかに、いかに。」と、小式部内侍に言ひかけ給ふを、御簾より半らばかり出でて、

 大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立

と詠みかけけり。定頼の中納言、これに返す歌もなく、そら事にて、あさましく思ひて、逃げられにけり。
この歌、小式部内侍、生年十三にて詠めり。その才、父の譲りなりけむ、母の譲りなりけむ、いづれも劣らぬ歌よみなりければ、いづれとも知りがたし。

【現代語訳】

これも今となっては昔のことだが、小式部内侍は、和泉式部の娘であって、歌人として認められ、世間の評判は大変なもので、めったにない優れた人物であった。
ある時、丹後国へ下った人(母の和泉式部)のところへ、(代作してもらうために)歌を詠んで送ったという噂があった。その歌は、丹後へ使いに出した人は、もう帰って参上したのか。(代作してもらった歌は、もう届いたのか)どうだ、どうだ」と、定頼の中納言がからかって、小式部内侍に話しかけなさるのを、(小式部内侍は)御簾から半分ほど身を乗り出して、

(大江山を越え、生野を通る道のりは遠いので、まだ母からの手紙も見ておりませんし、天の橋立の地も踏んでおりません)

と(即興で)詠みかけた。定頼の中納言は、これに返歌をすることもできず、からかいが嘘だとばれて、きまり悪く思って、逃げてしまわれた。
この歌は、小式部内侍が、年齢十三歳の時に詠んだものである。その才能は、父(橘道貞)から譲られたものであろうか、母(和泉式部)から譲られたものであろうか、どちらも劣らぬ歌人であったので、どちらから譲られたものとも判断しがたい。

【覚えておきたい知識】

文学史・古文常識:

  • 作品:『十訓抄(じっきんしょう)』は鎌倉時代中期に成立した説話集。青少年への教訓を目的とし、「人に恵み施すべき事」「才芸を好むべき事」など十カ条の教え(十訓)に沿って逸話が分類されている。
  • 登場人物:
    • 小式部内侍(こしきぶのないし):平安中期の歌人。母は同じく高名な歌人・和泉式部。この話は、彼女の機知と才能を示す有名な逸話。
    • 藤原定頼(ふじわらのさだより):平安中期の公卿・歌人。

重要古語・和歌の修辞:

  • 覚え:評判、寵愛。
  • はなはだし:程度が甚だしい、大変だ。
  • そら事:嘘、偽り。
  • あさまし:驚きあきれるほどだ、情けない。
  • 掛詞(かけことば):一つの言葉に二つ以上の意味を持たせる技法。この歌では、「いく野」に「(地名の)生野」と「(道のりが)行く野」、「ふみ」に「(手紙の)文」と「(足で)踏む」の意味が掛けられている。

【設問】

【問1】定頼の中納言が小式部内侍をからかったのは、どのような噂があったからか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 小式部内侍が、母のいる丹後へ旅立とうとしているという噂。
  2. 小式部内侍が詠む歌は、実は遠い丹後にいる母・和泉式部が代作しているという噂。
  3. 小式部内侍が、定頼の中納言に恋文を送ったという噂。
  4. 小式部内侍が、歌人としての才能が枯渇し、悩んでいるという噂。
  5. 小式部内侍が、父と母のどちらの才能を受け継いだか、世間が噂していること。
【問1 正解と解説】

正解:2

定頼の中納言のからかいの言葉、「その歌は、丹後へ遣はしける人は、帰りて参りたるか(その歌のために丹後へ送った使いは帰ってきたか)」は、遠くにいる母・和泉式部に歌を代作してもらっているのではないか、という意地の悪い当てこすりです。当時、小式部内侍は若くして歌の名手と評判でしたが、偉大な母を持つがゆえに、このような代作疑惑の噂が立っていたのです。

【問2】小式部内侍が詠んだ和歌について、定頼の中納言が「返す歌もなく」「逃げられにけり」となったのはなぜか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 歌の内容が、定頼の中納言への痛烈な悪口だったため、気分を害してその場を去ったから。
  2. 歌の意味が全く理解できず、返歌のしようがなくて恥ずかしくなったから。
  3. 代作の噂が事実無根であることを、見事な即興歌によって証明され、完全に打ち負かされたから。
  4. 歌に込められた悲しい気持ちに同情し、これ以上からかうのはやめようと思ったから。
  5. 自分の問いかけとは全く関係のない歌を詠まれたため、話が通じないと呆れてしまったから。
【問2 正解と解説】

正解:3

定頼のからかいに対し、小式部内侍はその場で即興の歌を返しました。この歌は、「大江山を越える生野への道は遠いので、まだ母からの手紙(文)も見ていませんし、天の橋立の地を踏んでもいません」という意味です。掛詞を巧みに用いて「母に代作など頼んでいません」と鮮やかに反論してみせたのです。このあまりに見事な切り返しと、即興でこれほどの歌を詠む才能を目の当たりにして、定頼はぐうの音も出なくなり、自分のからかいが浅はかであったことを悟って、きまり悪さから逃げ去るしかありませんでした。

【問3】この逸話は、『十訓抄』が示す十カ条の教訓のうち、特にどれを例証するために採録されたと考えられるか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。

  1. 驕慢を離るべき事(傲慢であってはならない)
  2. 朋友を選ぶべき事(友人選びは慎重に)
  3. 才芸を好むべき事(才能や芸事を身につけるべき)
  4. 人に恵み施すべき事(人には情けをかけるべき)
  5. 向後を恐るべき事(将来の結果を考えて行動すべき)
【問3 正解と解説】

正解:3

この物語の核心は、小式部内侍が和歌という「才芸」によって、高位の男性からの意地の悪いからかいを見事に撃退した点にあります。彼女の優れた才能が、彼女自身の尊厳を守り、相手を沈黙させました。このように、身につけた才芸が、いざという時に自分を助け、輝かせる力になるということを示す、典型的な逸話です。『十訓抄』は若者への教訓集であり、この話を通じて「優れた才芸を身につけることは素晴らしいことだ」というメッセージを伝えていると考えられます。

レベル:共通テスト標準|更新:2025-07-23|問題番号:016