古文対策問題 013(徒然草「神無月のころ」)
【本文】
神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入ること侍りしに、はるかなる苔の細道を踏みわけて、心細く住みなしたる庵あり。木の葉に埋もるる懸樋のしづくならでは、つゆおとなふものなし。
閼伽棚に、菊、紅葉など折り散らしたる、さすがに住む人のあればなるべし。かばかりのことも、まづ珍しきに、この庵の主、「もし、かやうの所を好む人ならでは、知らせ給ふな。」と言ひて、賜べたりし柿、栗など、さまざまに、木の葉をうち敷きて、盛りて出されたり。さても、都のつとにもなりぬべき事どもなり。
「この主の心にこそ、はからひどころはあらめ。」と、見る人も、めでつ。すべて、何も皆、事々しからず、うち語らふも、詞少なにて、これも、かの有名な聖の跡に住む人なりけり、とぞ、後に聞き侍りし。
【現代語訳】
十月(神無月)の頃、栗栖野という所を通り過ぎて、ある山里に人を訪ね入ることがございました時に、遥か遠くまで続く苔の細道を踏み分けて行くと、ひっそりと寂しく構えている庵があった。木の葉に埋もれている懸樋の滴の音以外は、まったく音を立てるものがない。
仏に供える水を置く閼伽棚に、菊や紅葉などが折って散らしてあるのは、やはりここに住む人がいるからであろう。これほどの(趣のある)ことも、まずもって珍しく素晴らしいのに、この庵の主が、「もし、このような場所を好む人でなければ、お教えなさいますな」と言って、(私に)くださった柿や栗などを、様々に、木の葉を下に敷いて、盛って出された。それにしても、(これらは)都への土産にもなってしまいそうな(立派な)品々である。
「この主の心遣いにこそ、工夫のしどころ(=真の風流)があるのだろう」と、私と一緒に見ていた人も、褒めた。すべてにおいて、何もかも、大げさでなく、語り合うのも言葉少なで、この人は、かの有名な聖(ひじり)の住居跡に住む人であったのだな、と、後になって聞き及びました。
【覚えておきたい知識】
文学史・古文常識:
- 作者:吉田兼好。鎌倉時代末期の官人・僧侶。
- 作品:『徒然草』は、兼好の思索や見聞を記した随筆。武士や僧侶、隠者の価値観が色濃く反映されており、平安時代の王朝文化とは異なる、質実で内省的な美意識が特徴。
- 聖(ひじり):特定の寺院に属さず、山林などで修行する高徳の僧。世俗的な名誉や富から離れた存在。
重要古語:
- 神無月(かんなづき):陰暦の十月。
- たづね入る:訪ねて入る。
- 侍りし(はべりし):「あり」の丁寧語「侍り」の連用形+過去の助動詞「き」の連体形。丁寧な文体で過去を回想する際に用いる。
- 懸樋(かけひ):水を引くための樋(とい)。
- おとなふ(音なふ):音を立てる、訪れる。
- 閼伽棚(あかだな):仏前に供える水(閼伽)や花を置く棚。
- さすがに:そうは言うもののやはり、なんと言っても。
- つと:土産。
- 事々し(ことごとし):大げさだ、仰々しい。
【設問】
【問1】筆者がこの山里の庵を訪れた際、最初に心を引かれたのはどのような点か。本文に即して最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 人里離れた不便な場所でありながら、非常に豪華な造りの庵であった点。
- 庵の主が、有名な聖の弟子であるとすぐにわかった点。
- 静寂の中に懸樋の水の音だけが響き、人の気配が全く感じられなかった点。
- 静寂でひっそりとした佇まいの中に、閼伽棚の飾りつけなど、住人の洗練された気配が感じられた点。
- 都会では手に入らないような、立派な柿や栗が実っていた点。
【問1 正解と解説】
正解:4
筆者はまず「心細く住みなしたる庵」「つゆおとなふものなし」とその静寂さに触れた後、「閼伽棚に、菊、紅葉など折り散らしたる」という細部に注目し、「さすがに住む人のあればなるべし」と感心しています。これは、ただ寂しいだけでなく、その中に住人の繊細な美意識や暮らしの気配が感じられたことに心を引かれたことを示しています。完全な無ではなく、静寂の中に存在するかすかな人の営みに美しさを見出しているのです。
【問2】庵の主が客をもてなす様子について、筆者や同行者が「この主の心にこそ、はからひどころはあらめ」と感心している。主のどのような「はからひ(工夫・心遣い)」を賞賛しているのか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 高価な器の代わりにありふれた木の葉を敷くことで、質素倹約の精神を示した心遣い。
- 柿や栗という素朴な産物を、木の葉を敷くという自然を生かしたやり方で美しく見せた心遣い。
- 客が土産に持って帰りやすいように、木の葉で柿や栗を丁寧に包んでくれた心遣い。
- 言葉数を少なくすることで、客に余計な気を遣わせまいとする無言の心遣い。
- 自分の庵を本当に気に入った者にしか教えないでほしいと頼む、謙虚な心遣い。
【問2 正解と解説】
正解:2
感心の中心は、もてなしの場面にあります。庵の主は、都への土産にもなりそうな立派な柿や栗を、高価な器ではなく、その辺にある「木の葉をうち敷きて」出す。この行為は、単なる質素さ(選択肢1)だけでなく、自然のものを器として用いることで、山里の風情を最大限に生かし、素朴な産物を一つの芸術品のように見せる洗練された美意識の表れです。この自然と一体となったさりげない工夫、つまり「はからひ」に、筆者たちは感動しているのです。
【問3】この逸話全体を通して、作者・兼好が理想的だと考えている生き方や美意識はどのようなものか。最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 世俗を完全に捨て去り、誰とも関わらずに自然の中で一生を終える生き方。
- 高価な道具や贅沢な装飾を駆使して、日常を芸術的に演出する美意識。
- 多くの言葉を費やして、自分の持つ深い知識や教養を人々と語り合う生き方。
- 質素で静かな暮らしの中に、さりげない工夫で洗練された趣を表現する美意識。
- 身分や名声にとらわれず、すべての客人を平等に、誠心誠意もてなす生き方。