古文対策問題 011(蜻蛉日記「なげきつつ」)
【本文】
(夫の兼家が)「今日は、御嶽に籠る日なり。」など言ひて、まだ宵ながら出で給ひぬ。やがて、人をつけて見すれば、「町の小路なるそこそこの家に、とまり給ひぬ。」とて来たり。
さればよ、と思へど、口惜しきこと限りなし。「ただ、今宵だに、ものものしく、のたまひて出で給はでは、いかにぞや。」と思ひて、心の中には、人知れぬ事を尽くし、恨みむと思へど、なかなか、言ひ出でむも、いとほしければ、
なげきつつ ひとり寝る夜の あくる間は いかに久しき ものとかは知る
これを、ただ、言ひおこせむ、と思ふなり。つれなき人の心は、さて、いかが。
【現代語訳】
(夫の兼家が)「今日は、御嶽(みたけ)に参籠する日なのだ」などと言って、まだ宵の口だというのに出て行きなさった。(怪しいと思って)すぐに、人をつけて(後を追わせて)見させると、「町の小路にある某々の家に、お泊りになりました」と言って(召使いが)帰って来た。
やはりそうだったか、と思うものの、悔しいことこの上ない。「せめて、今夜だけでも、もっともらしく、おっしゃって出て行ってくださらなければ、一体どういうことか(=嘘があからさますぎる)」と思って、心の中では、人知れぬ(恨み)事を言い尽くし、恨んでやろうと思うけれど、かえって、(恨み言を)口に出すようなのも、みっともないので、
(嘆きながら独りで寝る夜が明けるまでの時間が、どれほど長いものであるか、貴方(=夫)はお分かりになるでしょうか、いや、わかるはずもないでしょう)
この歌を、ただ、詠んで送ってやろう、と思うのである。薄情な人の心は、さて、どうであろうか。
【覚えておきたい知識】
文学史・古文常識:
- 作者:藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)。本名不詳。摂政関白・藤原兼家の妻の一人。
- 作品:『蜻蛉日記』は平安時代中期に成立した女流日記文学。作者の約21年間にわたる結婚生活が、夫・兼家との関係を軸に描かれる。理想化された物語とは対照的に、嫉妬、苦悩、諦念といった女性の生々しい心理を克明に記録した、最初の自照的な文学として画期的。
- 通い婚(かよいこん):当時の貴族社会の結婚形態。夫が妻の家に通うのが基本で、有力な男性は複数の妻の家を訪れた(一夫多妻制)。夫の訪れが愛情の証であり、来なくなると女性の立場は不安定になった。
重要古語:
- 宵(よい):日が暮れて間もない頃。夜の初め。
- さればよ:思った通りだ、案の定だ。多くは悪い予感が的中した時に使う。
- 口惜し(くちをし):残念だ、悔しい、情けない。
- なかなか:中途半端に、かえって。
- いとほし:みっともない、気の毒だ。
- 言ひおこす:(こちらから)言ってやる、詠んで送る。
- つれなし:冷淡だ、薄情だ。
【設問】
【問1】夫が他の女性の元へ行ったと知った作者が、「なかなか、言ひ出でむも、いとほしければ」と考えたのはなぜか。その心情として最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 夫の嘘を暴いて問い詰めても、愛情が戻るわけではないと諦めているから。
- 恨み言を口にすることで、自分のプライドが傷つき、かえってみじめになると感じているから。
- 夫を深く愛しているため、彼を困らせるようなことは言いたくないと思っているから。
- 家来たちの前で夫婦喧嘩を見せるのは、みっともないと考えているから。
- 事を荒立てれば、夫が二度と家に来なくなるかもしれないと恐れているから。
【問1 正解と解説】
正解:2
作者は心の中で夫を激しく恨んでいますが、それを直接口に出すことは「いとほし」だと感じています。ここでの「いとほし」は、相手を気の毒に思うのではなく、「(そんなことをする自分が)みっともない、見るに堪えない」という自己嫌悪に近い感情です。嫉妬や恨みをあらわにすることは、貴族女性としての品位や誇りを損なう行為であり、そうすることで自分がより一層惨めな存在になってしまう、という複雑な自尊心が読み取れます。
【問2】和歌「なげきつつ…」に込められた作者の夫に対する思いとして、最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 自分を裏切った夫への強い怒りを、直接的な言葉でぶつけている。
- 自分のもとへ早く帰ってきてほしいという、素直な寂しさを訴えている。
- 独りで待つ私の苦しみをあなたに理解できるはずがない、という皮肉と恨みを込めている。
- いつかあなたも同じ苦しみを味わうことになるだろう、という呪いに近い警告を発している。
- 夜が明けるまでには帰ってきてくれるはずだ、というわずかな希望を託している。
【問2 正解と解説】
正解:3
この歌の末尾「ものとかは知る」の「かは」は反語(~だろうか、いや~ない)です。つまり、「私が嘆きながら独りで過ごす夜の長さなんて、あなたにわかるはずがありましょうか(わかるはずがない)」と問いかける形をとっています。これは、他の女性と楽しく過ごしているであろう夫と、独り苦しむ自分とを対比させ、自分の苦しみを理解しようともしない夫への痛烈な皮肉と恨みを表現したものです。直接的な罵倒ではなく、歌という形式で間接的に、しかし鋭く相手を責めているのが特徴です。
【問3】この日記の作者の姿勢として、最も特徴的な点は何か。本文全体から読み取れるものとして、最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 夫の行動を冷静に観察・記録し、客観的な事実のみを伝えようとしている。
- 起こった出来事に対する自身の内面(疑念、悔しさ、恨み)の動きを克明に記録している。
- 和歌の才能を駆使して、夫との間で知的なやり取りを楽しもうとしている。
- いずれ世間の人々が読むことを意識し、理想的な妻としての姿を演じようとしている。
- 辛い現実から目をそらし、物語の世界に救いを求める空想的な傾向がある。
【問3 正解と解説】
正解:2
『蜻蛉日記』が画期的とされるゆえんは、まさにこの点にあります。作者は、夫が「出で給ひぬ」という出来事に対して、「さればよ、と思へど、口惜しきこと限りなし」→「恨みむと思へど、なかなか…いとほしけれ」→(歌を詠む)というように、自身の心の動きを段階的に、極めて正直に追いかけています。このような自己の内面を深く見つめ、ありのままに記録しようとする自照的な姿勢こそが、この日記の最大の特徴です。