109(『戦国策』楚策 より 虎の威を借る狐)

本文

虎求百獣而食之、得狐。狐曰、「子無敢食我也。(1)天帝使我長百獣。今子食我、是逆天帝命也。子以我為不信、吾為子先行、子随我後、観百獣之見我而敢不走乎。」虎以為然。故遂与之行。獣見之皆走。(2)虎不知獣之畏己而走也、以為畏狐也。
今王之地方五千里、帯甲百万、而専属之昭奚恤。故北方之畏昭奚恤也、(3)其実畏王之甲兵也、猶獣之畏虎也。

【書き下し文】
虎(とら)、百獣(ひゃくじゅう)を求めて之(これ)を食らふに、狐(きつね)を得たり。狐曰く、「子(し)、敢(あ)へて我を食らふこと無(な)かれ。(1)天帝(てんてい)、我をして百獣に長(ちょう)たらしむ。今、子、我を食らはば、是(こ)れ天帝の命(めい)に逆(さか)らふなり。子、我を以(もっ)て信(しん)ならずと為(な)さば、吾(われ)、子の為に先行せん。子、我が後(あと)に随(したが)ひ、百獣の我を見て敢へて走らざらんやを観(み)よ。」と。虎、以て然(しか)りと為す。故(ゆゑ)に遂(つひ)に之(これ)と行(ゆ)く。獣、之を見て皆走る。(2)虎、獣の己(おのれ)を畏(おそ)れて走るを知らざるなり。以て狐を畏るゝと為せり。
今、王の地、方(ほう)五千里、帯甲(たいこう)百万にして、専(もっぱ)ら之を昭奚恤(しょうけいじゅつ)に属(しょく)す。故に北方の昭奚恤を畏るるや、(3)其の実は王の甲兵(こうへい)を畏るるなり、猶(な)ほ獣の虎を畏るるがごときなり。

【現代語訳】
虎が百獣を捕らえては食べていたが、ある時、一匹の狐を捕まえた。狐は言った、「あなたは決して私を食べてはならない。(1)天の神は、私をすべての獣の王にお命じになったのだ。もし今あなたが私を食べるなら、それは天の神の命令に背くことになる。もしあなたが私の言うことを信じないのなら、私があなたのために前を歩いてみせよう。あなたは私の後についてきて、獣たちが私を見て逃げ出さないでいられるかどうか、ご覧なさい。」と。虎は、なるほどそうかと思った。そこでとうとう狐と一緒に行くことにした。獣たちは、彼ら(が連れ-立って来るの)を見て、皆逃げ出した。(2)虎は、獣たちが自分を恐れて逃げ出したのだとは気づかなかった。そして、(獣たちは)狐を恐れているのだと思い込んだ。
(場面は変わり、楚の国の朝廷での議論となる) さて今、王様(楚の宣王)の領地は五千里四方、武装した兵士は百万を数えますが、その全権を(大臣の)昭奚恤に任せておられます。ですから、北方の国々が昭奚恤を恐れているのは、(3)その実、王様の軍隊を恐れているのであって、ちょうど獣たちが虎を恐れるのと同じようなものなのです。

【設問】

問1 傍線部(1)「天帝使我長百獣」という狐の言葉の、戦略上の狙いとして最も適当なものを次から選べ。

  1. 虎よりも上位の権威を持ち出すことで、虎が手出しできない状況を作り出すため。
  2. 自分は神聖な生き物であると信じ込ませ、虎に畏敬の念を抱かせるため。
  3. 自分を食べると天罰が下るという恐怖心を、虎に植え付けるため。
  4. 自分は百獣の王なのだから、虎は自分の家来になるべきだと説得するため。
【解答・解説】

正解:1

狐は、虎との力の差では絶対に勝てないことを知っている。そこで、虎でさえも逆らうことのできない「天帝」という絶対的な権威を持ち出した。これにより、単なる「虎と狐」という力の勝負から、「虎と天帝の命令」という権威の勝負へと土俵を転換させ、虎が自分に手出しできない状況を作り出そうとしたのである。これは、弱者が強者に立ち向かうための巧みな戦略である。

問2 傍線部(2)「虎不知獣之畏己而走也、以為畏狐也」とあるが、虎がこのような勘違いをした根本的な原因は何か。最も適当なものを次から選べ。

  1. 狐の巧みな嘘と、その嘘を裏付けるかのような目の前の光景に、完全にだまされてしまったから。
  2. 自分の威厳が、他の獣たちにそれほど恐れられているとは、自覚していなかったから。
  3. 狐のあまりに堂々とした態度に、本当に特別な力があるのではないかと圧倒されてしまったから。
  4. 普段から獣たちが自分を避けていたので、その状況を特に不思議に思わなかったから。
【解答・解説】

正解:1

虎が勘違いした原因は複合的だが、最も根本的なのは、狐が仕掛けた罠にはまったことである。狐はまず「天帝が私を王にした」という嘘を吹き込み、次に「獣たちが私を見て逃げるだろう」という「証明」を提示した。そして、実際に獣たちが逃げた。虎は、この「狐の言葉」→「現実の出来事」という流れをそのまま信じ込み、獣たちが逃げた原因を「狐を畏れているから」だと結論づけてしまった。自分の威光という別の可能性を考えなかった、虎の単純さも要因だが、根本には狐の巧みな策略がある。

問3 傍線部(3)「其実畏王之甲兵也」という結論を導き出すために、語り手はこの寓話を用いている。この寓話と現実の対比として、正しい組み合わせを次から選べ。

  1. 狐-楚王、虎-昭奚恤、百獣-北方の国々
  2. 狐-昭奚恤、虎-楚王、百獣-北方の国々
  3. 狐-北方の国々、虎-楚王、百獣-昭奚恤
  4. 狐-昭奚恤、虎-北方の国々、百獣-楚王
【解答・解説】

正解:2

この寓話は、力の実体とその見かけの関係を説いている。「虎」は、本当の力の源泉であり、本文では「王之甲兵(王の軍隊)」、つまり「楚王」の力に相当する。「狐」は、その虎の威光を借りて威張っている存在であり、「昭奚恤」に相当する。そして、その見かけの力に恐れをなしている「百獣」が、「北方の国々」に相当する。

【覚えておきたい知識】

重要句法

重要単語

背景知識:虎の威を借る狐(とらのいをかるきつね)

出典は『戦国策』楚策。この話は、楚の宣王が、北方の国々が大臣の昭奚恤を恐れていると聞き、その理由を家臣に尋ねた際に、江乙という人物が答えた寓話である。権力のない者が、有力者の権勢をかさに着て威張ることのたとえとして、現代でも広く使われる。原文では、この話の後に「王が土地や軍隊の実権を昭奚恤に与えているから、皆彼を恐れるのです。もし実権を他の者に与えれば、皆その者を恐れるようになるでしょう」と続き、権力の実体は王自身にあることを説いている。

レベル:共通テスト標準|更新:2025-07-26|問題番号:109