110(『史記』淮陰侯列伝 より 背水の陣の真意)
本文
(韓信、趙軍を破る。)
諸将、軍門に至り、賀して、因りて信に問ひて曰く、「兵法に、右に山陵を背にし、前に水沢を左にすと。今者、将軍、臣等をして反りて水を背にして陳せしむ。曰く、『趙を破りて会食せん』と。臣等、服せざりき。然るに竟に以て勝つ。此れ何の術ぞや。」
信曰く、「此は兵法に在り。顧だ諸君の察せざるのみ。兵法に曰はずや、『(1)之を死地に陥れて後に生き、之を亡地に置きて後に存す』と。且つ信、素より士大夫を拊循するを得たるに非ざるなり。此れ所謂『(2)市人を駆りて之と戦ふ』なり。其の勢ひ、之を死地に置きて、人をして人自ら戦はしむるに非ずんばあらず。今、之に生地を予へば、皆走らん。寧んぞ尚ほ得て之を用う可けんや。」
諸将皆服して曰く、「(3)非吾属之所及也。」
【書き下し文】
(韓信(かんしん)、趙軍を破る。)
諸将(しょしょう)、軍門(ぐんもん)に至り、賀(が)して、因(よ)りて信に問ひて曰く、「兵法に、右に山陵(さんりょう)を背にし、前に水沢(すいたく)を左にすと。今者(いま)、将軍、臣等をして反(かへ)りて水を背にして陳(じん)せしむ。曰く、『趙を破りて会食せん。』と。臣等、服せざりき。然(しか)るに竟(つひ)に以て勝つ。此(こ)れ何の術(じゅつ)ぞや。」と。
信曰く、「此は兵法に在り。顧(た)だ諸君(しょくん)の察せざるのみ。兵法に曰はずや、『(1)之を死地(しち)に陥(おとしい)れて後に生き、之を亡地(ぼうち)に置きて後に存す』と。且(か)つ信、素(もと)より士大夫(したいふ)を拊循(ふじゅん)するを得たるに非(あら)ざるなり。此れ所謂(いはゆる)『(2)市人(しじん)を駆(か)りて之と戦ふ』なり。其の勢(いきほ)ひ、之を死地に置きて、人をして人自(おの)づから戦はしむるに非ずんばあらず。今、之に生地(せいち)を予(あた)へば、皆走らん。寧(いづく)んぞ尚(な)ほ得て之を用う可けんや。」と。
諸将皆服して曰く、「(3)吾(わ)が属(ぞく)の及ぶ所に非ざるなり。」
【現代語訳】
諸将たちは、(韓信の)陣営の門に来て、勝利を祝い、そして韓信に尋ねて言った、「兵法書には、『右に山や丘を背にし、前や左に川や沢を置くのが良い陣形だ』とあります。今回、将軍は我々に、逆に川を背にして陣を敷くよう命じられました。そして『趙を破ってから(ゆっくり)会食しよう』と。我々は正直、納得しておりませんでした。しかし、ついに勝利を収められました。これはいかなる戦術だったのでしょうか。」と。
韓信は言った、「これも兵法書に書いてあることだ。ただ、君たちが気づかなかっただけだ。兵法書にこうはないか、『(1)兵士を死地に陥れてこそ、かえって生き残り、絶体絶命の地に置いてこそ、かえって存続する』と。それに、私は日頃から兵士たちを手なずけていたわけではない。これはいわば『(2)素人集団を駆り立てて戦わせる』ようなものだ。その勢いでは、彼らを死地に置き、一人ひとりが自分のために必死に戦うようにさせなければならなかった。もし今、彼らに逃げ道となる安全な土地を与えていたら、皆逃げ出していただろう。どうして彼らを用いることなどできようか、いや、できなかっただろう。」と。
諸将はみな感服して言った、「(3)我々の及ぶところではありません。」
【設問】
問1 傍線部(1)「陥之死地而後生、置之亡地而後存」が説く、兵法の逆説的な真理とは何か。最も適当なものを次から選べ。
- 生き残るためには、一度は死を覚悟することが必要である。
- 兵士をわざと逃げ場のない窮地に追い込むことで、彼らは生き残るために必死で戦い、かえって活路が開ける。
- 一度死んだと思われた部隊を、予備兵力として投入することで、敵の意表を突くことができる。
- 死ぬ気で戦えば、たとえ負けても生き残ることはできるが、生きようとして逃げれば、かえって死ぬことになる。
【解答・解説】
正解:2
この句は、人間の心理を利用した戦術を説いている。「死地」「亡地」とは、逃げ場のない絶体絶命の場所のことである。兵士たちをそのような場所に置くと、彼らは「どうせ逃げても死ぬなら、戦って生き残る道を探そう」と決死の覚悟で戦う。その結果、普段以上の力を発揮し、かえって生き残る(生、存)ことができる、という逆説的な真理である。
問2 傍線部(2)「市人を駆りて之と戦ふ」とは、韓信が自軍をどのように評価していたことを示しているか。最も適当なものを次から選べ。
- 様々な町から集まってきた、多様な個性を持つ兵士の集団。
- まだ十分に訓練されておらず、忠誠心も低い、寄せ集めの素人集団。
- 商人のように、損得勘定でしか動かない、規律のない集団。
- 戦いよりも、平和な町の暮らしを望んでいる、士気の低い集団。
【解答・解説】
正解:2
「市人」とは、本来は市場にいる普通の人々のことだが、ここでは戦いの素人を指す。韓信は「素より士大夫を拊循するを得たるに非ざるなり(日頃から兵士を手なずけていたわけではない)」と述べていることから、自軍が、まだ十分に訓練されておらず、将軍への絶対的な忠誠心も確立されていない、いわば烏合の衆に近い状態だと冷静に分析していたことがわかる。
問3 傍線部(3)「非吾属之所及也」という諸将の言葉から読み取れる、彼らの韓信に対する感情の変化として、最も適当なものを次から選べ。
- 作戦への不満が、韓信の人間性への尊敬へと変わった。
- 作戦への疑いが、韓信の戦術家としての深い洞察力への感服へと変わった。
- 韓信への恐怖が、彼と戦術を共に議論したいという親近感へと変わった。
- 韓信への無関心が、彼のカリスマ性に対する絶対的な信頼へと変わった。
【解答・解説】
正解:2
諸将は最初、「臣等服せざりき(我々は納得していなかった)」と、韓信の戦術に強い疑いを抱いていた。しかし、戦いに勝利し、韓信からその戦術が兵法の深奥に基づいたものであるという理路整然とした説明を受けた結果、「吾が属の及ぶ所に非ざるなり(我々の到底及ぶところではない)」と感服している。これは、彼の戦術家としての深い知識と洞察力に対して、完全に敬意を払ったことを示している。
【覚えておきたい知識】
重要単語
- 韓信(かんしん):前漢の武将。劉邦に仕え、数々の戦いで天才的な軍才を発揮した。漢の天下統一における最大の功臣の一人。
- 陳(じん)す:軍隊を配置する、陣を敷く。
- 会食(かいしょく):一同に会して食事をすること。ここでは戦勝後の祝宴を意味する。
- 顧(た)だ~のみ:「ただ~だけだ」。限定。
- 察(さっ)す:見抜く、気づく。
- 死地(しち)/亡地(ぼうち):逃げ場のない、絶体絶命の場所。
- 生地(せいち):生き残れる場所、逃げ道のある安全な場所。
- 拊循(ふじゅん):手なずける、面倒をよくみる。
- 市人(しじん):町なかの普通の人々。ここでは「素人、烏合の衆」の意。
- 属(ぞく):仲間、やから。
背景知識:背水の陣(はいすいのじん)
出典は『史記』淮陰侯列伝。漢の将軍・韓信が、自軍よりはるかに大軍である趙軍を破った「井陘の戦い」での故事。わざと自軍を川のほとりという逃げ場のない絶体絶命の場所に配置することで、兵士たちに「ここで戦わねば死ぬ」という覚悟をさせ、決死の力を引き出して勝利した。このことから、絶体絶命の状況で必死の覚悟で物事に臨むことのたとえとして、「背水の陣」という言葉が使われる。常識にとらわれない韓信の天才的な戦術を示す代表的なエピソードである。