106(『後漢書』楊震伝 より 四知)
本文
(楊震)遷東萊太守。当之郡、道経昌邑。故所挙荊州茂才王密、為昌邑令、謁見。至夜、懐金十斤、以遺震。震曰、「(1)故人知君、君不知故人、何也。」密曰、「暮夜無知者。」震曰、「(2)天知、神知、我知、子知。何謂無知。」密愧而出。
後遷涿郡太守。性公廉、不受私謁。子孫常蔬食、歩行。故旧或欲令為開産業。震不肯曰、「(3)使後世人謂之為清白吏子孫、以此遺之、不亦厚乎。」
【書き下し文】
(楊震(ようしん))、東萊(とうらい)の太守(たいしゅ)に遷(うつ)る。郡に之(ゆ)くに当(あた)り、道、昌邑(しょうゆう)を経(ふ)。故(もと)挙(あ)げし所の荊州(けいしゅう)の茂才(もさい)王密(おうみつ)、昌邑の令(れい)と為(な)り、謁見(えっけん)す。夜に至り、金十斤(きんじっきん)を懐(いだ)き、以て震に遺(おく)る。震曰く、「(1)故人(こじん)は君を知るに、君は故人を知らず、何ぞや。」と。密曰く、「暮夜(ぼや)にして知る者無し。」と。震曰く、「(2)天知(し)り、神(しん)知り、我知り、子(し)知る。何ぞ知る無しと謂(い)ふか。」と。密、愧(は)ぢて出づ。
後、涿郡(たくぐん)の太守に遷る。性(せい)公廉(こうれん)にして、私謁(しえつ)を受けず。子孫、常に蔬食(そし)し、歩行す。故旧(こきゅう)或(ある)いは産業を開かしめんと欲す。震、肯(がへん)ぜずして曰く、「(3)後世の人をして之を謂ひて清白吏(せいはくり)の子孫と為(な)さしむ。此を以て之に遺す、亦(ま)た厚からずや。」と。
【現代語訳】
後に、涿郡の長官に転任した。その人柄は公平で清廉潔白であり、個人的な面会や贈り物を受け付けなかった。彼の子孫は、常に質素な野菜中心の食事をとり、移動は徒歩であった。昔からの友人たちが、彼に子孫のための財産作りをさせようとすることがあった。しかし楊震は承知せずに言った、「(3)後の世の人々に、彼らを『清廉潔白な役人の子孫だ』と言わせること。これを(財産として)彼らに残すのだ、なんと手厚いことではないか。」と。
【設問】
問1 傍線部(1)「故人知君、君不知故人、何也」という楊震の言葉は、王密のどのような点を咎めているか。最も適当なものを次から選べ。
- かつて自分が推挙してやった恩を忘れ、無礼な振る舞いをしている点。
- 自分のことを、賄賂で動くような人間だと見誤っている点。
- 旧友である自分に対し、よそよそしい態度をとっている点。
- 夜更けという非常識な時間に、訪問してきた点。
【解答・解説】
正解:2
楊震は、王密を「茂才(秀才)」として推薦した際、彼の才能だけでなく清廉な人格も評価していたはずである(故人知君)。しかし、王密は賄賂を持って現れた。これは、王密が楊震のことを「金品で動く役人」だと見なしていることに他ならない。楊震は「君不知故人(君は旧友である私のことを分かっていない)」と述べ、自分の人格が見誤られていることに対して、失望と非難の念を示しているのである。
問2 傍線部(2)「天知、神知、我知、子知」という楊震の言葉が示す、不正行為が隠し通せない理由として、本文に挙げられていないものを次から選べ。
- 天
- 神
- 世間の人々
- 自分自身
- 相手
【解答・解説】
正解:3
王密は「暮夜無知者(夜更けで誰も知らない)」と、世間の目がないことを言い訳にした。それに対し、楊震は「天知(天が知る)」「神知(神が知る)」「我知(私が知る)」「子知(あなたが知る)」の四者を挙げている。この中に「世間の人々」は含まれていない。楊震の論点は、たとえ世間の目をごまかせても、普遍的な摂理(天・神)と当事者の良心(我・子)からは逃れられない、ということにある。
問3 傍線部(3)「使後世人謂之為清白吏子孫、以此遺之、不亦厚乎」という楊震の言葉に示される、彼の価値観として最も適当なものを次から選べ。
- 子孫には、財産ではなく、他者から尊敬されるような生き方を教えるべきだ。
- 子孫には、財産を残すことよりも、清廉潔白であったという父祖の名誉を残すことの方がはるかに価値がある。
- 子孫が将来困らないように、多くの友人や人脈を残してやることが親の務めだ。
- 子孫には、財産を与えるのではなく、自らの力で財産を築く方法を学ばせるべきだ。
【解答・解説】
正解:2
友人たちは、楊震に「産業を開かしめん(財産作りをさせよう)」としたが、彼はそれを断固として拒否した。彼が子孫に「遺す」ものは、金銭や土地といった物質的なものではなく、「清白吏の子孫」という後世からの評価、つまり清廉潔白であったという父祖の名誉である。そして、それこそが何よりも「厚い(手厚い)」遺産なのだと、反語(不亦厚乎)を用いて強く主張している。
【覚えておきたい知識】
重要単語
- 楊震(ようしん):後漢の名臣。「関西の孔子」と称されるほどの学者でもあった。
- 太守(たいしゅ):郡の長官。
- 茂才(もさい):秀才と同じ。漢代の官吏登用制度の一つで、地方から推挙された優秀な人材。
- 故人(こじん):旧友、昔なじみ。
- 暮夜(ぼや):夜更け。
- 子(し):あなた。二人称。
- 公廉(こうれん):公平で、清廉潔白なこと。
- 私謁(しえつ):個人的な面会を求めて贈り物などをすること。
- 蔬食(そし):野菜中心の質素な食事。
- 清白吏(せいはくり):清廉潔白な役人。
背景知識:四知(しち)
出典は『後漢書』楊震伝。「天知る、地知る、我知る、子知る」の四つを指す。楊震が、夜陰に乗じて賄賂を渡そうとした王密に対し、「誰も知らないことはない」と諭したこの言葉から、不正行為は必ず露見するものである、ということのたとえとして使われるようになった。「誰も見ていないから」という言い訳を戒め、いかなる時も、天や自らの良心に恥じない行いをすべきだという、高い倫理観を示す故事として有名である。楊震の清廉さは「関西孔子楊伯起(関西の孔子、楊震先生)」と讃えられた。