148(『戦国策』斉策 より 蛇足の論理)
本文
楚有祠者。賜其舎人卮酒。舎人相謂曰、「数人飲之不足、一人飲之有余。請画地為蛇、先成者飲酒。」
一人蛇先成、引酒且飲之。乃左手持卮、右手画蛇曰、「(1)吾能為之足。」未成、一人之蛇成。奪其卮曰、「(2)蛇固無足。子安能為之足。」遂飲其酒。
為蛇足者、終亡其酒。
【書き下し文】
楚(そ)に祠(まつ)る者有り。其(そ)の舎人(しゃじん)に卮酒(ししゅ)を賜(たま)ふ。舎人相(あひ)謂(い)ひて曰く、「数人(すうにん)にて之を飲まば足らず、一人にて之を飲まば余り有り。請(こ)ふ、地を画(ゑが)きて蛇(へび)を為(つく)り、先(ま)づ成る者、酒を飲まん。」と。
一人の蛇、先づ成る。酒を引きて将(まさ)に之を飲まんとす。乃(すなは)ち左手(さて)に卮を持ち、右手(うて)に蛇を画きて曰く、「(1)吾(われ)、能(よ)く之(これ)が足を為(つく)る。」と。未(いま)だ成らざるに、一人の蛇成る。其の卮を奪ひて曰く、「(2)蛇は固(もと)より足無し。子(し)、安(いづく)んぞ能く之が足を為るや。」と。遂(つひ)に其の酒を飲む。
蛇の足を為(つく)りし者は、終(つひ)に其の酒を亡(うしな)へり。
【現代語訳】
ある一人の男の蛇が、一番先に完成した。彼は酒を引き寄せて、まさに飲もうとした。その時、左手に酒壺を持ち、右手で(なおも)蛇の絵を描きながら言った、「(1)おれは、こいつに足を描き足すことだってできるぞ。」と。しかし、その足がまだ描き終わらないうちに、別の男の蛇が完成した。その男は、最初の男から酒壺を奪い取って言った、「(2)蛇にはもともと足はない。君は、どうしてそれに足を描くことなどできるのか(いや、できはしない)。」と。そして、とうとうその酒を飲んでしまった。
蛇に足を描き足した男は、結局その酒を飲みそこなってしまった。
【設問】
問1 傍線部(1)「吾能為之足」という、最初に蛇を完成させた男の行動の根本的な原因は何か。最も適当なものを次から選べ。
- 勝利を手中にしたことによる、油断と傲慢。
- 自分の絵をより完璧なものにしたいという、芸術的な探究心。
- 競争相手を挑発し、心理的に揺さぶりをかけようとする計算。
- 酒を飲む前に、何か面白いことを言って場を盛り上げようとする気遣い。
【解答・解説】
正解:1
彼は競争に勝利し、まさに酒を飲もうとしていた。その時点で行動を終えていれば、彼は勝者であった。しかし、彼は勝利した余裕から、自分の速さと腕前をさらに誇示しようとして、全く必要のない「足」を描き加えるという行為に出た。これは、勝利によって生まれた油断と、他者に対する傲慢な心が引き起こした行動である。
問2 傍線部(2)の二人目の男の反論は、どのような二段階の論理で構成されているか。最も適当なものを次から選べ。
- まず相手の主張を繰り返し、次にそれが間違いであることを指摘する。
- まず客観的な事実を提示し、次にそれに基づいて相手の行為の不当性を問う。
- まず相手の行為を非難し、次にその理由を説明する。
- まず自分の勝利を宣言し、次に相手が敗者である理由を述べる。
【解答・解説】
正解:2
二人目の男の反論は、極めて論理的である。第一段階として、彼は「蛇は固より足無し(蛇にはもともと足はない)」という、誰もが否定できない客観的な事実を提示する。第二段階として、その事実を根拠に、「子、安くんぞ能く之が足を為るや(あなたはどうしてそれに足を描くことができるのか、いやできない)」と、最初の男の行為が課題(蛇を描く)から逸脱した不当なものであることを、反語を用いて強く問いかけている。
問3 この物語において、勝敗を最終的に分けたものは何か。最も適当なものを次から選べ。
- 絵を描く速さという、技術的な優劣。
- 酒を奪い取る腕力という、物理的な力の差。
- ルールの本質を理解し、的確な主張ができるかという、論理的思考力の差。
- 競争相手の油断を見逃さない、観察眼の鋭さ。
【解答・解説】
正解:3
絵を描く速さでは、最初の男が勝っていた。しかし、彼は「蛇を描く」というルールの本質を忘れ、余計な行為に及んだ。一方、二人目の男は、速さでは劣っていたものの、「足のある絵は蛇ではない」という、ルールの本質に根差した論理的な主張を展開し、勝利を手にした。つまり、この勝負は、最終的には技術力ではなく、論理的思考力の差によって決着したのである。
【覚えておきたい知識】
重要単語
- 祠(まつ)る者:先祖の祭祀を司る人。
- 舎人(しゃじん):家に仕える者、家来。
- 卮酒(ししゅ):壺に入った酒。
- 請(こ)ふ、~:相手に何かを提案する時に使う。「~しようではないか」。
- 画(ゑが)く:絵を描く。 *為(つく)る:作る、描く。
- 固(もと)より:もともと、本来。
- 安(いづく)んぞ~や:「どうして~か、いや~ない」。反語形。
- 亡(うしな)ふ:失う、なくす。
背景知識:蛇足(だそく)
出典は『戦国策』斉策。この話は、戦国時代、斉の国の将軍であった昭陽が、楚を攻めて勝利した後、さらに魏を攻めようとした際に、弁士の陳軫が、昭陽の功績がすでに十分であることを説き、これ以上戦を続けて失敗すれば、今までの功績まで失いかねないと諌めるために用いた寓話である。ここから、あっても益がないばかりか、かえって害になる余計なもののたとえとして「蛇足」という言葉が生まれた。「画竜点睛」が、最後の仕上げの重要性を説くのに対し、「蛇足」はやり過ぎの弊害を説く、対照的な教訓と言える。