146(『荘子』山木 より 無用の用の相対性)

本文

荘子、山中を行く。(1)大木を見しに、枝葉甚だ茂る。伐木者、其の傍に止まるも、而も取ら不。問其故。曰、「用うる所無し。」荘子曰、「此の木は不材を以て、其の天年を終ふるを得るなり。」
夫子、山を出で、故人の家に舎す。故人喜び、豎子に命じて雁を殺して之を烹しめんとす。豎子請ひて曰く、「其の一は能く鳴き、其の一は能く鳴かず。請ふ、いずれをか殺さん。」主人曰く、「(2)能く鳴かざる者を殺せ。」
明日、弟子、荘子に問ひて曰く、「昨日の山中の木は、不材を以て天年を終ふるを得。今の主人の雁は、不材を以て死す。先生は将にいずれの地に処らんとするか。」
荘子笑ひて曰く、「(3)周は将に材と不材との間に処らん。…(中略)…若し夫れ道德に乗りて浮遊する者は、然らず。…(中略)…時に与にくだり、物と化せん。」

【書き下し文】
荘子(そうし)、山中を行く。(1)大木(たいぼく)を見るに、枝葉(しよう)甚(はなは)だ茂れり。伐木者(ばつぼくしゃ)、其の傍(かたは)らに止(とど)まるも、而(しか)も取らざるなり。其の故を問ふ。曰く、「用うる所無し。」と。荘子曰く、「此の木は不材(ふざい)を以(もっ)て、其の天年(てんねん)を終ふるを得るなり。」と。
夫子(ふうし)、山を出で、故人(こじん)の家に舎(やど)る。故人喜び、豎子(じゅし)に命じて雁(がん)を殺して之を烹(に)しめんとす。豎子請ひて曰く、「其の一は能(よ)く鳴き、其の一は能く鳴かず。請ふ、いずれをか殺さん。」と。主人曰く、「(2)能く鳴かざる者を殺せ。」と。
明日(みょうじつ)、弟子(ていし)、荘子に問ひて曰く、「昨日の山中の木は、不材を以て天年を終ふるを得。今の主人の雁は、不材を以て死す。先生は将(まさ)にいずれの地に処(お)らんとするか。」と。
荘子笑ひて曰く、「(3)周(しゅう)は将に材と不材との間に処らん。…(中略)…若(も)し夫(そ)れ道德に乗りて浮遊(ふゆう)する者は、然(しか)らず。…(中略)…時に与(とも)にくだり、物と化せん。」と。

【現代語訳】
荘子が山の中を歩いていた。(1)枝葉が大変よく茂った大木を見かけた。木こりがそのそばにいたが、その木を伐ろうとはしなかった。理由を尋ねると、「使い道がないからです。」と答えた。荘子は言った、「この木は、役に立たないおかげで、天寿を全うすることができたのだな。」と。
先生(荘子)は山を出て、旧友の家に宿泊した。旧友は喜び、召使いの少年に命じて、雁を殺してもてなそうとした。少年が尋ねて言った、「一羽はよく鳴き、もう一羽は鳴くことができません。どうか、どちらを殺しましょうか。」と。主人は言った、「(2)鳴くことのできない(役に立たない)方を殺せ。」と。
翌日、弟子が荘子に尋ねて言った、「昨日の山中の木は、役に立たない(不材)おかげで天寿を全うできました。今、この家の雁は、役に立たない(不材)せいで殺されました。先生は、これから(役に立つと役に立たないの)どちらの立場で生きていかれるのですか。」と。
荘子は笑って言った、「(3)私、荘周は、役に立つことと立たないことの中間にでも身を置こうか。…(中略)…しかし、もし本当に『道』と『徳』に乗って、大自然のままに漂う者であれば、そうではない。…(中略)…時の流れと共に下り、万物と共に変化していくのだ。」と。

【設問】

問1 「山中の木」と「主人の雁」の運命を分けたものは何か。本文に即して、最も適当なものを次から選べ。

  1. 「役に立たないこと(不材)」が、生存にとって有利に働いたか、不利に働いたかの違い。
  2. 木こりと主人という、人間の価値観や都合の違い。
  3. 天寿を全うできるかできないかという、生まれ持った運命の違い。
  4. 自然の中と、人間の家という、置かれていた環境の違い。
【解答・解説】

正解:1

この話の核心は、二つの対照的な事例にある。山中の木は、「不材(木材として役に立たない)」であったために、伐採を免れて生き延びた。一方、雁は、「不材(番犬の役目として鳴くことができない=役に立たない)」であったために、殺されてしまった。同じ「役に立たないこと」が、一方では生存の理由となり、もう一方では死の理由となっている。この逆説的な状況が、弟子の問いを生むきっかけとなった。

問2 弟子が、荘子に「先生は将にいずれの地に処らんとするか」と尋ねたのはなぜか。その心情として最も適当なものを次から選べ。

  1. 荘子が、木と雁の運命を目の当たりにして、深く思い悩んでいるように見えたから。
  2. 「役に立つ」べきか「役に立たない」べきか、どちらの生き方にも危険が伴い、どう生きるのが最善なのか、混乱してしまったから。
  3. 師である荘子なら、この矛盾した状況に対する明確な答えを持っているはずだと期待したから。
  4. 荘子が、これまで「無用の用」を説いてきたが、その教えが必ずしも正しくないのではないかと、疑念を抱いたから。
【解答・解説】

正解:2

弟子は、荘子から「無用の用(役に立たないことこそ役に立つ)」という教えを受けていたはずである(木の例)。しかし、今度は役に立たない雁が殺されるのを見た。これにより、「役に立っても(果樹のように)殺され、役に立たなくても(雁のように)殺される」という、矛盾した状況に直面した。どちらの立場を取っても危険が伴うように見え、どのような処世術が正しいのか、分からなくなってしまった。この混乱から、師である荘子に指針を求めたのである。

問3 傍線部(3)「周は将に材と不材との間に処らん」という荘子の答えの真意として、最も適当なものを次から選べ。

  1. 役に立つ人間だと思われすぎず、かといって全く役に立たないとも思われない、中途半端な立場でいるのが最も安全だ。
  2. 役に立つか立たないかという議論自体が、世俗的な価値観に縛られている証拠であり、自分はそのような対立を超越した立場にいる。
  3. 時には役に立つふりをし、時には役に立たないふりをするというように、状況に応じて立場を使い分けるのが賢い生き方だ。
  4. 上記のいずれでもなく、これは荘子の最終的な結論ではなく、より高次の結論へと導くための一時的な答えである。
【解答・解説】

正解:4

荘子はまず、「材と不材との間」という、一見すると中途半端で、処世術めいた答えを提示する。しかし、その直後に「若し夫れ道德に乗りて浮遊する者は、然らず(しかし、本当に道と一体となって漂う者は、そうではない)」と、自らその答えを否定し、より高次の境地(=物と化せん)について語り始める。つまり、「材と不材との間」という答えは、まだ世俗的な処世術のレベルにとどまっており、荘子の最終的な結論ではなく、真の結論へと至るための一段階に過ぎないことを示している。

【覚えておきたい知識】

重要単語

背景知識:無用の用の相対性

出典は『荘子』山木篇。この記事は、荘子の有名な「無用の用」という思想が、単純な処世術ではないことを示す、重要な逸話である。「役に立たない」という一つの戦略に固執することもまた、一つの「とらわれ」である。荘子が最終的に示す境地は、「役に立つ/立たない」という二元論的な価値判断そのものを超越して、ただ大いなる自然の流れ(道)に身を任せ、万物と共に変化していく(物化)という、より自由で根源的な生き方である。状況によって「有用」と「無用」の価値が逆転することを示し、いかなる固定的な立場にも安住しないことの重要性を説いている。

レベル:共通テスト発展|更新:2025-07-26|問題番号:146