145(『史記』項羽本紀 より 先んずれば人を制す)

本文

会稽守通、謂梁曰、「江西皆反、此亦天之亡秦之時也。(1)吾聞、『先即制人、後則為人所制。』吾欲発兵、以君為将。」是時、桓楚亡在沢中。梁曰、「桓楚亡、人莫知其処。独籍知之耳。」梁乃出、誡籍持剣居外待。梁復入、与守坐。曰、「願召籍、使受命召桓楚。」守曰、「諾。」梁召籍入。
須臾、梁眴籍曰、「可矣。」於是籍遂抜剣斬守頭。項梁持其頭、佩其印綬。門下大驚、擾乱。籍所撃殺数十百人。一府中皆褫、(2)莫敢起。梁乃召故所知豪吏、諭以所為起大事、遂挙呉中兵。

【書き下し文】
会稽(かいけい)の守(しゅ)通(とう)、梁(りょう)に謂(い)ひて曰く、「江西(こうせい)は皆反(はん)す、此れ亦(ま)た天の秦を亡(ほろ)ぼすの時なり。(1)吾(われ)聞く、『先(さき)んずれば即(すなは)ち人を制し、後(おく)るれば則ち人の制する所と為(な)る。』と。吾、兵を発し、君を以て将と為さんと欲す。」と。是(こ)の時、桓楚(かんそ)、亡(に)げて沢中(たくちゅう)に在り。梁曰く、「桓楚亡ぐ、人の其の処(ところ)を知る莫(な)し。独(ひと)り籍(せき)のみ之を知る耳(のみ)。」と。梁、乃(すなは)ち出で、籍に誡(いまし)めて剣を持ちて外に居りて待たしむ。梁、復(ま)た入り、守と坐す。曰く、「願はくは籍を召し、桓楚を召すことを受命(じゅめい)せしめよ。」と。守曰く、「諾(だく)。」と。梁、籍を召して入らしむ。
須臾(しゅゆ)にして、梁、籍に眴(めくは)せして曰く、「可(か)なり。」と。是(ここ)に於いて籍、遂に剣を抜き守の頭(かうべ)を斬る。項梁(こうりょう)、其の頭を持ち、其の印綬(いんじゅ)を佩(お)ぶ。門下(もんか)大いに驚き、擾乱(じょうらん)す。籍の撃ち殺す所、数十百人。一府の中(うち)皆褫(ち)し、(2)敢へて起(た)つもの莫し。梁、乃ち故(もと)知る所の豪吏(ごうり)を召し、大事を起す所以(ゆゑん)を以て諭(さと)し、遂に呉中(ごちゅう)の兵を挙(あ)ぐ。

【現代語訳】
会稽郡の長官である殷通が、項梁に言った、「長江の西では皆が反乱を起こしている。これは、天が秦を滅ぼす時が来たということだ。(1)私が聞いている言葉に、『先手を取れば人を制圧できるが、後手に回れば人に制圧される』というものがある。私は兵を挙げて、あなたを将軍としたい。」と。この時、桓楚という人物が逃亡して沼沢地帯に隠れていた。項梁は言った、「桓楚は逃亡中で、誰もその居場所を知りません。ただ甥の籍(項羽)だけが知っております。」と。項梁はそこで一旦外に出て、項籍に、剣を持って外で待つよう指示した。項梁はまた部屋に戻り、郡守の向かいに座った。そして言った、「どうか項籍をお呼び入れになり、彼に桓楚を呼びに行かせるという命令をお与えください。」と。郡守は「よかろう。」と言った。項梁は項籍を呼んで中に入らせた。
しばらくして、項梁は項籍に目配せして「今だ。」と合図した。そこで項籍は、すぐさま剣を抜いて郡守の首を斬り落とした。項梁はその首を手に持ち、郡守の印綬を身につけた。役所の者たちは大いに驚き、混乱した。項籍が斬り殺した者は、数十人から百人にのぼった。役所中の者はみな震え上がり、(2)誰も敢えて立ち向かう者はいなかった。項梁は、そこで旧知の有力な役人たちを呼び集め、反乱を起こした理由を説明して納得させ、とうとう呉中の兵を挙げるに至った。

【設問】

問1 傍線部(1)「先即制人、後則為人所制」という言葉を引用した郡守・殷通の意図として、最も適当なものを次から選べ。

  1. 反乱を起こすという自分の決意が、いかに固いものであるかを項梁に示すため。
  2. 今こそが反乱を起こす絶好の機会であり、この機を逃すべきではないと項梁を説得するため。
  3. もし項梁が自分の計画に乗らないなら、彼を制圧するつもりだという脅しをかけるため。
  4. これから始まる反乱において、自分が主導権を握るつもりであることを宣言するため。
【解答・解説】

正解:2

殷通は、「江西皆反」という天下の情勢を述べた上で、このことわざを引用している。これは、「世の中が反乱の機運で満ちている今こそ、我々も行動を起こすべきだ。ここで躊躇して後手に回れば、他の反乱軍に主導権を奪われてしまう」という、時機を逃すことへの焦りと、行動を促す意図の表れである。項梁を説得し、自分の計画に引き込もうとする言葉である。

問2 項梁と項籍(項羽)が、殷通を殺害して主導権を奪った行動は、殷通自身のどのような点を逆手に取ったものか。最も適当なものを次から選べ。

  1. 殷通が引用した「先んずれば人を制す」という言葉を、そっくりそのまま殷通自身に対して実行した。
  2. 殷通が、項梁と項籍の武勇を高く評価し、油断していた点を突いた。
  3. 殷通が、桓楚という人物を探し出すことに固執していた点を巧みに利用した。
  4. 殷通が、天が秦を滅ぼす時だと信じ込み、反乱の成功を楽観視していた点を逆手に取った。
【解答・解説】

正解:1

この話の皮肉な点は、殷通が自ら口にした戦略論(先んずれば人を制す)を、まさにその言葉を聞いた項梁と項籍が実行したことである。殷通が、桓楚を呼ぶかどうかなどと手順を考えている間に、項梁と項籍は「先んじて」殷通を殺害し、兵の指揮権という主導権を「制した」。殷通は、まさに自らの言葉によって滅びたのである。

問3 傍線部(2)「莫敢起」とあるが、なぜ役所の者たちは誰一人として立ち向かえなかったのか。その理由として最も適当なものを次から選べ。

  1. 項籍のあまりに圧倒的な武勇と、瞬く間に数十人を斬り殺したその気迫に、完全に恐怖で支配されたから。
  2. もともと郡守の殷通を快く思っておらず、項梁たちが反乱を起こしたことを歓迎していたから。
  3. 項梁が、殺された郡守の印綬を身につけたことで、彼が正式な後継者だと認めたから。
  4. あまりに突然の出来事で、何が起こったのか理解できずに呆然としていたから。
【解答・解説】

正解:1

「籍の撃ち殺す所、数十百人」「一府の中皆褫し(役所中の者がみな震え上がった)」という描写が、その理由を物語っている。項籍(後の項羽)の人間離れした戦闘能力と、ためらいなく人を斬る凄まじい気迫が、その場にいた役人たちの抵抗の意思を完全に打ち砕き、恐怖で支配したのである。

【覚えておきたい知識】

重要単語

背景知識:先んずれば人を制す

出典は『史記』項羽本紀。秦末の動乱期、項羽とその叔父・項梁が、会稽の地で反乱の兵を挙げるきっかけとなったエピソード。この故事は、好機を前にして躊躇する者(殷通)と、その機を瞬時に捉えて大胆に行動する者(項梁・項羽)の対比を鮮やかに描いている。ここから、「先んずれば人を制す」は、特に競争や戦いにおいて、率先して行動し、主導権を握ることの重要性を示す言葉として使われるようになった。

レベル:共通テスト標準|更新:2025-07-26|問題番号:145