143(『荘子』秋水 より 井の中の蛙)
本文
井蛙謂東海之鱉曰、「(1)吾楽与。出跳梁於井幹之上、入休於缺甃之崖。…(中略)…還覩夫蟹与科斗、莫吾能若也。且夫擅一壑之水、而跨跱坎井之楽、此亦至矣。夫子奚不時来入観乎。」
東海之鱉左足未入、其右膝已縶矣。於是逡巡而却。告之海曰、「夫千里之遠、不足以挙其大。千仞之高、不足以極其深。…(中略)…(2)夫不為頃久推移、不以多少進退者、此亦東海之大楽也。」
(3)於是坎井之蛙聞之、驚駭自失、莫知所止。
【書き下し文】
井蛙(せいあ)、東海の鱉(べつ)に謂ひて曰く、「(1)吾(われ)は楽しきかな。出でては井幹(せいかん)の上に跳梁(ちょうりょう)し、入りては缺甃(けっしゅう)の崖(きし)に休(いこ)ふ。…(中略)…還(かへ)りて夫(か)の蟹(かに)と科斗(かと)とを覩(み)るに、吾に能(よ)く若(し)くもの莫(な)し。且(か)つ夫れ一壑(いちがく)の水を擅(ほしいまま)にし、坎井(かんせい)の楽しみを跨跱(こし)するは、此(こ)れ亦(ま)た至れり。夫子(ふうし)、奚(なん)ぞ時に入り来たりて観ざるか。」と。
東海の鱉、左足未(いま)だ入らざるに、其の右膝(ゆうしつ)已(すで)に縶(とら)はる。是(ここ)に於(お)いて逡巡(しゅんじゅん)して却(しりぞ)く。之に海を告げて曰く、「夫れ千里の遠きも、以て其の大なるを挙ぐるに足らず。千仞(せんじん)の高さも、以て其の深きを極(きは)むるに足らず。…(中略)…(2)夫れ頃久(けいきゅう)の為に推移せず、多少を以て進退せざるは、此れ亦東海の大きなる楽しみなり。」と。
(3)是に於いて坎井の蛙、之を聞き、驚駭(きょうがい)して自(みづか)ら失ひ、止(とど)まる所を知る莫し。
【現代語訳】
東海の亀は、左足もまだ井戸に入りきらないうちに、右ひざがすでにつかえてしまった。そこで、ためらいながら後ずさりした。そして蛙に海の話をして言った、「千里という距離も、海の広さを表すには足りない。千仞という高さも、その深さを言い尽くすには足りない。…(中略)…(2)長い時間によって変化することもなく、水量の増減によって進退することもない、これこそが東海の大きな楽しみなのだ。」と。
(3)これを聞いた井戸の蛙は、あまりのことに驚き、我を忘れて、どうしてよいかわからなくなった。
【設問】
問1 傍線部(1)の井蛙の長い自慢話は、彼のどのような精神状態を表しているか。最も適当なものを次から選べ。
- 自分の住む狭い世界がすべてであり、そこで完全に満足しきっている状態。
- 外の世界の存在を知りつつも、あえて自分の世界の素晴らしさを主張している状態。
- 大海から来たという亀に対し、見栄を張って強がっている状態。
- 自分の世界の素晴らしさを他者に伝えることで、仲間を増やそうとしている状態。
【解答・解説】
正解:1
蛙は、井戸の中での生活を「楽しきかな」「至れり(最高だ)」と心から満足しており、亀にそれを自慢げに勧めている。彼の言葉には、自分の世界の外に、より広大な世界が存在するという認識のかけらも見られない。自分の限られた経験の中だけで、完全に自己完結し、満足しきっている精神状態を示している。
問2 傍線部(2)で、亀が語る「東海之大楽(東海の大きな楽しみ)」の本質とは何か。最も適当なものを次から選べ。
- 千里の広さや千仞の深さといった、圧倒的なスケール感。
- 時間や量の変化を超越した、永遠で絶対的なあり方。
- 多種多様な生き物たちが、共に生きる調和のとれた世界。
- 何者にも支配されることのない、雄大で自由なあり方。
【解答・解説】
正解:2
亀は、海の偉大さを、単なる広さや深さ(千里、千仞)といった、相対的な尺度では表現できないと述べている。そして、その「大楽」の本質を「頃久の為に推移せず、多少を以て進退せず(時間の長短によって変化せず、水量の増減によって左右されない)」と説明している。これは、井戸のように干ばつや大雨で状況が変わる相対的な世界とは違う、時間や量の変化を超越した、絶対的で永遠性を持つあり方こそが、海の楽しみの本質であると示している。
問3 傍線部(3)「於是坎井之蛙聞之、驚駭自失」とあるが、蛙がこれほどまでに衝撃を受けたのはなぜか。最も適当なものを次から選べ。
- 自分の世界の常識が全く通用しない、想像を絶する世界の存在を知らされたから。
- 亀の話が、あまりに壮大すぎて、全く信じることができなかったから。
- 亀に、自分の自慢話を真っ向から否定され、プライドが深く傷ついたから。
- 自分がいかに小さな世界で満足していたかを悟り、恥ずかしくなったから。
【解答・解説】
正解:1
蛙にとっての世界とは、水が増えたり減ったりし、カニやオタマジャクシがいる、という経験則に基づいたものであった。しかし、亀が語った海は、時間や量をさえ超越した、彼の認識の枠組みを根本から覆すものであった。「驚駭自失」という言葉は、自分の知っていた常識や価値観が全く通用しない、理解不能な世界の存在を突きつけられたことによる、彼の世界観の完全な崩壊を示している。
【覚えておきたい知識】
重要単語
- 井蛙(せいあ):井戸の中の蛙。世間知らずのたとえ。=坎井の蛙。
- 鱉(べつ):スッポン。ここでは大きな亀の意。
- 跳梁(ちょうりょう):跳ね回ること。
- 擅(ほしいまま)にす:独り占めにする。
- 至(いた)れり:極致である、最高である。
- 逡巡(しゅんじゅん):ためらうこと。しりごみすること。
- 頃久(けいきゅう):時間の長短。
- 驚駭自失(きょうがいじしつ):ひどく驚いて我を忘れること。
背景知識:井の中の蛙大海を知らず(いのなかのかはづ たいかいをしらず)
出典は『荘子』秋水篇。自分の狭い知識や見聞にとらわれて、他に広い世界があることを知らない者のたとえとして、非常に有名な寓話。この話は、単に世間知らずを笑うだけでなく、人間が持つ認識の限界を示唆している。蛙にとっての「井戸」のように、人間もまた、自分が持つ常識や知識という「井戸」の中にいるのではないか、という哲学的な問いを投げかける。自分の「井戸」の存在を自覚し、その外にあるかもしれない「大海」の存在に思いを馳せることの重要性を説く。