142(『三国志』蜀志・馬良伝 より 白眉)
本文
馬良、字季常、襄陽宜城人也。兄弟五人、皆有才名、郷里為之諺曰、「(1)馬氏五常、白眉最も良し。」良眉中有白毛、故以称之。
先主領荊州、辟為従事。及先主入蜀、(2)諸葛亮亦与良書曰、「聞雒城已下、此天祚也。尊兄応期賛世、配業光国、魄兆見矣。…(中略)…涼、故之北、観其話言、清英雅素、過絶於倫。吾拝之、賛之、歓楽之。」
先主征呉、遣良使呉。良謂亮曰、「今銜国命、協穆二家。(3)願君紹介之辞於孫権。」亮曰、「君試自為文。」良乃為草曰、「寡君遣掾馬良、…(中略)…栄光一時。」権敬待之。
【書き下し文】
馬良(ばりょう)、字(あざな)は季常(きじょう)、襄陽(じょうよう)宜城(ぎじょう)の人なり。兄弟五人、皆才名(さいめい)有り、郷里(きょうり)之が為に諺(ことわざ)を為(つく)りて曰く、「(1)馬氏(ばし)の五常(ごじょう)、白眉(はくび)最も良(よ)し。」と。良、眉中(びちゅう)に白毛(はくもう)有り、故に以て之を称す。
先主(せんしゅ)、荊州(けいしゅう)を領するに、辟(め)して従事(じゅうじ)と為す。先主、蜀(しょく)に入るに及び、(2)諸葛亮(しょかつりょう)も亦(ま)た良に書を与へて曰く、「雒城(らくじょう)已(すで)に下(くだ)ると聞く、此れ天の祚(さいは)ひなり。尊兄(そんけい)は期に応じて世を賛(たす)け、業を配して国を光(かがやか)し、魄兆(はくちょう)見(あら)はる。…(中略)…涼(りょう)は、故(もと)より之北(しほく)に、其の話言(わげん)を観るに、清英(せいえい)雅素(がそ)にして、倫(りん)に過ぎ絶(た)えたり。吾之を拝し、之を賛じ、之を歓楽(かんらく)す。」と。
先主、呉を征するに、良を遣(つか)はして呉に使ひせしむ。良、亮に謂ひて曰く、「今、国命を銜(ふく)み、二家(にか)を協穆(きょうぼく)す。(3)願はくは君、之を紹介するの辞を孫権(そんけん)に於てせよ。」と。亮曰く、「君、試みに自ら文を為れ。」と。良、乃ち草を為りて曰く、「寡君(かくん)、掾(えん)馬良を遣はし、…(中略)…栄光は一時に有り。」と。権、之を敬待(けいたい)す。
【現代語訳】
先主(劉備)が荊州を治めていた時、彼を召し出して従事(属官)とした。先主が蜀に入った際、(2)(荊州に残った)諸葛亮もまた馬良に手紙を送って言った、「雒城が陥落したと聞きました、これは天の恵みです。あなた(劉備様)は時運に応じて世を助け、功業を成し遂げて国を輝かせ、その兆しが現れました。…(中略)…馬良殿は、以前からこの荊州北部で、その言論を見聞するに、清らかで秀でており、上品で飾り気がなく、同輩の中でずば抜けておられます。私は彼を尊敬し、称賛し、共にいることを喜んでいるのです。」と。
先主が呉を討伐するにあたり、馬良を呉への使者として派遣した。馬良は諸葛亮に言った、「今、国家の命令を受け、両国を協調させようとしています。(3)どうかあなた様から、孫権殿へ私の紹介状を書いていただけないでしょうか。」と。諸葛亮は言った、「あなたご自身で、試しに文章を作ってみなさい。」と。そこで馬良は、紹介状の草稿を作って言った、「我が君(劉備)は、属官の馬良を派遣し、…(中略)…その栄光は、今この時にかかっております。」と。(これを見て諸葛亮も感心し、これを送り)孫権は、馬良を敬って手厚くもてなした。
【設問】
問1 傍線部(1)「馬氏五常、白眉最も良し」ということわざが示していることは何か。最も適当なものを次から選べ。
- 馬氏の五人兄弟は、みな優秀であったということ。
- 馬氏の五人兄弟の中で、馬良が特に傑出していたということ。
- 眉に白い毛がある者は、賢い人間であるという言い伝え。
- 馬良の才能は、もっぱらその容貌の珍しさから来ていたということ。
【解答・解説】
正解:2
このことわざは、「馬氏五常(馬家の五人兄弟はみな優秀だ)」という前提の上で、「白眉(その中でも眉に白い毛がある馬良)最も良し」と続けている。これは、優秀な兄弟たちの中でも、馬良の才能が特に抜きん出ていたことを示している。このことから、「白眉」という言葉が「同類の中で最も優れたもの」を指すようになった。
問2 傍線部(2)の諸葛亮の手紙の内容から、彼が馬良をどのように評価していたかがわかる。その評価として最も適当なものを次から選べ。
- まだ若いが、将来有望な人物だと評価している。
- 言動が清らかで上品であり、同輩の中でずば抜けて優れた人物だと高く評価している。
- 劉備の遠征を助ける、信頼できる右腕だと評価している。
- 共にいて楽しいが、まだ重要な任務を任せるには早いと評価している。
【解答・解説】
正解:2
諸葛亮は、手紙の中で馬良のことを「其の話言を観るに、清英雅素にして、倫に過ぎ絶えたり(その言論を見聞するに、清らかで秀でており、上品で飾り気がなく、同輩の中でずば抜けている)」と、最大限の言葉で称賛している。これは、彼が馬良の才能と人格を非常に高く評価していたことを示している。
問3 傍線部(3)「願君紹介之辞於孫権」と、馬良が諸葛亮に紹介状を頼んだのはなぜか。その背景にある馬良の考えとして、最も適当なものを次から選べ。
- 自分一人では、呉の君主である孫権に会うことさえできないと考えたから。
- 諸葛亮の絶大な名声と信頼を借りることで、呉との外交交渉を円滑に進めようと考えたから。
- 自分で紹介状を書くのが面倒だったので、諸葛亮に代筆してもらおうと考えたから。
- 自分が呉へ行っている間に、諸葛亮が自分のことを忘れないように、釘を刺しておこうと考えたから。
【解答・解説】
正解:2
当時、諸葛亮の「臥龍」としての名声は天下に鳴り響いていた。馬良は、呉という大国との外交という重大な任務を成功させるために、自分の名声だけでは不十分だと考えた。そこで、当代随一の賢者である諸葛亮からの紹介状(紹介の辞)を得ることで、孫権からの信頼を得て、交渉を有利に進めようという、現実的で賢明な判断をしたのである。
【覚えておきたい知識】
重要単語
- 馬良(ばりょう):三国時代の蜀の臣下。優れた才能で知られた。弟は、泣いて馬謖を斬るの故事で有名な馬謖。
- 字(あざな):元服の際に付ける、本名とは別の通称。
- 五常(ごじょう):馬良の兄弟は、字にみな「常」の字がついたため、こう呼ばれた。
- 白眉(はくび):白い眉毛。
- 先主(せんしゅ):先の主君。ここでは蜀の初代皇帝、劉備を指す。
- 辟(め)す:君主が臣下を召し出す。
- 諸葛亮(しょかつりょう):三国時代の蜀の丞相。「臥龍」と称された天才軍師。
- 祚(さいは)ひ:天の恵み、幸い。
- 協穆(きょうぼく):協調し、仲睦まじくすること。
- 寡君(かくん):徳の少ない我が君主、の意。家臣が自国の君主をへりくだって言う言葉。
背景知識:白眉(はくび)
出典は『三国志』蜀志・馬良伝。三国時代、蜀に仕えた馬良は、五人兄弟がみな優秀であったが、その中でも特に優れていると評判だった。彼の眉には白い毛が混じっていたことから、人々は彼を「白眉」と呼んで称えた。この故事から、「白眉」は、同類の者たちの中で、最も傑出している人物や物事を指す言葉として使われるようになった。「この作品は、数ある彼の小説の中でも白眉のできだ」のように用いる。