141(『史記』高祖本紀 より 劉邦の大志)

本文

高祖為人、隆準而竜顔、美須髯。…(中略)…常有大度、不事家人生産作業。及壮、試為吏、為泗水亭長、廷中吏無所不狎侮。好酒及色。常従王媪・武負貰酒、酔臥。…(中略)…
呂公、好相人、見高祖状貌、因重敬之。引入坐。蕭何曰、「劉季固多大言、少成事。」(1)高祖、素狎易諸吏、坐上坐、毫不屈。
高祖常繇咸陽。縦観、(2)観秦皇帝、喟然太息曰、「嗟乎、大丈夫当如此也。」

【書き下し文】
高祖(こうそ)の人と為(な)り、隆準(りゅうじゅん)にして竜顔(りゅうがん)、美しき須髯(しゅぜん)あり。…(中略)…常に大度(たいど)有り、家人の生産の作業を事とせず。壮(そう)なるに及び、試みに吏(り)と為(な)り、泗水(しすい)の亭長(ていちょう)と為るも、廷中(ていちゅう)の吏、狎侮(こうぶ)せざる所無し。酒及び色を好む。常に王媪(おうおう)・武負(ぶふ)に従ひて酒を貰(か)り、酔ひて臥(ふ)す。…(中略)…
呂公(りょこう)、人を相(そう)するを好み、高祖の状貌(じょうぼう)を見て、因(よ)りて之を重んじ敬(うやま)ふ。引きて坐(ざ)に入(い)る。蕭何(しょうか)曰く、「劉季(りゅうき)は固(もと)より大言(たいげん)多く、成事(せいじ)少なし。」と。(1)高祖、素(もと)より諸吏を狎易(こうい)し、上坐(じょうざ)に坐するも、毫(がう)も屈せず。
高祖、常に咸陽(かんよう)に繇(えき)す。縦観(しょうかん)し、(2)秦の皇帝を観、喟然(きぜん)として太息(たいそく)して曰く、「嗟乎(ああ)、大丈夫(だいじょうふ)は当(まさ)に此(かく)の如(ごと)くなるべきなり。」と。

【現代語訳】
高祖(劉邦)の人柄は、鼻筋が通って竜のような顔つきで、美しいひげを生やしていた。…(中略)…常におおらかで、家の者が行う生産活動(農業など)には従事しなかった。成人して、試しに役人となり、泗水の亭長となったが、役所の同僚たちを皆、軽んじ馬鹿にしていた。酒と女を好んだ。いつも王おばさんや武おばさんの店からツケで酒を買い、酔っぱらって寝ていた。…(中略)…
(沛の有力者である)呂公は、人相を見るのが好きで、高祖の顔つきや様子を見て、彼を重んじ敬った。そして、(宴席の)中に引き入れて座らせた。(役人の)蕭何は(呂公に)言った、「劉季(劉邦)はもとより、大口を叩くばかりで、物事を成し遂げることが少ない男です。」と。(1)しかし高祖は、普段から役所の同僚たちを見下しており、(身分不相応な)上座に座っても、少しも臆することがなかった。
高祖は、若い頃、都の咸陽で労役についていたことがあった。ある時、行列を組んで見物し、(2)秦の始皇帝の威容を観て、はあと大きくため息をついて言った、「ああ、男たるもの、まさにこのようでなければならないなあ。」と。

【設問】

問1 傍線部(1)「高祖、素狎易諸吏」という記述は、若き日の劉邦のどのような性格を示しているか。最も適当なものを次から選べ。

  1. 自分の能力を過信し、周りの人間を見下す、傲慢な性格。
  2. 身分や地位にとらわれず、誰とでも気さくに接する、庶民的な性格。
  3. 自分は小さな役所で終わる人間ではないという、強い自負心と非凡さ。
  4. 協調性がなく、同僚たちと協力して仕事を進めるのが苦手な性格。
【解答・解説】

正解:3

「狎易」は、なれなれしくして、相手を軽んじること。劉邦は、小さな宿場の役人(亭長)という低い身分でありながら、同僚たち(諸吏)を平気で見下していた。これは、単なる傲慢さというよりは、「自分はこんな連中と同じではない」という、根拠のない、しかし強い自負心の表れである。司馬遷は、後の漢の初代皇帝となる彼の、若き日の非凡さを描写するエピソードとして、これを記している。

問2 傍線部(2)の場面で、劉邦が「喟然太息」した理由として、最も適当なものを次から選べ。

  1. 始皇帝の圧倒的な威厳と、現在の自分のちっぽけな境遇との、あまりの隔たりに。
  2. 始皇帝のような絶対的な権力者になることの、想像を絶する重圧に。
  3. 始皇帝の圧政によって、多くの民が苦しんでいるであろう現実に。
  4. 始皇帝のような偉大な人物に、自分は決してなれないだろうという絶望に。
【解答・解説】

正解:1

「喟然太息」は、深い感嘆や感動から発せられる、大きいため息である。劉邦は、始皇帝の威容を目の当たりにして、その圧倒的な存在感に強く心を動かされた。そして、それと同時に、自分自身の現在の低い身分や境遇を省み、そのあまりの落差に、大きなため息が出たのである。しかし、それは絶望のため息ではなく、「自分もいつかはあのように」という、強い憧れと野心に裏打ちされたものであった。

問3 蕭何が「劉季固多大言、少成事」と評しているにもかかわらず、呂公が劉邦を「重んじ敬」ったのはなぜか。最も適当なものを次から選べ。

  1. 劉邦が、呂公の探し求めていた理想の娘婿の条件に、ぴったりと合っていたから。
  2. 呂公は、蕭何の言うような表面的な評判ではなく、劉邦の顔つきや態度(状貌)に、非凡な将来性を見出したから。
  3. 呂公は、劉邦の大言壮語を、若者らしい頼もしさの表れだと好意的に解釈したから。
  4. 呂公は、蕭何が劉邦の才能に嫉妬して、わざと悪く言っているのだと見抜いたから。
【解答・解説】

正解:2

本文に「呂公、人を相するを好み、高祖の状貌を見て、因りて之を重んじ敬ふ」とある。「人を相する」とは人相を見ることである。呂公は、蕭何が指摘するような、劉邦の普段の評判(大口を叩くが実績がない)を知りつつも、それとは別に、劉邦自身の顔つきや、物おじしない堂々とした態度の中に、常人にはない「何か」=将来皇帝になるほどの器量を見抜いたのである。常識的な評価を超えた、非凡な洞察力があったことを示している。

【覚えておきたい知識】

重要単語

背景知識:劉邦の人柄

出典は『史記』高祖本紀。歴史家・司馬遷は、漢王朝の創始者である劉邦を、完璧な聖人君子として描いてはいない。むしろ、酒と女好きで、家の仕事もせず、大口を叩いては同僚を見下すような、田舎のならず者に近い人物として、その青年期を描写している。しかし同時に、そうした欠点の中に、常人にはない「大度(おおらかさ)」、人々を惹きつける不思議な魅力、そして「大丈夫は当に此の如くなるべきなり」と天下の頂点を夢見る、並外れた野心があったことを示している。こうした多面的で人間臭い人物描写こそが、『史記』の大きな魅力となっている。

レベル:共通テスト標準|更新:2025-07-26|問題番号:141