140(『韓非子』外儲説左上 より 郢書燕説の寓意)

本文

郢人有遺燕相国書者。夜書、火不明、因謂持燭者曰、「挙燭。」云而過書「挙燭」。(1)「挙燭」非書意也。
燕相国受書而説之、曰、「挙燭者、尚明也。尚明也者、挙賢而任之。」燕相国白王、王大説、国以治。
(2)治則治矣、非書意也。(3)今世之学者、多似此類。

【書き下し文】
郢人(えいひと)、燕(えん)の相国(しょうこく)に書(しょ)を遺(おく)る者有り。夜、書するに、火(ひ)明らかならず、因(よ)りて燭(しょく)を持つ者に謂(い)ひて曰く、「燭を挙げよ。」と。云(い)ひて過(あやま)ちて「燭を挙げよ」と書す。(1)「燭を挙げよ」とは書の意に非(あら)ざるなり。
燕の相国、書を受けて之を説(と)きて、曰く、「燭を挙げよとは、明(めい)を尚(たつと)ぶなり。明を尚ぶとは、賢を挙げて之に任ぜよとなり。」と。燕の相国、王に白(まう)す。王、大いに説(よろこ)び、国、以て治まる。
(2)治まれば則(すなは)ち治まれり、書の意に非(あら)ざるなり。(3)今の世の学者、多(おほ)く此の類(たぐひ)に似たり。

【現代語訳】
楚の国の都、郢の人が、燕の国の宰相に手紙を送ったことがあった。夜に手紙を書いていたところ、灯火が暗かったので、そばで燭台を持っていた召使いに言った、「燭台を高く上げよ。」と。そう言いながら、うっかり「燭を挙げよ」という言葉を手紙に書き入れてしまった。(1)この「燭を挙げよ」は、手紙の本来の意図ではなかった。
燕の宰相は、その手紙を受け取って解釈して、言った、「『燭を挙げよ』とは、明るさを尊べ、という意味だ。明るさを尊ぶとは、賢者を登用して、彼らに任務を任せよ、ということだ。」と。燕の宰相は、これを王に申し上げた。王は大いに喜び、(その通り賢者を登用したところ)国はよく治まった。
(2)(国が)治まったのは治まったのだが、それは手紙の本来の意図ではなかった。(3)今の世の学者たちは、多くがこの(燕の宰相の)類である。

【設問】

問1 傍線部(1)「『挙燭』非書意也」とあるが、では、「挙燭」という言葉が手紙に書かれた本当の理由は何であったか。本文に即して答えよ。

  1. 書き手が、召使いに言った言葉を誤って書き写したから。
  2. 書き手が、燕の宰相の知性を試すための暗号として書いたから。
  3. 書き手が、自分の教養の深さを示すために、故事を引用したから。
  4. 書き手が、燕の政治の不明を、比喩的に批判したから。
【解答・解説】

正解:1

本文冒頭に、「夜書するに、火明らかならず、因りて燭を持つ者に謂ひて曰く、『燭を挙げよ』と。云ひて過ちて『燭を挙げよ』と書す」とある。これは、「燭を挙げよ」という言葉が、手紙の内容とは全く無関係の、召使いへの指示であり、それが偶然、書き間違いによって紛れ込んでしまったことを示している。

問2 燕の宰相の解釈(挙燭→尚明→挙賢)と、それによって国が治まったという結果について、筆者は傍線部(2)「治則治矣、非書意也」と評している。この評価が示す、筆者の見方として最も適当なものを次から選べ。

  1. 原因と結果が偶然一致しただけであり、その解釈の正当性を証明するものではないという見方。
  2. たとえ解釈が間違っていても、結果的に国が治まったのだから、素晴らしい解釈であったという見方。
  3. 国が治まったのは、解釈が優れていたからではなく、もともと宰相が有能だったからだという見方。
  4. 宰相の解釈は、郢人の意図を超えた、より高次元の真理を捉えていたという見方。
【解答・解説】

正解:1

法家である韓非子は、論理の整合性と因果関係を非常に重視する。この話において、「宰相の間違った解釈」と「国が治まった」という結果の間には、必然的なつながりがない。たまたま良い結果が出ただけであり、それは全くの偶然である。筆者は、「治まったのは事実だが、それは手紙の意図とは無関係だ」と念を押すことで、結果の良さによって、その原因となった方法(こじつけの解釈)まで正当化されるべきではない、という冷徹な姿勢を示している。

問3 傍線部(3)「今世之学者、多似此類」という筆者の批判は、どのような学問的態度に向けられているか。最も適当なものを次から選べ。

  1. 古代の文献の言葉を、本来の文脈や意図を無視して、現在の自分たちの主張に都合よく解釈する態度。
  2. 難解な文献の解釈をめぐって、学者同士で不毛な論争を繰り返す態度。
  3. 文献研究ばかりに没頭し、現実の政治や社会の問題から目をそむける態度。
  4. 権威ある学者の説を鵜呑みにし、自ら文献を批判的に読もうとしない態度。
【解答・解説】

正解:1

韓非子が主に批判の対象としたのは、古代の聖王の言行を記録した経典(儒教の経典など)を絶対視する儒家の学者たちである。彼は、それらの学者が、燕の宰相が単なる書き間違いを深読みしたように、古代の書物の単純な言葉に対して、本来の意図とはかけ離れた、後付けの深遠な解釈を作り出し、それを根拠に現在の政治を語っている、と批判しているのである。

【覚えておきたい知識】

重要単語

背景知識:郢書燕説(えいしょえんせつ)

出典は『韓非子』外儲説左上篇。『呂氏春秋』にも類話が見られる。郢の人の手紙を、燕の人が(間違って)解釈した、というこの故事から、「郢書燕説」は、本来の意図とは違うのに、もっともらしくこじつけて解釈することのたとえとして使われる。韓非子は、この寓話を用いて、古代の聖王の言葉を自分たちの都合の良いように解釈する儒家の学者たちを痛烈に批判した。結果が良かったとしても(燕国大治)、その解釈の正当性が保証されるわけではないという、冷徹な現実主義が示されている。

レベル:共通テスト発展|更新:2025-07-26|問題番号:140