139(『史記』李将軍列伝 より 誠は金石をも通す)

本文

広出猟、(1)見草中石、以為虎而射之。中石、没矢。視之、石也。因復更射之、(2)終不能復入石矣。広所居郡、聞有虎、嘗自射之。及居右北平、射虎、虎騰傷広、広亦竟射殺之。
諺曰、「(3)其誠之所之、金石為開。」

【書き下し文】
広(こう)、猟(りょう)に出(い)で、(1)草中(そうちゅう)の石を見、以(おも)へらく虎なりと為(な)して之を射る。石に中(あた)り、矢を没(ぼっ)せしむ。之を視(み)れば、石なり。因(よ)りて復(ま)た更に之を射るも、(2)終(つひ)に復た石に入(い)る能(あた)はざるなり。広、居(を)る所の郡に、虎有りと聞けば、嘗(かつ)て自(みづか)ら之を射る。右北平(ゆうほくへい)に居るに及び、虎を射るに、虎、騰(おど)りて広を傷(きず)つく。広も亦(ま)た竟(つひ)に射て之を殺す。
諺(ことわざ)に曰く、「(3)其の誠(まこと)の之(ゆ)く所、金石(きんせき)も為(ため)に開く。」と。

【現代語訳】
(前漢の将軍)李広が狩りに出た時、(1)草むらの中の石を見て、虎だと思い込んでそれを射た。矢は石に当たり、矢じりが(石の中に)めり込んだ。よく見てみると、それは石であった。そこで、改めてもう一度その石を射てみたが、(2)とうとう二度と矢を石に射ち込むことはできなかった。李広は、任地の郡に虎が出たと聞けば、いつも自ら出向いてこれを射た。右北平の長官であった時には、虎を射た際に、虎が躍りかかってきて李広は傷を負ったが、李広もまた、とうとう虎を射殺した。
ことわざに、「(3)その誠の心が向かうところでは、金属や石のような硬いものでも、そのために開かれる。」とある(が、李広のことだろう)。

【設問】

問1 傍線部(1)で、李広が石に矢を射ち込むことができたのはなぜか。その時の彼の心理状態として最も適当なものを次から選べ。

  1. 自分の弓の腕前を試そうとする、挑戦的な気持ち。
  2. 目の前にいるのが虎だと信じ込み、命がけで射ようとする、極限の集中状態。
  3. ただの石だと分かっていたが、精神力で貫けると信じる、強い自己暗示。
  4. 偶然の出来事であり、特に特別な心理状態ではなかった。
【解答・解説】

正解:2

李広は、草むらの石を「虎なりと為して(虎だと思い込んで)」射た。つまり、彼の心の中では、それは紛れもなく虎との命がけの対決であった。この、生死を分ける極限状況が生み出した、一点の曇りもない必死の精神(=誠)が、彼の潜在能力を最大限に引き出し、石に矢を突き立てるという超常的な結果を生んだと考えられる。後のことわざが「誠」の力を讃えていることからも、この解釈が妥当である。

問2 傍線部(2)「終不能復入石矣」とあるが、一度成功したにもかかわらず、二度目は矢が石に入らなかったのはなぜか。その理由として最も適当なものを次から選べ。

  1. 一度目の衝撃で、矢じりが曲がってしまったから。
  2. 一度目で力を使い果たし、二度目は十分に弓を引けなかったから。
  3. 一度目の成功が、ただの偶然であったことが証明されたから。
  4. 相手が石だと分かってしまい、一度目のような必死の精神状態になれなかったから。
【解答・解説】

正解:4

一度目と二度目の最大の違いは、李広の心理状態にある。一度目は「虎だ」という思い込みからくる極度の集中状態(誠)であったが、二度目は相手がただの「石」だと認識してしまっている。そのため、命がけの必死さはなくなり、ただ技術的に射るだけになってしまった。この精神状態の違いが、結果の違いを生んだと解釈するのが、この逸話の主旨である。

問3 傍線部(3)「其誠之所之、金石為開」ということわざが示す教訓として、最も適当なものを次から選べ。

  1. 誠実な人柄は、どんなに頑固な人の心でも開かせることができる。
  2. 真心からのお願いであれば、どんなに難しいことでも聞き入れられる。
  3. 精神を極度に集中させれば、普段では不可能なことも成し遂げられる。
  4. 上記のすべて。
【解答・解説】

正解:4

「誠」とは、偽りのない真心、一点の曇りもない精神の集中を指す。「金石」は、金属や石のように、きわめて硬いもののたとえである。このことわざは、物理的に硬いものだけでなく、比喩的に、人の頑なな心や、困難な状況なども含意する。したがって、純粋で強い一念(誠)を込めて物事にあたれば、どんな困難(金石)でも克服できる、という普遍的な教訓を示している。1,2,3はすべて、その具体的な適用例と言えるため、4が最も包括的で適当である。

【覚えておきたい知識】

重要単語

背景知識:誠は金石をも通す(せい きんせきをも とおす)

出典は『史記』李将軍列伝。前漢の悲劇の将軍、李広の並外れた武勇と誠実な人柄を伝える逸話の一つ。この故事から、「誠は金石をも通す」または「一念岩をも通す」ということわざが生まれた。純粋な強い信念や、精神を集中させて物事にあたれば、どんなに困難なことでも成し遂げることができる、という教訓として用いられる。司馬遷は、この逸話を通して、李広の武勇だけでなく、その裏にある、飾り気のない純粋な精神(誠)を称賛している。

レベル:共通テスト標準|更新:2025-07-26|問題番号:139