104(『荘子』斉物論 より 胡蝶の夢)
本文
昔者、荘周夢為胡蝶。(1)栩栩然胡蝶也。自喩適志与。不知周也。俄然覚、(2)則蘧蘧然周也。不知周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。周与胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。
【書き下し文】
昔者(むかし)、荘周(そうしゅう)、夢に胡蝶(こちょう)と為(な)る。(1)栩栩然(くくぜん)として胡蝶なり。自(みづか)ら喩(たの)しみて志(こころ)に適(かな)へるかな。周なるを知らざるなり。俄然(がぜん)として覚(さ)むれば、(2)則(すなは)ち蘧蘧然(きょきょぜん)として周なり。知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。周と胡蝶とは、則ち必ず分(ぶん)有らん。此(こ)れを之(こ)れ物化(ぶっか)と謂(い)ふ。
【現代語訳】
【設問】
問1 傍線部(1)「栩栩然胡蝶也」と傍線部(2)「則蘧蘧然周也」の対比が示していることは何か。最も適当なものを次から選べ。
- 夢の中の蝶としての体験も、目覚めた後の荘周としての体験も、それぞれが紛れもない「現実」として感じられたということ。
- 蝶として生きていた時の方が、人間である荘周として生きている時よりも、はるかに自由で楽しかったということ。
- 夢は曖昧でぼんやりしているのに対し、現実は常にはっきりとしていて確実であるということ。
- 蝶は生き生きとしているが、荘周は硬直してしまっているという、生命力の対比。
【解答・解説】
正解:1
「栩栩然」は蝶が生き生きと楽しんでいる様子、「蘧蘧然」は目覚めた荘周が紛れもなく荘周である様子を、それぞれ強調する言葉である。筆者は、どちらか一方が本物で他方が偽物だとは言わず、夢の中の蝶も、目覚めた後の荘周も、その瞬間においては、それぞれが絶対的な「現実」であったことを示している。この両方の体験の「リアルさ」こそが、後の「どちらが本当の自分なのか」という問いを生む土台となっている。
問2 荘周が「周与胡蝶、則必有分矣(荘周と蝶とでは、必ず区別はあるはずだ)」と、あえて付け加えたのはなぜか。その意図として最も適当なものを次から選べ。
- 夢から覚めて冷静になり、やはり人間と蝶は違うという常識的な結論に至ったから。
- 夢と現実が混同する不思議な体験を語った上で、一旦常識的な視点に立ち返ることで、続く「物化」という結論をより際立たせるため。
- 自分の体験が、単なる精神の錯乱ではないことを読者に示し、安心させるため。
- 荘周と蝶の区別がつかないという考えは、あくまで夢の中のことであり、現実にはありえないと釘を刺すため。
【解答・解説】
正解:2
この一文は、話の流れに逆らうように、常識的な区別を肯定している。これは、荘子が単に夢と現実の区別がつかない混乱した状態にあるのではなく、常識的な区別(分)を理解した上で、さらにその先にある哲学的真理(物化)を語ろうとしていることを示している。常識を一度認めることで、それを超える「物化」という概念の深さと重要性を、より効果的に読者に提示する、巧みなレトリックである。
問3 この寓話が最終的に示す「物化」という思想は、どのような世界観に基づいているか。最も適当なものを次から選べ。
- 万物は流転し、形あるものはいつか必ず滅びるという、無常の世界観。
- 全ての物事は、目に見えない一つの大きな法則によって支配されているという、運命論的な世界観。
- 人間や蝶といった個別の存在の区別は仮のものであり、万物は絶えず変化し続ける一つの流れであるという、一元論的な世界観。
- 人間は、修行を積むことで、蝶などの他の生物に生まれ変わることができるという、輪廻転生の世界観。
【解答・解説】
正解:3
「物化」とは、万物が絶えず変化し、その姿を変えていくことを意味する。荘周が蝶になり、蝶が荘周になるかもしれない、という体験は、人間と蝶という固定的な区別が、実は絶対的なものではないことを示唆している。荘子の思想の根幹には、個別の存在(=物)は全て、根源的な一つの「道(タオ)」の現れであり、その区別は仮初のものである、という一元論的な世界観がある。「物化」は、その流動的な世界のありようを表現した言葉である。
【覚えておきたい知識】
重要単語
- 荘周(そうしゅう):荘子の本名。ここでは荘子自身を指す。
- 胡蝶(こちょう):蝶。
- 栩栩然(くくぜん):生き生きとして楽しそうなさま。
- 喩(たの)しむ:楽しむ、喜ぶ。
- 俄然(がぜん):にわかに、突然。
- 覚(さ)む:目が覚める。
- 蘧蘧然(きょきょぜん):はっきりしているさま。夢から覚めた現実の自分を指す。
- 分(ぶん):区別、違い。
- 物化(ぶっか):万物がとどまることなく変化していくこと。道家の重要な思想。
背景知識:胡蝶の夢(こちょうのゆめ)・物化
出典は『荘子』斉物論篇。「斉物論」とは、「万物は本質的に斉(ひと)しい」と論じる篇であり、荘子思想の核心部分である。この「胡蝶の夢」は、その思想を最も象徴的に表した寓話として知られる。荘子は、人間が作り出した言葉や常識による区別(例:自分と他人、生と死、夢と現実)は相対的なものでしかないと考えた。この話は、自己と他者、主観と客観の区別さえもが絶対ではないことを示し、そうした区別から解放された自由な精神のあり方(=逍遥遊)を理想とする。人生のはかなさのたとえとして使われることもあるが、本来はより深い哲学的な問いかけを含んでいる。