137(『韓非子』難一 より 矛盾の論理)
本文
楚人有鬻盾与矛者、誉之曰、「(1)吾盾之堅、物莫能陥也。」又誉其矛曰、「(2)吾矛之利、於物無不陥也。」或曰、「以子之矛、陥子之盾、何如。」其人弗能応也。
【書き下し文】
楚人(そひと)に盾(たて)と矛(ほこ)とを鬻(ひさ)ぐ者有り、之を誉(ほ)めて曰く、「(1)吾(わ)が盾の堅きこと、物として能(よ)く陥(とほ)すもの莫(な)きなり。」と。又(ま)た其の矛を誉めて曰く、「(2)吾が矛の利きこと、物に於(お)いて陥さざる無きなり。」と。或(あ)るひと曰く、「子の矛を以(もっ)て、子の盾を陥さば、何如(いかん)。」と。其の人、応(こた)ふること能(あた)はざるなり。
【現代語訳】
【設問】
問1 傍線部(1)の「吾盾之堅、物莫能陥也」という主張を、論理学的に表現するとどうなるか。最も適当なものを次から選べ。
- 「すべての物 x について、x はこの盾を陥す」は偽である。
- 「ある物 x が存在し、x はこの盾を陥す」は偽である。
- 「すべての物 x について、x はこの盾を陥すことはできない」。
- 「ある物 x が存在し、x はこの盾を陥すことはできない」。
【解答・解説】
正解:3
「物莫能陥也」は「いかなる物も、これを陥すことはできない」という意味の、全称命題(すべてのものについて述べる文)である。これを論理学的に表現すると、「すべての物 x について、x はこの盾を陥すことができない」となる。選択肢2は「陥せるものは一つもない」と同義であり、これも正しいが、主張の普遍性(すべての物について言及している点)をより明確に表しているのは選択肢3である。
問2 傍線部(2)の「吾矛之利、於物無不陥也」という主張は、傍線部(1)の主張とどのような関係にあるか。最も適当なものを次から選べ。
- (1)の主張を、別の側面から補強している。
- (1)の主張とは、全く無関係の独立した主張である。
- (1)の主張と、論理的に両立しない、矛盾した主張である。
- (1)の主張が真であれば、必然的に偽となる主張である。
【解答・解説】
正解:4
主張(1)は「いかなる物もこの盾を陥せない」。主張(2)は「この矛はいかなる物も陥せる」。もし、主張(1)が真実であるならば、この世に「陥せない物(=この盾)」が一つ存在することになる。そうなると、「いかなる物も陥せる」という主張(2)は、その時点で必然的に偽となる。逆もまた然りである。このように、一方が真であれば、もう一方が必ず偽となる関係を「矛盾」という。選択肢3も正しいが、より論理的な関係性を精密に表現しているのは4である。
問3 この寓話に登場する「或るひと」の役割として、最も重要なものは何か。次から選べ。
- 商人の誇大広告を暴き、他の客がだまされるのを防ぐ、正義の告発者。
- 二つの主張に含まれる論理的な欠陥を、鋭い質問によって明らかにする、論理学者。
- 矛と盾を実際に戦わせることを提案し、真実を明らかにしようとする、実証主義者。
- 商人を困らせることで、その場の雰囲気を楽しもうとする、からかい好きな人物。
【解答・解説】
正解:2
この物語は、単なる商人と客のやり取りではない。作者である韓非子は、この「或るひと」の口を借りて、論理的に矛盾した主張がいかに無意味であるかを読者に示している。「或るひと」の質問は、二つの主張を直接対決させることで、その両立不可能性を暴き出す、純粋に論理的な操作である。したがって、彼の役割は、論理の探求者、あるいは矛盾を指摘する論理学者としての役割が最も重要である。
【覚えておきたい知識】
重要句法
- 莫能~ (よく~するはなし):「~できるものは何もない」。不可能を表す。
- 無不~ (~ざるはなし):「~ないものはない」。二重否定であり、強い肯定(「必ず~する」)を表す。
- 弗能~ (~することあたはず):「~することができない」。不可能を表す。「不」よりも強い否定。
- 不可~ (~べからず):「~できない」「~してはならない」。不可能・禁止。
重要単語
- 鬻(ひさ)ぐ:商品を売る。行商する。
- 誉(ほ)む:ほめる。自慢する。
- 陥(とほ)す:突き通す。貫く。
- 或(あ)るひと:ある人。不特定の人を指す。
- 何如(いかん):どうであるか、どうなるか。
- 同世而立(どうせいにしてたつ):同じ時代に両立する。
背景知識:矛盾(むじゅん)
出典は『韓非子』難一篇。「難」とは、他人の説の難点を問いただす、の意。この話は、弁論における論理的な矛盾を指摘する例として挙げられている。ここから、二つの事柄のつじつまが合わないことを意味する「矛盾」という故事成語が生まれた。韓非子は、現実の社会状況に即した厳格な「法」による統治を主張し、儒家が理想とするような、曖昧で時代遅れの「徳」や過去の聖王のやり方を、しばしばこのような論理的な寓話を用いて批判した。