132(『史記』管晏列伝 より 管鮑の交わり)

本文

鮑叔、斉の公子小白に事へ、管仲は公子糾に事ふ。及小白立、為桓公、公子糾死、管仲囚焉。(1)鮑叔、遂進管仲。管仲既用、任政於斉、斉桓公以覇、九合諸侯、一匡天下、管仲之謀也。
管仲曰、「吾始困時、嘗与鮑叔賈、分財利多自与。鮑叔不以我為貪、知我貧也。…(中略)…吾嘗三戦三走。鮑叔不以我為怯、知我有老母也。公子糾敗、召忽死之、吾幽囚受辱。鮑叔不以我為無恥、知我不羞小節、而恥功名不顕於天下也。(2)生我者父母、知我者鮑子也。」
鮑叔既進管仲、(3)身為之下。子孫世禄於斉、有封邑者十余世。常為名大夫。天下不多管仲之賢、而多鮑叔能知人也。

【書き下し文】
鮑叔(ほうしゅく)、斉の公子(こうし)小白(しょうはく)に事(つか)へ、管仲(かんちゅう)は公子糾(きゅう)に事ふ。小白立ちて、桓公(かんこう)と為(な)るに及び、公子糾死し、管仲囚(とら)はる。(1)鮑叔、遂に管仲を薦(すす)む。管仲既に用ゐられ、政(まつりごと)を斉に任(まか)され、斉の桓公、以て覇(は)たり。九たび諸侯を合はせ、一たび天下を匡(ただ)せるは、管仲の謀(はかりごと)なり。
管仲曰く、「吾、始め困(くる)しみし時、嘗(かつ)て鮑叔と賈(こ)し、財利を分かつに多く自ら与ふ。鮑叔、我を以て貪(どん)と為さず、我が貧なるを知ればなり。…(中略)…吾、嘗て三たび戦ひて三たび走(に)ぐ。鮑叔、我を以て怯(きょう)と為さず、我に老母有るを知ればなり。公子糾敗れ、召忽(しょうこつ)之に死し、吾、幽囚(ゆうしゅう)せられて辱(はじ)を受く。鮑叔、我を以て恥無しと為さず、我の小節(しょうせつ)を羞(は)ぢずして、功名(こうみょう)の天下に顕(あらは)れざるを恥づるを知ればなり。(2)我を生みし者は父母、我を知る者は鮑子(ほうし)なり。」と。
鮑叔、既に管仲を薦め、(3)身、之が下(した)と為る。子孫、世々(よよ)斉に禄(ろく)せられ、封邑(ほうゆう)を有する者十余世。常に名大夫(めいたいふ)たり。天下、管仲の賢を多(か)とするにあらずして、鮑叔の能(よ)く人を知るを多とす。

【現代語訳】
鮑叔は斉の公子である小白に仕え、管仲は公子の糾に仕えた。やがて小白が即位して桓公となると、公子糾は殺され、管仲は囚われの身となった。(1)鮑叔は、そこで桓公に管仲を推薦した。管仲が登用されると、斉の国政を任され、斉の桓公は彼のおかげで天下の覇者となった。九度も諸侯を会同させ、天下の秩序を一度正したのは、すべて管仲の謀略によるものであった。
(後に)管仲は言った、「私が昔、貧しく困っていた時、鮑叔と一緒に商売をして、利益を分ける際にいつも自分の方が多く取った。しかし鮑叔は、私のことを貪欲だとは思わなかった、私が貧しいことを知っていたからだ。…(中略)…私が三度、戦に出て三度とも逃げた。しかし鮑叔は、私のことを臆病だとは思わなかった、私に老いた母がいることを知っていたからだ。公子糾が(後継者争いに)敗れ、同僚の召忽は殉死し、私は囚われの身となって恥辱を受けた。しかし鮑叔は、私のことを恥知らずだとは思わなかった、私が目先の小さな節義を恥じるのではなく、自分の功績と名声が天下に知られないことを恥じている人間だと、知っていたからだ。(2)私を産んでくれたのは父母だが、私を(本当に)理解してくれたのは鮑叔、その人である。」と。
鮑叔は、管仲を推薦した後、(3)自ら進んで管仲の下の地位についた。(その功績により)鮑叔の子孫は、代々斉の国から俸禄を受け、領地を持つ者が十数代も続いた。そして、常に名臣として称えられた。世間の人々は、管仲の賢明さを称賛する以上に、鮑叔がよく人を見抜いたことを称賛したのである。

【設問】

問1 傍線部(1)「鮑叔、遂進管仲」とあるが、鮑叔が政敵であった管仲をあえて桓公に推薦した理由として、最も適当なものを次から選べ。

  1. 友人である管仲の命を救うため。
  2. 桓公を覇者にするためには、管仲の才能が不可欠だと考えたから。
  3. 自分が宰相になるための、地ならしとして管仲を利用しようとしたから。
  4. 管仲を味方に引き入れなければ、いずれ桓公の脅威になると考えたから。
【解答・解説】

正解:2

鮑叔は、桓公に管仲を推薦する際に、「君、斉を治むるだけならば、この私で十分です。しかし、天下の覇者となろうとなさるなら、管仲でなければなりません」と述べたとされる。これは、彼が友人の命を救うという私情だけでなく、国家の発展という公的な目的のために、管仲の才能が絶対不可欠であると判断していたことを示している。

問2 傍線部(2)「生我者父母、知我者鮑子也」という管仲の言葉は、父母の恩と鮑叔の恩を対比することで、鮑叔のどのような点を最大限に称賛しているか。最も適当なものを次から選べ。

  1. 自分の表面的な行動の裏にある、真意や事情を深く理解してくれた点。
  2. 自分という人間に、生命そのものを与えてくれた点。
  3. 自分に、社会的な成功を収める機会を与えてくれた点。
  4. 自分を、父母と同じくらい、無条件の愛情で包んでくれた点。
【解答・解説】

正解:1

「我を生みし者」は、自分の物理的な生命の起源を示している。それに対し、「我を知る者」は、自分の精神的な本質、人格、才能、そして真意を理解してくれた存在を示している。管仲は、父母が自分に生命を与えてくれたのと同じレベルで、鮑叔の「理解」が、自分の社会的な生命、つまり才能を発揮して功名を立てるという人生を可能にしてくれた、と感謝しているのである。その「理解」の具体例が、直前に列挙されている内容(貧しいことを知っていた、老母がいることを知っていた、等)である。

問3 傍線部(3)「身為之下」という鮑叔の行動が、特に称賛される理由として最も適当なものを次から選べ。

  1. 自分が推薦した人物の下で働くという、謙虚で私心のない態度を示したから。
  2. 管仲の側近として、彼が宰相の仕事を全うできるよう、支え続けたから。
  3. あえて下の地位につくことで、管仲に恩を売り、彼をコントロールしようとしたから。
  4. 管仲が失敗した際に、すぐに自分が取って代われるよう、準備をしていたから。
【解答・解説】

正解:1

鮑叔は、管仲を推薦した功労者であり、桓公の信頼も厚い重臣であった。彼が望めば、管仲と同等か、それに近い地位を得ることも可能だったかもしれない。しかし、彼は自ら進んで管仲の下の地位についた。これは、自分の地位や名誉よりも、友人の才能が存分に発揮されることと、国家の利益を優先した、極めて謙虚で私心のない態度の表れであり、後世まで称賛される理由となっている。

【覚えておきたい知識】

重要単語

背景知識:管鮑の交わり(かんぽうのまじわり)

出典は『史記』管晏列伝。春秋時代、斉の国の管仲と鮑叔牙の友情を描いた故事。鮑叔は、若い頃から管仲の非凡な才能を見抜き、管仲が世間から誤解されるような行動をとっても、常にその真意を理解し、彼を信じ続けた。そして、敵対する立場にあった管仲を、自分の地位を投げ打って宰相に推薦し、友の才能を天下に知らしめた。このことから、「管鮑の交わり」は、互いを深く理解し信頼し合う、非常に厚い友情のたとえとして使われる。「我を生みし者は父母、我を知る者は鮑子なり」は、その友情の深さを象徴する名言である。

レベル:共通テスト標準|更新:2025-07-26|問題番号:132