129(『孟子』公孫丑上 より 性善説の論証)
本文
(孟子曰、)「人皆有不忍人之心。…(中略)…所以謂人皆有不忍人之心者、今人乍見孺子将入於井、皆有怵惕惻隠之心。(1)非所以内交於孺子之父母也、非所以要誉於郷党朋友也、非悪其声而然也。
由是観之、(2)無惻隠之心、非人也。無羞悪之心、非人也。無辞譲之心、非人也。無是非之心、非人也。
惻隠之心、仁之端也。羞悪之心、義之端也。辞譲之心、礼之端也。是非之心、智之端也。人之有是四端也、猶其有四体也。有是四端而自謂不能者、自賊者也。…(中略)…(3)苟能充之、足以保四海。苟不充之、不足以事父母。」
【書き下し文】
(孟子曰く、)「人(ひと)は皆(みな)人に忍(しの)びざるの心有り。…(中略)…人の皆人に忍びざるの心有りと謂(い)ふ所以(ゆゑん)の者は、今、人、乍(たちま)ち孺子(じゅし)の将(まさ)に井(せい)に入(い)らんとするを見れば、皆怵惕(じゅくてき)惻隠(そくいん)の心有り。(1)孺子の父母に内交(ないこう)せんが為(ため)に非(あら)ざるなり、郷党(きょうとう)朋友(ほうゆう)に誉(ほまれ)を要(もと)めんが為に非ざるなり、其の声を悪(にく)んで然(しか)るに非ざるなり。
是(これ)に由(よ)りて之を観(み)れば、(2)惻隠の心無きは、人に非(あら)ざるなり。羞悪(しゅうお)の心無きは、人に非ざるなり。辞譲(じじょう)の心無きは、人に非ざるなり。是非(ぜひ)の心無きは、人に非ざるなり。
惻隠の心は、仁(じん)の端(たん)なり。羞悪の心は、義(ぎ)の端なり。辞譲の心は、礼(れい)の端なり。是非の心は、智(ち)の端なり。人の是(こ)の四端(したん)有るは、猶(な)ほ其の四体(したい)有るがごときなり。是の四端有りて自ら能(あた)はずと謂ふ者は、自ら賊(そこな)ふ者なり。…(中略)…(3)苟(いやしく)も能く之を充たさば、以て四海(しかい)を保(やす)んずるに足る。苟も之を充たさずんば、以て父母に事(つか)ふるに足らず。」と。
【現代語訳】
このことから考えてみると、(2)哀れに思う心がない者は、人間ではない。悪を恥じ憎む心がない者は、人間ではない。譲り合う心がない者は、人間ではない。善悪を判断する心がない者は、人間ではない。
この哀れに思う心は、「仁」の芽生えである。悪を恥じ憎む心は、「義」の芽生えである。譲り合う心は、「礼」の芽生えである。善悪を判断する心は、「智」の芽生えである。人がこの四つの芽生えを持っているのは、ちょうど手足の四肢を持っているのと同じようなものだ。この四つの芽生えを持っているのに、自分には徳を実践できないと言う者は、自分自身を損なう者である。…(中略)…(3)もしこの芽生えを十分に満たすことができるなら、天下を安泰にさせるのに十分である。もしこれを満たすことができなければ、自分の父母に仕えることさえもできないだろう。」と。
【設問】
問1 傍線部(1)で、孟子が様々な利己的な動機を列挙し、それらを否定してみせたのはなぜか。その論証上の狙いとして最も適当なものを次から選べ。
- 人間は、様々な動機に基づいて行動する複雑な存在であることを示すため。
- 「惻隠の心」が、後天的な計算や損得勘定ではなく、生まれつきの純粋な感情であることを際立たせるため。
- 世間の人々が、善行を行う際に、しばしば不純な動機を持っていることを批判するため。
- 善行の動機が純粋であるか不純であるかは、結果の前では重要ではないことを示すため。
【解答・解説】
正解:2
孟子は、性善説の根拠として、人間が生まれながらに持つ善の心を示したい。そのためには、その心が後天的な学習や、利己的な計算によって生じたものではないことを証明する必要がある。そこで、考えられうる利己的な動機(親との交際、評判、悪評回避)をわざと列挙し、「そうではない」と一つ一つ否定することで、残された「惻隠の心」が、打算のない、生まれつきの純粋な感情であることを論理的に際立たせているのである。
問2 傍線部(2)「無惻隠之心、非人也」という孟子の断定は、どのような論理に基づいているか。最も適当なものを次から選べ。
- 惻隠の心は、人間を人間たらしめる本質的な要素であり、それを持たないものは定義上、人間とは言えない、という論理。
- 惻隠の心を持たない者は、社会の構成員として認められず、人間扱いされない、という論理。
- 惻隠の心は、人間以外の動物は持たない、人間に固有の感情である、という論理。
- 惻隠の心を持たない者は、いずれ必ず非人道的な行いをするようになる、という論理。
【解答・解説】
正解:1
孟子は、「孺子の例」によって、全ての人間が例外なく「惻隠の心」を持つはずだと論証した。その上で、「もし、それを持たない者がいるとすれば」という仮定の話をしている。彼にとって、「惻隠の心(をはじめとする四端)」は、人間という種の「定義」そのものに含まれる本質的な要素である。したがって、それを持たない存在は、論理的に「人間に非ず(人間ではない)」ということになる。これは、彼の性善説の確信の強さを示す、非常に強い断定である。
問3 傍線部(3)の対比が示している、孟子の政治思想として最も適当なものを次から選べ。
- 個人の道徳心の涵養と、国家の統治は、全く次元の異なる問題である。
- 国家を治めるためには、まず自分の身近な家族を大切にすることから始めなければならない。
- 個人の内なる道徳(四端)を拡充することが、最終的には天下を治めるほどの絶大な力になる。
- 天下を治めるほどの力を持つ者でなければ、自分の親に孝行することさえできない。
【解答・解説】
正解:3
この一文は、「苟も能く之を充たさば(もし十分に拡充できれば)」と「苟も之を充たさずんば(もし拡充できなければ)」という対比構造になっている。そして、前者の結果を「以て四海を保んずるに足る(天下を安泰にできる)」、後者の結果を「以て父母に事ふるに足らず(父母に仕えることさえできない)」としている。これは、個人の内面にある「四端」を育てるという自己修養が、そのまま「修身斉家治国平天下」という儒家の理想通り、天下国家を治める力に直結している、という孟子の政治思想を示している。
【覚えておきたい知識】
重要単語
- 不忍人之心(ひとにしのびざるのこころ):他人の不幸や苦しみを見過ごしにできない、かわいそうに思う心。
- 乍(たちま)ち:突然、ふと。
- 孺子(じゅし):幼児、幼子。
- 怵惕惻隠之心(じゅくてきそくいんのこころ):「怵惕」ははっと驚き恐れること。「惻隠」は痛ましく思い、哀れむこと。
- 内交(ないこう):交際を結ぶ、親しくなる。
- 要誉(ようよ):名誉を求める。
- 四端(したん):仁・義・礼・智の四つの徳の芽生え(端緒)である、惻隠・羞悪・辞譲・是非の四つの心。
- 四体(したい):両手両足のこと。
- 賊(そこな)ふ:そこなう、害する。
- 苟(いやしく)も:仮にもし~ならば。仮定を表す。
- 保(やす)んず:安らかにする。
背景知識:性善説(せいぜんせつ)と四端(したん)
出典は『孟子』公孫丑上篇。孟子思想の根幹をなす「性善説」を最も明確に論じた部分である。性善説とは、人間は生まれながらにして善なる本性を持っている、という考え方である。孟子はその証拠として、誰の心にもある「惻隠之心(哀れみの心)」を挙げ、これを「仁」の芽生え(端)とした。そして同様に、悪を恥じる「羞悪之心」を「義」の端、譲り合う「辞譲之心」を「礼」の端、善悪を判断する「是非之心」を「智」の端とし、これら「四端」を誰もが持っていると主張した。そして、この四つの芽生えを大切に育て、大きく発展させていくことこそが、学問であり、修養であると説いた。