128(『韓非子』説難 より 逆鱗と余桃)
本文
夫竜之為虫也、可擾狎而騎也。然其喉下有逆鱗径尺。若人有嬰之者、則必殺人。人主亦有逆鱗。説者能無嬰人主之逆鱗、則幾矣。
昔者、弥子瑕有寵於衛君。…(中略)…弥子矯駕君車以出。君聞之而賢之曰、「孝哉。為母之故、忘其刖罪。」異日、与君遊於果園、食桃而甘、不尽、以其半啖君。君曰、「愛我哉。忘其口之味、以啖寡人。」及弥子瑕色衰愛弛、得罪於君。君曰、「(1)是固嘗矯駕吾車、又嘗啖我以余桃。」故弥子之行、未嘗変於初也。而以前之所以見賢、而後獲罪者、(2)愛憎之変也。故有愛於主、則知当而加親。有憎於主、則智不当見罪而加疏。(3)故諫説之士、不可不察愛憎之主而後説焉。
【書き下し文】
夫(そ)れ竜(りゅう)の虫(むし)たるや、擾狎(じょうこう)して騎(の)る可(べ)きなり。然(しか)れども其(そ)の喉下(こうか)に逆鱗(げきりん)の径尺(けいしゃく)なる有り。若(も)し人の之(これ)に嬰(ふ)るる者有らば、則(すなは)ち必ず人を殺す。人主(じんしゅ)も亦(ま)た逆鱗有り。説者(ぜいしゃ)、能(よ)く人主の逆鱗に嬰るること無くんば、則ち幾(ちか)し。
昔者(むかし)、弥子瑕(びしか)、衛君(えいくん)に寵(ちょう)有り。…(中略)…弥子、矯(いつは)りて君車を駕して以て出づ。君、之を聞きて之を賢(けん)として曰く、「孝なるかな。母の為の故に、其の刖罪(げつざい)を忘る。」と。異日(いじつ)、君と果園(かえん)に遊び、桃を食らひて甘(あま)しとし、尽(つ)くさず、其の半(なか)ばを以て君に啖(くら)はす。君曰く、「我を愛するかな。其の口の味を忘れ、以て寡人(かじん)に啖はす。」と。弥子瑕、色衰(おとろ)へ愛弛(ゆる)むに及んで、君に罪を得(う)。君曰く、「(1)是(こ)れ固(もと)より嘗(かつ)て吾(わ)が車を矯駕(きょうが)し、又嘗て我に余桃(よとう)を以て啖はせたり。」と。故に弥子の行ひ、未だ嘗て初めに変ぜざるなり。而(しか)るに前の以て賢とせられ、而して後に罪を獲(う)る所以(ゆゑん)の者は、(2)愛憎の変なり。故に主に愛有らば、則ち知当(あた)りて親しみを加へらる。主に憎しみ有らば、則ち智当たらずして罪を見(こうむ)りて疏(うと)んぜらる。(3)故に諫説(かんぜい)の士は、愛憎の主を察せざる可からずして後に説く焉(かな)。
【現代語訳】
昔、弥子瑕という者が衛の君主に寵愛されていた。…(中略)…弥子瑕は、君主の命令だと偽って君主の車に乗って出て行った。君主はこれを聞いて、彼を賢明だと褒めて言った、「なんと親孝行なことか。母のためを思うあまり、足切りの刑になることも忘れたのだな。」と。別の日、君主と果樹園で遊んでいた時、桃を食べて甘いと思い、全部は食べずに、その半分を君主に食べさせた。君主は言った、「私を愛してくれているのだなあ。自分が美味しいと思うのも忘れて、私に食べさせてくれるとは。」と。やがて弥子瑕の容色が衰え、君主の寵愛が薄れると、君主の機嫌を損ねて罪を得た。君主は言った、「(1)こいつはもともと、かつて私の車を盗み乗りし、また、私に食べかけの桃を食わせた奴だ。」と。このように、弥子瑕の行動は、最初から何も変わっていないのである。それなのに、以前は賢明だとされた行為が、後になって罪に問われた理由は、(2)君主の愛情が憎しみに変わったからである。だから、君主の愛情があるうちは、知恵が当たり、ますます親しくされる。君主の憎しみを受けるようになると、知恵も外れ、罪を着せられて疎んじられる。(3)したがって、君主を諫め説得しようとする者は、君主の(自分に対する)愛情や憎しみの状態をよく観察してから説得すべきなのである。
【設問】
問1 傍線部(1)「是固嘗矯駕吾車、又嘗啖我以余桃」とあるが、君主が過去の出来事をこのように解釈し直した直接的な原因は何か。最も適当なものを次から選べ。
- 弥子瑕の行動が、今になって法律違反であったことに気づいたから。
- 弥子瑕に対する君主の「愛」が「憎」へと変化したから。
- 弥子瑕が、過去の善行を鼻にかけるようになったから。
- 弥子瑕が、新たに重大な罪を犯したから。
【解答・解説】
正解:2
筆者は、弥子瑕の行動自体は「未だ嘗て初めに変ぜざるなり(最初から何も変わっていない)」と断言している。それにもかかわらず、以前は「賢」とされた同じ行動が、後には罪状として挙げられている。その理由を、筆者は直後に「愛憎の変なり(愛情が憎しみに変わったからだ)」と明確に述べている。君主の感情の変化が、過去の事実の解釈までをも変えてしまったのである。
問2 傍線部(2)「愛憎之変也」という筆者の分析は、君主の判断基準がどのようなものであることを示しているか。最も適当なものを次から選べ。
- 客観的な法や論理ではなく、極めて主観的な感情に基づいていること。
- 長期的な国家の利益ではなく、短期的な個人の利益に基づいていること。
- 臣下の身分や家柄ではなく、その時々の功績に基づいていること。
- 臣下の忠誠心ではなく、その才能や能力に基づいていること。
【解答・解説】
正解:1
同じ行動が、君主の「愛」がある時は美徳とされ、「憎」に転じると罪悪とされる。これは、君主の判断基準が、行動の客観的な善悪や、法に照らした正しさではなく、その時の自分自身の個人的な感情(愛憎)に大きく左右される、非常に主観的で不安定なものであることを示している。
問3 傍線部(3)の筆者の結論は、冒頭の「逆鱗」の比喩とどのように結びついているか。最も適当な説明を次から選べ。
- 君主の「愛憎」の状態こそが、説得者にとっての「逆鱗」そのものであるため、それに触れないよう注意すべきだと結びついている。
- 君主が「憎」の状態にある時は、何を言っても「逆鱗」に触れてしまうため、説得を試みるべきではないと結びついている。
- 君主が「愛」の状態にある時でさえ「逆鱗」は存在するため、決して油断してはならないと結びついている。
- 君主の「愛憎」を巧みに操ることができれば、「逆鱗」に触れる危険を避けることができると結びついている。
【解答・解説】
正解:2
冒頭で、君主には触れてはならない「逆鱗」があると述べられた。そして弥子瑕の例で、君主の判断がいかに「愛憎」に左右されるかが示された。この二つを結びつけると、「君主が『憎』の状態にある時、説得者の言葉は、その内容の正しさとは無関係に、些細なことでも君主の『逆鱗』に触れる危険が非常に高い。逆に『愛』の状態ならば、多少の無礼も許される」という結論に至る。したがって、説得の前提として、まず君主の感情の状態を「察する」ことが不可欠である、と筆者は主張しているのである。
【覚えておきたい知識】
重要単語
- 逆鱗(げきりん):逆さに生えたうろこ。君主の怒りに触れる言動のたとえ。
- 説者(ぜいしゃ):君主などに意見を説いてまわる人。遊説家。
- 幾(ちか)し:近い。ここでは成功に近い、の意。
- 弥子瑕(びしか):衛の君主に寵愛された人物。
- 寵(ちょう):君主などからの特別な愛情。
- 刖(げつ):古代中国の刑罰の一つ。足切り刑。
- 矯(いつは)る:偽る。
- 啖(くら)はす:食べさせる。
- 余桃(よとう):食べかけの桃。
- 愛憎の変(あいぞうのへん):愛情が憎しみに変わること。
- 諫説(かんぜい):君主を諌め、説得すること。
背景知識:逆鱗に触れる(げきりんにふれる)と余桃の罪(よとうのつみ)
出典は『韓非子』説難篇。「説難」とは「説得することの難しさ」を意味する。この話は、君主を説得する際の二つの大きな障害を示している。一つは、君主のプライドに関わる、決して触れてはならない話題「逆鱗」の存在。もう一つは、君主の判断が、論理ではなく、その時々の個人的な「愛憎」によって大きく左右されるという事実である。弥子瑕が、寵愛されていた時には褒められた行為(=余桃の好意)によって、寵愛を失った後には罰せられたというこの逸話は、「余桃の罪」として知られ、君主の寵愛の危うさと、人の評価の移ろいやすさを示す故事となっている。