127(『史記』廉頗藺相如列伝 より 刎頸の交わり)

本文

趙王、以相如為上大夫。廉頗為趙将、伐斉、大破之。…(中略)…趙恵文王卒、子孝成王立。…(中略)…以相如功大、拝為上卿、位在廉頗之右。
廉頗曰、「(1)我為趙将、有攻城野戦之大功。而藺相如徒以口舌為労、而位居我上。且相如素賤人、吾羞、不忍為之下。」宣言曰、「我見相如、必辱之。」相如聞、不肯与会。相如毎朝時、常称病、不欲与廉頗争列。已而相如出、望見廉頗、相如引車避匿。
於是舎人相与諫曰、「臣所以去親戚而事君者、徒慕君之高義也。今君与廉頗同列。廉君宣悪言、而君畏匿之、恐懼殊甚。(2)臣等不肖、請辞去。」藺相如固止之曰、「公之視廉将軍、孰与秦王。」曰、「不若也。」相如曰、「夫以秦王之威、而相如廷叱之、辱其群臣。相如雖駑、独畏廉将軍哉。顧吾念之、彊秦之所以不敢加兵於趙者、徒以吾両人在也。(3)今両虎共闘、其勢不倶生。吾所以為此者、以先国家之急、而後私讎也。」
廉頗聞之、肉袒負荊、因賓客至藺相如門謝罪、曰、「鄙賎之人、不知将軍寛之至此也。」卒相与驩、為刎頸之交。

【書き下し文】
趙王、相如(しょうじょ)を以て上大夫(じょうたいふ)と為(な)す。廉頗(れんぱ)、趙の将と為り、斉を伐ち、大いに之を破る。…(中略)…趙の恵文王卒し、子の孝成王立つ。…(中略)…相如の功大なりと以て、拝して上卿(じょうけい)と為し、位は廉頗の右に在り。
廉頗曰く、「(1)我は趙の将と為り、攻城(こうじょう)野戦(やせん)の大功有り。而(しか)るに藺相如は徒(た)だ口舌(こうぜつ)を以て労を為し、而して位は我の上(かみ)に居(を)り。且(か)つ相如は素(もと)賤人(せんじん)なり、吾(われ)羞(は)づ、之が下(した)と為るに忍びず。」と。宣言して曰く、「我、相如を見ば、必ず之を辱(はずかし)めん。」と。相如之を聞き、肯(がへん)じて与(とも)に会せず。相如、朝(ちょう)する毎(ごと)の時、常に病(へい)と称し、廉頗と列を争ふことを欲せず。已(すで)にして相如出づるに、廉頗を望み見て、相如、車を引きて避(さ)け匿(かく)る。
是(ここ)に於(お)いて舎人(しゃじん)、相与(あひとも)に諌(いさ)めて曰く、「臣の親戚(しんせき)を去りて君に事(つか)ふる所以(ゆゑん)の者は、徒だ君の高義(こうぎ)を慕ふなり。今、君は廉頗と同じき列なり。廉君、悪言を宣(の)ぶるに、君、畏(おそ)れて之に匿(かく)れ、恐懼(きょうく)すること殊(こと)に甚(はなは)だし。(2)臣等不肖(ふしょう)なり、請(こ)ふ、辞し去らん。」と。藺相如、固く之を止(とど)めて曰く、「公(こう)の廉将軍を視ること、秦王(しんのう)に孰与(いづ)れぞ。」と。曰く、「若(し)かざるなり。」と。相如曰く、「夫(そ)れ秦王の威を以てすら、相如、廷(てい)にて之を叱し、其の群臣を辱めたり。相如、駑(ど)なりと雖(いへど)も、独(ひと)り廉将軍を畏れんや。顧(おも)ふに吾之を念(おも)ふに、彊秦(きょうしん)の敢へて兵を趙に加へざる所以の者は、徒だ吾(わ)が両人(りょうにん)の在るを以てなり。(3)今、両虎(りょうこ)共(とも)に闘はば、其の勢(いきほ)ひ倶(とも)には生きざらん。吾の此(これ)を為す所以の者は、国家の急を先にして、私讎(ししゅう)を後にするを以てなり。」と。
廉頗之を聞き、肉袒(にくたん)し荊(けい)を負ひ、賓客(ひんきゃく)に因りて藺相如の門に至り罪を謝して、曰く、「鄙賎(ひせん)の人、将軍の寛(かん)、此(ここ)に至るを知らざるなり。」と。卒(つひ)に相与に驩(よろこ)び、刎頸(ふんけい)の交はりを為す。

【現代語訳】
趙王は、藺相如を上大夫に任命した。一方、廉頗は趙の将軍として斉を討伐し、これを大破した。…(中略)…趙の恵文王が亡くなり、子の孝成王が即位した。…(中略)…(秦との交渉における)藺相如の功績は大きいとして、彼を上卿に任命した。その地位は、廉頗よりも上であった。
廉頗は言った、「(1)俺は趙の将軍として、城を攻め落とし野戦を戦い抜いた大きな功績がある。それなのに藺相如は、ただ口先だけの功労で、俺より上の地位にいる。おまけに相如はもともと身分の低い男だ。俺は恥ずかしい、あいつの下にいることには耐えられない。」と。そして、「相如に会ったら、必ず恥をかかせてやる」と公言した。藺相如はこれを聞き、彼と顔を合わせようとしなかった。藺相如は朝議のたびに、いつも病気と称して、廉頗と序列を争うことを望まなかった。しばらくして藺相如が外出した際、遠くに廉頗の姿を見かけると、車を引かせて物陰に隠れた。
そこで、彼の家来たちが一緒に彼を諌めて言った、「私たちが親族の元を離れてあなた様にお仕えしている理由は、ただただあなた様の高い道義心をお慕いしているからです。今、あなた様は廉頗殿と同じ序列におられます。廉頗殿が悪口を公言しているのに、あなた様は彼を恐れて隠れ、その怖がりようは大変なものです。(2)未熟な私たちには(このような主君に仕えることは)耐えられません。どうか、お暇をいただいて、去らせてください。」と。藺相如は、固く彼らを引き止めて言った、「諸君は、廉将軍と秦王とでは、どちらが恐ろしいと思うか。」と。家来たちは「(秦王には)及びません。」と答えた。藺相如は言った、「あの威勢を誇る秦王に対してさえ、私は宮廷で彼を叱りつけ、その群臣に恥をかかせたのだ。私がいくら愚か者だとしても、どうして廉将軍だけを恐れることがあろうか。私が考えるに、強大な秦が、我が国趙に攻め込んでこない理由は、ただ、私と廉将軍の二人がいるからに他ならない。(3)もし今、二頭の虎が共に争えば、その勢いでは両方とも生き残ることはできないだろう。私がこのような(避ける)行動をとる理由は、国家の危機を第一に考え、個人の恨みを後回しにしているからなのだ。」と。
廉頗はこの話を聞き、上半身裸になっていばらの鞭を背負い、食客を介して藺相如の家の門に至り、罪を詫びて言った、「私のような卑しい人間は、将軍の寛大さがこれほどとは存じませんでした。」と。こうして、二人はついに和解し、互いのために首をはねられても悔いはないというほどの、厚い友情を結んだ。

【設問】

問1 傍線部(1)の廉頗の不満の根底にある、彼自身の価値観として最も適当なものを次から選べ。

  1. 国家への貢献は、命がけの戦場で立てた武功によってのみ測られるべきだという価値観。
  2. 国家の序列は、生まれ持った身分や家柄によって決まるべきだという価値観。
  3. 外交(口舌)よりも軍事(攻城野戦)の方が、国家にとって重要であるという価値観。
  4. 長年国に仕えてきた者こそが、新参者よりも高い地位を得るべきだという価値観。
【解答・解説】

正解:1

廉頗は、自らの「攻城野戦の大功」と、藺相如の「徒だ口舌を以て為す労」を対比させている。彼にとって、国への貢献とは、命を懸けて戦場で立てる「大功」であり、弁舌による外交交渉の功績はそれよりも劣るものだと考えている。さらに相如が「素賤人」であることも不満を増幅させているが、根本にはこの武功を至上とする価値観がある。

問2 傍線部(2)「臣等不肖、請辞去」と家来たちが述べたのはなぜか。その理由として最も適当なものを次から選べ。

  1. 主君である藺相如が、廉頗に本当に危害を加えられるのではないかと心配したから。
  2. 藺相如が廉頗を恐れて逃げ回る姿が、自分たちが慕っていた彼の「高義」に反する、臆病な振る舞いに見えたから。
  3. 藺相如と廉頗の対立が激化し、自分たち家来の身にも危険が及ぶと考えたから。
  4. 主君の藺相如が、自分たちの忠告に全く耳を貸そうとしないことに失望したから。
【解答・解説】

正解:2

家来たちは、まず「臣の親戚を去りて君に事ふる所以の者は、徒だ君の高義を慕ふなり(私たちがあなた様にお仕えしているのは、その高い道義心をお慕いしているからです)」と、自分たちが仕える理由を述べている。その上で、廉頗から逃げ回る藺相如の姿を「畏れて之に匿れ、恐懼すること殊に甚だし(恐れて隠れ、怖がりようが大変ひどい)」と評している。つまり、彼らには藺相如の行動が、自分たちが尊敬していた「高義」を持つ主君の姿とはかけ離れた、単なる臆病な振る舞いに見え、幻滅してしまったのである。

問3 傍線部(3)「今両虎共闘、其勢不倶生」という藺相如の言葉は、どのような事態を懸念したものか。最も適当なものを次から選べ。

  1. 自分と廉頗が争えば、どちらか一方が必ず死ぬことになるという事態。
  2. 自分と廉頗が争って共倒れになれば、趙の国力が弱まり、強国である秦につけこまれるという事態。
  3. 自分と廉頗が争えば、趙の国論が二つに割れ、内乱状態に陥ってしまうという事態。
  4. 自分と廉頗という二人の英雄が、同じ国で共存することは不可能であるという、宿命的な事態。
【解答・解説】

正解:2

藺相如は、この直前に「彊秦の敢へて兵を趙に加へざる所以の者は、徒だ吾が両人の在るを以てなり(強国である秦が趙に攻めてこない理由は、私と廉将軍の二人がいるからだ)」と述べている。このことから、「両虎」とは文官のトップである自分と、武官のトップである廉頗を指す。この二人が争って共倒れになれば(倶には生きず)、秦に対する抑止力がなくなり、国が滅ぼされるという「国家の急」を最も懸念しているのである。

【覚えておきたい知識】

重要単語

背景知識:刎頸の交わり(ふんけいのまじわり)

出典は『史記』廉頗藺相如列伝。「完璧」の故事に続く逸話。外交で功績を立てて自分より高い地位についた藺相如を、武将の廉頗が一方的に敵視する。しかし、藺相如が廉頗を避けるのは、恐れているからではなく、「両虎共闘わば…」と、国家の安泰を第一に考えて私情を抑えているからだと知った廉頗は、自らの非を深く恥じ、心から謝罪した。このことから、二人は互いのために命を懸けられるほどの親友となった。ここから、「刎頸の交わり」は、生死を共にするほどの、きわめて深い友情のたとえとして使われるようになった。

レベル:共通テスト標準~発展|更新:2025-07-26|問題番号:127