125(『韓非子』難一 より 矛盾)
本文
楚人有鬻盾与矛者、誉之曰、「(1)吾盾之堅、物莫能陥也。」又誉其矛曰、「(2)吾矛之利、於物無不陥也。」或曰、「以子之矛、陥子之盾、何如。」其人弗能応也。
夫不可陥之盾、与無不陥之矛、不可同世而立。
【書き下し文】
楚人(そひと)に盾(たて)と矛(ほこ)とを鬻(ひさ)ぐ者有り、之を誉(ほ)めて曰く、「(1)吾(わ)が盾の堅きこと、物として能(よ)く陥(とほ)すもの莫(な)きなり。」と。又(ま)た其の矛を誉めて曰く、「(2)吾が矛の利きこと、物に於(お)いて陥さざる無きなり。」と。或(あ)るひと曰く、「子の矛を以(もっ)て、子の盾を陥さば、何如(いかん)。」と。其の人、応(こた)ふること能(あた)はざるなり。
夫(そ)れ陥(とほ)す可(べ)からざるの盾と、陥さざる無きの矛とは、同(おな)じき世に立つ可からず。
【現代語訳】
そもそも、絶対に突き通せない盾と、絶対に突き通せないものはない矛が、同じ世界に両立することはありえないのである。
【設問】
問1 商人が傍線部(1)と(2)で述べた二つの宣伝文句に共通する特徴は何か。最も適当なものを次から選べ。
- 比較対象を挙げることで、商品の優位性を示している。
- 比喩表現を用いることで、商品の性能を分かりやすく伝えている。
- 絶対的な表現を用いることで、商品の性能が最高であることを強調している。
- 使い方の例を示すことで、商品の実用性をアピールしている。
【解答・解説】
正解:3
商人は、盾については「莫能陥(能く陥すもの莫し)」と、矛については「無不陥(陥さざるは無し)」と述べている。これらはどちらも、例外を一切認めない絶対的・普遍的な主張である(「絶対に破れない」「絶対に破れる」)。彼は、それぞれの商品の魅力を最大化するために、このような誇張された絶対的な表現を用いたのである。
問2 「或るひと」の質問は、商人の宣伝のどのような点を突いたものか。最も適当なものを次から選べ。
- 宣伝内容の真実性
- 宣伝内容の論理的整合性
- 宣伝方法の倫理性
- 宣伝効果の信憑性
【解答・解説】
正解:2
「或るひと」は、盾が本当に最強か、矛が本当に最強か、という個々の事実(真実性)を問題にしているのではない。彼が突いたのは、「最強の盾」と「最強の矛」という二つの主張が、一つの世界で同時に成り立つことは論理的に不可能である、という点である。つまり、二つの主張の間の「整合性(矛盾がないこと)」を問題にしたのである。
問3 この寓話が示す、論理的に「矛盾」した状態を最もよく説明しているものを次から選べ。
- ある主張が、前提としている事実そのものと食い違っている状態。
- 二つの主張が、互いに全く関係なく、脈絡がない状態。
- ある主張とその主張の否定が、同時に真であるとされている状態。
- 一つの原因から、正反対の二つの結果が導き出されてしまう状態。
【解答・解説】
正解:3
「この盾は絶対に貫かれない(命題P)」と「この矛は絶対に何でも貫く(=この盾も貫くはずだ)(命題not P)」という二つの主張は、ある命題とその否定の関係にある。この二つが同時に成り立つことは、論理学の基本である矛盾律に反する。商人は、このPとnot Pを同時に真であると主張してしまったため、答えられなくなったのである。
【覚えておきたい知識】
重要句法
- 莫能~ (よく~するはなし):「~できるものは何もない」。不可能を表す。
- 無不~ (~ざるはなし):「~ないものはない」。二重否定であり、強い肯定(「必ず~する」)を表す。
- 弗能~ (~することあたはず):「~することができない」。不可能を表す。「不」よりも強い否定。
- 不可~ (~べからず):「~できない」「~してはならない」。不可能・禁止。
重要単語
- 鬻(ひさ)ぐ:商品を売る。行商する。
- 誉(ほ)む:ほめる。自慢する。
- 陥(とほ)す:突き通す。貫く。
- 或(あ)るひと:ある人。不特定の人を指す。
- 何如(いかん):どうであるか、どうなるか。
- 同世而立(どうせいにしてたつ):同じ時代に両立する。
背景知識:矛盾(むじゅん)
出典は『韓非子』難一篇。「難」とは、他人の説の難点を問いただす、の意。この話は、弁論における論理的な矛盾を指摘する例として挙げられている。ここから、二つの事柄のつじつまが合わないことを意味する「矛盾」という故事成語が生まれた。韓非子は、現実の社会状況に即した厳格な「法」による統治を主張し、儒家が理想とするような、曖昧で時代遅れの「徳」や過去の聖王のやり方を、しばしばこのような論理的な寓話を用いて批判した。