124(『史記』淮陰侯列伝 より 背水の陣の論理)
本文
(韓信、趙軍を破る。)
諸将、軍門に至り、賀して、因りて信に問ひて曰く、「(1)兵法に、右に山陵を背にし、前に水沢を左にすと。今者、将軍、臣等をして反りて水を背にして陳せしむ。曰く、『趙を破りて会食せん』と。臣等、服せざりき。然るに竟に以て勝つ。此れ何の術ぞや。」
信曰く、「此は兵法に在り。顧だ諸君の察せざるのみ。(2)兵法に曰はずや、『陥之死地而後生、置之亡地而後存。』と。且つ信、素より士大夫を拊循するを得たるに非ざるなり。此れ所謂『市人を駆りて之と戦ふ』なり。其の勢ひ、之を死地に置きて、人をして人自ら戦はしむるに非ずんばあらず。今、之に生地を予へば、皆走らん。寧んぞ尚ほ得て之を用う可けんや。」
諸将皆服して曰く、「(3)非吾属之所及也。」
【書き下し文】
(韓信(かんしん)、趙軍を破る。)
諸将(しょしょう)、軍門(ぐんもん)に至り、賀(が)して、因(よ)りて信に問ひて曰く、「(1)兵法に、右に山陵(さんりょう)を背にし、前に水沢(すいたく)を左にすと。今者(いま)、将軍、臣等をして反(かへ)りて水を背にして陳(じん)せしむ。曰く、『趙を破りて会食せん。』と。臣等、服せざりき。然(しか)るに竟(つひ)に以て勝つ。此(こ)れ何の術(じゅつ)ぞや。」と。
信曰く、「此は兵法に在り。顧(た)だ諸君(しょくん)の察せざるのみ。(2)兵法に曰はずや、『之を死地(しち)に陥(おとしい)れて後に生き、之を亡地(ぼうち)に置きて後に存す。』と。且(か)つ信、素(もと)より士大夫(したいふ)を拊循(ふじゅん)するを得たるに非(あら)ざるなり。此れ所謂(いはゆる)『市人(しじん)を駆(か)りて之と戦ふ』なり。其の勢(いきほ)ひ、之を死地に置きて、人をして人自(おの)づから戦はしむるに非ずんばあらず。今、之に生地(せいち)を予(あた)へば、皆走らん。寧(いづく)んぞ尚(な)ほ得て之を用う可けんや。」と。
諸将皆服して曰く、「(3)吾(わ)が属(ぞく)の及ぶ所に非ざるなり。」
【現代語訳】
諸将たちは、(韓信の)陣営の門に来て、勝利を祝い、そして韓信に尋ねて言った、「(1)兵法書には、『右に山や丘を背にし、前や左に川や沢を置くのが良い陣形だ』とあります。今回、将軍は我々に、逆に川を背にして陣を敷くよう命じられました。そして『趙を破ってから(ゆっくり)会食しよう』と。我々は正直、納得しておりませんでした。しかし、ついに勝利を収められました。これはいかなる戦術だったのでしょうか。」と。
韓信は言った、「これも兵法書に書いてあることだ。ただ、君たちが気づかなかっただけだ。(2)兵法書にこうはないか、『兵士を死地に陥れてこそ、かえって生き残り、絶体絶命の地に置いてこそ、かえって存続する』と。それに、私は日頃から兵士たちを手なずけていたわけではない。これはいわば『素人集団を駆り立てて戦わせる』ようなものだ。その勢いでは、彼らを死地に置き、一人ひとりが自分のために必死に戦うようにさせなければならなかった。もし今、彼らに逃げ道となる安全な土地を与えていたら、皆逃げ出していただろう。どうして彼らを用いることなどできようか、いや、できなかっただろう。」と。
諸将はみな感服して言った、「(3)我々の到底及ぶところではありません。」
【設問】
問1 傍線部(1)の諸将の引用と、傍線部(2)の韓信の引用は、どちらも同じ「兵法」からのものである。この二つの引用の関係性についての説明として、最も適当なものを次から選べ。
- 諸将は兵法の古い原則を、韓信は新しい原則を引用しており、兵法の時代による変化を示している。
- 諸将は兵法の基本的な定石を、韓信は状況に応じて適用すべき応用的な原則を引用しており、理解度の深さの違いを示している。
- 諸将は防御に関する原則を、韓信は攻撃に関する原則を引用しており、戦術の目的の違いを示している。
- 諸将は実際の戦闘に関する記述を、韓信は兵士の訓練に関する記述を引用しており、場面の違いを示している。
【解答・解説】
正解:2
諸将が引用したのは、地形を利用して安全を確保するという、兵法の基本的な定石(ルール)である。一方、韓信が引用したのは、兵士の心理を逆手にとって力を引き出すという、より高度で応用的な原則(プリンシプル)である。韓信は「これも兵法に在り」と述べ、諸将が兵法の表面的なルールしか見ておらず、その奥にある本質的な原則に「察せざる(気づいていない)」ことを指摘している。これは、同じ書物を読んでいても、その理解度や応用力に大きな差があることを示している。
問2 韓信が「此れ所謂『市人を駆りて之と戦ふ』なり」と自軍を評した上で「背水の陣」を用いたことから、彼のどのような戦略思想がうかがえるか。最も適当なものを次から選べ。
- 戦術は、敵の強さだけでなく、味方の兵士の質や心理状態に応じて決定すべきであるという思想。
- 寄せ集めの兵士であっても、優れた指揮官が率いれば精鋭部隊に勝つことができるという思想。
- 兵士の質が低い場合は、正攻法を避け、常に奇襲や策略に頼るべきであるという思想。
- どのような兵士でも、一度死地に置けば、必ず決死の覚悟で戦うようになるという思想。
【解答・解説】
正解:1
韓信は、自分の軍が「市人(素人集団)」であり、忠誠心や訓練度が低いという弱点を冷静に分析している。そして、その弱点を持つ軍だからこそ、「生地を予へば、皆走らん(逃げ道を与えれば皆逃げるだろう)」と考え、あえて「死地」に置くことで力を引き出す戦術を選んだ。これは、彼が理想論ではなく、自軍の現実的な状態(兵質)を戦略決定の最重要素の一つとしていたことを示している。
問3 傍線部(3)「非吾属之所及也」という諸将の言葉に込められた意味として、最も適当なものを次から選べ。
- あなたの戦術はあまりに危険すぎて、我々には真似できません。
- あなたの戦術の意図は、我々の理解をはるかに超えていました。
- あなたの戦術は兵法書にはなく、我々が知る由もありませんでした。
- あなたの戦術は素晴らしいが、我々が指揮しても成功しなかったでしょう。
【解答・解説】
正解:2
「吾が属の及ぶ所に非ざるなり」は、「我々仲間の力の及ぶところではない」という意味の謙譲表現である。諸将は、韓信の戦術をただのルール違反だと考えていたが、その背後にある深い洞察と兵法の本質的な理解を知り、自分たちの見識の浅さを悟った。この言葉は、韓信の戦術的思考のレベルが、自分たちの理解をはるかに超えるものであったことへの、率直な感服と敬意を表している。
【覚えておきたい知識】
重要単語
- 韓信(かんしん):前漢の武将。劉邦に仕え、数々の戦いで天才的な軍才を発揮した。漢の天下統一における最大の功臣の一人。
- 陳(じん)す:軍隊を配置する、陣を敷く。
- 会食(かいしょく):一同に会して食事をすること。ここでは戦勝後の祝宴を意味する。
- 顧(た)だ~のみ:「ただ~だけだ」。限定。
- 察(さっ)す:見抜く、気づく。
- 死地(しち)/亡地(ぼうち):逃げ場のない、絶体絶命の場所。
- 生地(せいち):生き残れる場所、逃げ道のある安全な場所。
- 拊循(ふじゅん):手なずける、面倒をよくみる。
- 市人(しじん):町なかの普通の人々。ここでは「素人、烏合の衆」の意。
- 属(ぞく):仲間、やから。
背景知識:背水の陣(はいすいのじん)
出典は『史記』淮陰侯列伝。漢の将軍・韓信が、自軍よりはるかに大軍である趙軍を破った「井陘の戦い」での故事。わざと自軍を川のほとりという逃げ場のない絶体絶命の場所に配置することで、兵士たちに「ここで戦わねば死ぬ」という覚悟をさせ、決死の力を引き出して勝利した。このことから、絶体絶命の状況で必死の覚悟で物事に臨むことのたとえとして、「背水の陣」という言葉が使われる。常識にとらわれない韓信の天才的な戦術を示す代表的なエピソードである。