123(『史記』陳渉世家 より 燕雀鴻鵠)
本文
陳渉、少時、嘗与人傭耕。輟耕之壟上、悵恨久之、曰、「(1)苟富貴、無相忘。」傭者笑而応曰、「若為庸耕、何富貴也。」陳渉太息曰、「嗟乎、(2)燕雀安知鴻鵠之志哉。」
【書き下し文】
陳渉(ちんしょう)、少(わか)き時、嘗(かつ)て人と与(とも)に傭耕(ようこう)す。耕すを輟(や)めて壟上(ろうじょう)に之(ゆ)き、悵恨(ちょうこん)すること之を久しくして、曰く、「(1)苟(いやしく)も富貴(ふうき)と為(な)らば、相(あひ)忘るること無からん。」と。傭者(ようしゃ)笑ひて応(こた)へて曰く、「若(なんぢ)は庸耕たり、何ぞ富貴とならんや。」と。陳渉、太息(たいそく)して曰く、「(2)嗟乎(ああ)、燕雀(えんじゃく)安(いづ)くんぞ鴻鵠(こうこく)の志(こころざし)を知らんや。」と。
【現代語訳】
【設問】
問1 傍線部(1)「苟富貴、無相忘」という陳渉の言葉の前提となっている、彼の自己認識として最も適当なものを次から選べ。
- 自分は、いずれ仲間たちと共に、この貧しい生活から抜け出すことができるはずだ。
- 自分は、今の仲間たちとは違い、いずれ金持ちで身分の高い特別な存在になるはずだ。
- 自分は、金持ちで身分の高い者になれたとしても、今の仲間たちを決して見下したりはしない。
- 自分は、今の貧しい境遇から抜け出すためには、仲間たちの助けが不可欠である。
【解答・解説】
正解:2
「苟も富貴と為らば」という言葉は、「自分が富貴になる」ことを、将来起こりうる当然のこととして想定している。そして「相忘るること無からん(お互いに忘れないようにしよう)」と、まだ貧しい仲間たちに対して、上の立場から語りかけるような形になっている。これは、彼が自分を仲間たちとは違う、いずれは特別な地位に就くべき人間だと認識していることの表れである。
問2 仲間たちが陳渉の言葉を「笑」ったのはなぜか。その理由として最も適当なものを次から選べ。
- 陳渉の言葉が、自分たちの現実離れした夢を代弁しており、共感を込めて笑ったから。
- 陳渉が、自分たちを見下しているように感じ、その尊大な態度をあざ笑ったから。
- 陳渉が、雇われ農夫という自分たちの境遇からは、富貴になるなど到底ありえない、ばかげたことを言ったと思ったから。
- 陳渉が、いつも突拍子もない冗談を言って、仲間たちを笑わせる人気者だったから。
【解答・解説】
正解:3
仲間たちの返答「若は庸耕たり、何ぞ富貴とならんや(お前はただの雇われ農夫じゃないか、どうして金持ちになれるんだい)」が、彼らが笑った理由を直接説明している。彼らは、自分たちの置かれた「庸耕」という身分を絶対的なものと考えており、そこから「富貴」になるなどという陳渉の言葉を、現実離れした戯言だと捉えて、ばかにして笑ったのである。
問3 傍線部(2)「燕雀安知鴻鵠之志哉」という陳渉の比喩表現の説明として、最も適当なものを次から選べ。
- 「燕雀」は自分自身、「鴻鵠」は仲間たちを指し、自分の考えがまだ未熟であることを認めている。
- 「燕雀」は仲間たち、「鴻鵠」は自分自身を指し、住む世界が違う者には自分の大きな志は理解できないと述べている。
- 「燕雀」は農夫、「鴻鵠」は富貴な人々を指し、身分が違う者同士が理解しあうことの難しさを述べている。
- 「燕雀」は若者、「鴻鵠」は年長者を指し、人生経験の差からくる視点の違いを述べている。
【解答・解説】
正解:2
「燕雀」はツバメやスズメといった、身近で低い所を飛ぶ小さな鳥であり、目の前の現実しか見えない平凡な仲間たちをたとえている。一方、「鴻鵠」はオオトリや白鳥といった、はるか上空を飛ぶ大きな鳥であり、遠大な志を抱く非凡な自分自身をたとえている。小さな鳥に大きな鳥の渡りのスケールが理解できないように、平凡な仲間に自分の大志が理解できないのは当然だ、と言い返しているのである。
【覚えておきたい知識】
重要句法
- 苟(いやしく)も~ば、…:「もし~ならば、…」。仮定条件。
- 無~ (~することなかれ):「~するな」。禁止形。
- 安(いづ)くんぞ~や:「どうして~か、いや~ない」。反語形。
重要単語
- 陳渉(ちんしょう):秦末の農民反乱の指導者。史上初の農民出身の王を名乗った。
- 傭耕(ようこう):日雇いで畑仕事をすること。
- 輟(や)む:やめる、中断する。
- 壟上(ろうじょう):畑のあぜ道の上。
- 悵恨(ちょうこん):不満に思う、残念に思う、嘆き恨む。
- 富貴(ふうき):財産があり、身分が高いこと。
- 太息(たいそく):深いため息。
- 燕雀(えんじゃく):ツバメとスズメ。小人物のたとえ。
- 鴻鵠(こうこく):オオトリと白鳥。大きな鳥。大人物のたとえ。
背景知識:燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや(えんじゃく いづくんぞ こうこくのこころざしをしらんや)
出典は『史記』陳渉世家。「世家」は諸侯を記す部分で、一農民である陳渉がここに記されているのは異例。彼は秦の圧政に対して、史上初の大規模な農民反乱を起こし、「王侯将相いずくんぞ種あらんや(王や諸侯、将軍や大臣は、特別な家柄の者でなければなれないということがあろうか、いや、ない)」と叫んで、身分秩序を揺るがした人物である。この「燕雀鴻鵠」の逸話は、そんな彼の若き日の野心を象徴するエピソードとして有名。小人物には大人物の大きな志は理解できない、という意味で使われる。