122(『韓非子』外儲説左上 より 郢書燕説)

本文

郢人有遺燕相国書者。夜書、火不明、因謂持燭者曰、「挙燭。」云而過書「挙燭」。(1)「挙燭」非書意也。
燕相国受書而説之、曰、「挙燭者、尚明也。尚明也者、挙賢而任之。」燕相国白王、王大説、国以治。
(2)治則治矣、非書意也。今世之学者、多似此類。

【書き下し文】
郢人(えいひと)、燕(えん)の相国(しょうこく)に書(しょ)を遺(おく)る者有り。夜、書するに、火(ひ)明らかならず、因(よ)りて燭(しょく)を持つ者に謂(い)ひて曰く、「燭を挙げよ。」と。云(い)ひて過(あやま)ちて「燭を挙げよ」と書す。(1)「燭を挙げよ」とは書の意に非(あら)ざるなり。
燕の相国、書を受けて之を説(と)きて、曰く、「燭を挙げよとは、明(めい)を尚(たつと)ぶなり。明を尚ぶとは、賢を挙げて之に任ぜよとなり。」と。燕の相国、王に白(まう)す。王、大いに説(よろこ)び、国、以て治まる。
(2)治まれば則(すなは)ち治まれり、書の意に非(あら)ざるなり。今の世の学者、多(おほ)く此の類(たぐひ)に似たり。

【現代語訳】
楚の国の都、郢の人が、燕の国の宰相に手紙を送ったことがあった。夜に手紙を書いていたところ、灯火が暗かったので、そばで燭台を持っていた召使いに言った、「燭台を高く上げよ。」と。そう言いながら、うっかり「燭を挙げよ」という言葉を手紙に書き入れてしまった。(1)この「燭を挙げよ」は、手紙の本来の意図ではなかった。
燕の宰相は、その手紙を受け取って解釈して、言った、「『燭を挙げよ』とは、明るさを尊べ、という意味だ。明るさを尊ぶとは、賢者を登用して、彼らに任務を任せよ、ということだ。」と。燕の宰相は、これを王に申し上げた。王は大いに喜び、(その通り賢者を登用したところ)国はよく治まった。
(2)(国が)治まったのは治まったのだが、それは手紙の本来の意図ではなかった。今の世の学者たちは、多くがこの(燕の宰相の)類である。

【設問】

問1 傍線部(1)「『挙燭』非書意也」と筆者が断定している根拠は何か。最も適当なものを次から選べ。

  1. 郢人が、手紙に込めた本当の意図を、後から説明したから。
  2. 筆者が、その手紙が書かれた経緯を、事実として把握しているから。
  3. 燕の宰相の解釈が、当時の常識から考えて、あまりに突飛であったから。
  4. 郢と燕が敵対関係にあり、郢人が燕を利するような助言をするはずがないから。
【解答・解説】

正解:2

筆者は、この物語を語る冒頭で、「夜書するに、火明らかならず、因りて燭を持つ者に謂ひて曰く…云ひて過ちて書す」と、この言葉が手紙に紛れ込んだ経緯を、客観的な事実として描写している。つまり、筆者は「この言葉は単なる書き間違いである」という事実を知っている立場から、宰相の解釈が「書の意に非ず」と断定しているのである。

問2 この話では、燕の宰相の間違った解釈が、「国以治(国が治まる)」という良い結果を生んでいる。この事実にもかかわらず、筆者が傍線部(2)「治則治矣、非書意也」と、わざわざその解釈が間違いであったことを強調するのはなぜか。その意図として最も適当なものを次から選べ。

  1. 結果が良かったのは全くの偶然であり、解釈の正しさを保証するものではないと主張するため。
  2. たとえ結果が良くても、人をだますような解釈は許されるべきではないと主張するため。
  3. 国が治まった本当の理由は、宰相の解釈ではなく、王の優れた徳にあったと主張するため。
  4. 間違った解釈で国を治めた宰相の手腕を、皮肉を込めて称賛するため。
【解答・解説】

正解:1

法家である韓非子は、物事の因果関係と論理の整合性を非常に重視する。この話において、「宰相の間違った解釈」と「国が治まった」という結果の間には、論理的なつながりがない。たまたま解釈から導かれた政策(賢者の登用)が良かっただけで、それは全くの偶然である。筆者は、この偶然の成功例を挙げることで、逆に「結果が正しいからといって、その原因となった解釈や方法が正しいとは限らない」という、冷徹な原則を強調しようとしている。

問3 筆者が「今世之学者、多似此類」と批判している「学者」とは、どのような人々か。最も適当なものを次から選べ。

  1. 古い書物の言葉を、本来の文脈を無視して、自分に都合よく深読みし、もっともらしい説を立てる人々。
  2. 他人の間違いを、ささいなことであっても執拗に攻撃し、自らの権威を高めようとする人々。
  3. 難解な言葉や比喩を多用し、人々を煙に巻くような、不誠実な議論をする人々。
  4. 結果を出すためには、多少の解釈の歪曲は許されると考える、現実主義的な人々。
【解答・解説】

正解:1

韓非子が主に批判の対象としたのは、古代の聖王の言行を記録した経典(儒教の経典など)を絶対視する儒家の学者たちである。彼は、それらの学者が、燕の宰相が単なる書き間違いを深読みしたように、古代の書物の単純な言葉に対して、本来の意図とはかけ離れた、後付けの深遠な解釈を作り出し、それを根拠に現在の政治を語っている、と批判しているのである。

【覚えておきたい知識】

重要単語

背景知識:郢書燕説(えいしょえんせつ)

出典は『韓非子』外儲説左上篇。『呂氏春秋』にも類話が見られる。郢の人の手紙を、燕の人が(間違って)解釈した、というこの故事から、「郢書燕説」は、本来の意図とは違うのに、もっともらしくこじつけて解釈することのたとえとして使われる。韓非子は、この寓話を用いて、古代の聖王の言葉を自分たちの都合の良いように解釈する儒家の学者たちを痛烈に批判した。結果が良かったとしても(燕国大治)、その解釈の正当性が保証されるわけではないという、冷徹な現実主義が示されている。

レベル:共通テスト発展|更新:2025-07-26|問題番号:122