120(『韓非子』五蠹 より 守株)

本文

宋人有耕田者。田中(1)有株。兎走触株、折頸而死。因釈其耒而守株、冀復得兎。兎不可復得、而身為宋国笑。
古者丈夫不耕、草木之実足食也。婦人不織、禽獣之皮足衣也。不事力而養足、人民少而財有余、故民不争。…(中略)…
今人有五子不為多、子又有五子、大父未死而有二十五孫。(2)是以人民衆而財貨寡、事力労而供養薄。故民争。
(3)今欲以先王之政、治当世之民、皆守株之類也。

【書き下し文】
宋人(そうひと)に田を耕す者有り。田中に(1)株(くいぜ)有り。兎(うさぎ)走りて株に触れ、頸(くび)を折りて死す。因(よ)りて其(そ)の耒(すき)を釈(す)てて株を守(まも)り、復(ま)た兎を得んことを冀(こひねが)ふ。兎、復た得べからずして、身は宋国(そうこく)の笑ひとなる。
古(いにしへ)は丈夫(じょうふ)耕さずとも、草木(そうもく)の実(み)、食らふに足るなり。婦人(ふじん)織らずとも、禽獣(きんじゅう)の皮、衣(き)るに足るなり。力を事とせずして養ひ足り、人民少なくして財(ざい)余り有り、故に民争はず。…(中略)…
今、人、五子(ごし)有るも多しと為(な)さず、子、又(ま)た五子有り、大父(たいふ)未(いま)だ死せざるに二十五人の孫有り。(2)是(ここ)を以(もっ)て人民衆(おお)くして財貨(ざいか)寡(すく)なく、力を事とし労して供養(きょうよう)薄し。故に民争ふ。
故に(3)今、先王(せんのう)の政(まつりごと)を以(もっ)て、当世(とうせい)の民を治めんと欲するは、皆(みな)株を守るの類(たぐひ)なり。

【現代語訳】
宋の国に、田を耕している男がいた。田んの中に(1)切り株があった。そこへ兎が走ってきて切り株にぶつかり、首の骨を折って死んでしまった。男はこれを幸運に思い、農具の鋤を捨てて切り株の番をし、また兎が手に入ることを願った。しかし、兎が二度と手に入ることはなく、男自身は宋の国中の笑い者になった。
大昔は、男が耕作しなくても、草や木の実だけで食べるには十分だった。女が機を織らなくても、鳥や獣の皮だけで着るには十分だった。労力を尽くさなくても生活は足り、人口は少なくて財産には余裕があった。だから人民は争わなかった。…(中略)…
現代では、一人の男に五人の子がいても多いとはされず、その子にまた五人の子が生まれ、祖父がまだ死なないうちに二十五人の孫がいる。(2)このため人口は多くて物資は少なく、必死に働いても生活は苦しい。だから人民は争うのだ。
だから、(3)現代において、古代の聖王の(徳治)政治をもって、今の世の人民を治めようとするのは、皆この切り株を見張っているのと同じ仲間である。

【設問】

問1 農夫が「宋国の笑ひとなる」に至った、彼の行動の愚かさを最も的確に指摘しているものを次から選べ。

  1. 一度の偶然の幸運を、今後も繰り返し起こる必然的なことだと信じ込み、確実な労働を放棄したこと。
  2. 兎一匹というわずかな利益のために、農業という大きな利益を生む仕事を捨ててしまったこと。
  3. 幸運は何度も続かないという、世の常識を知らなかったこと。
  4. 自分の幸運を他人に吹聴したため、人々から嫉妬され、笑いものにされたこと。
【解答・解説】

正解:1

この農夫の最も根本的な誤りは、論理の誤りにある。彼は、兎が切り株にぶつかったという「一回限りの偶然事象」を、これからも起こりうる「再現性のある法則」だと勘違いした。この誤った一般化が、「耒を釈てて株を守る」という、生産的な労働(鋤)を放棄して、不確実な幸運を待つだけの非生産的な行動(守株)につながったのである。

問2 傍線部(2)で筆者が古代と現代を対比させているが、それによって社会がどのように変化したと主張しているか。最も適当なものを次から選べ。

  1. 人々の道徳心が低下し、争いやすい世の中になった。
  2. 人口が急増し、物資が希少になったことで、争いが避けられない世の中になった。
  3. 農業技術が発達し、少ない労力で多くの収穫を得られる世の中になった。
  4. 貧富の差が拡大し、一部の富裕層が物資を独占する世の中になった。
【解答・解説】

正解:2

筆者は、古代に人々が争わなかった理由を「人民少なくして財余り有り」と、人口に対する資源の豊富さに見出している。それに対し、現代で人々が争う理由を「人民衆くして財貨寡なく」と、人口増加による資源の希少化に見出している。これは、社会問題の原因を、人々の道徳心ではなく、人口動態や経済といった、客観的で物理的な条件の変化に求めていることを示している。

問3 傍線部(3)「今欲以先王之政、治当世之民、皆守株之類也」という筆者の主張の論理として、最も適当なものを次から選べ。

  1. 古代の聖王のやり方(=偶然ぶつかってきた兎)は、古代の社会状況(=切り株)においてのみ有効であった。状況が全く異なる現代(=兎のいない野原)で、そのやり方(=株を守る)に固執するのは愚かである。
  2. 古代の聖王のやり方は、現代では時代遅れであり、もっと優れた新しい政治手法を考案すべきである。
  3. 古代の聖王は特別な徳を持っていたのであり、現代の凡庸な君主がそのやり方を真似しようとしても、うまくいくはずがない。
  4. 古代の聖王のやり方は、そもそも本当に有効だったかどうかも疑わしく、それに頼るのは確実性のない賭けである。
【解答・解説】

正解:1

この文章全体の論理構造は、寓話と現実の類推(アナロジー)である。「農夫」は「現代の儒家学者」、「兎が株にぶつかる」は「古代の社会状況で『先王の政』が成功したこと」、「耒を釈てて株を守る」は「現代の状況を無視して『先王の政』に固執すること」に対応する。筆者は、社会状況という前提条件が全く変わってしまったのだから、かつて成功した方法が今も通用すると考えるのは、農夫と同じくらい愚かだと主張しているのである。

【覚えておきたい知識】

重要句法

重要単語

背景知識:守株(しゅしゅ)・株を守る

出典は『韓非子』五蠹篇。韓非子は、戦国時代の法家の思想家で、君主の権力、法、策略による統治を重視した。儒家の徳治主義を、現実離れしていると厳しく批判した。この話は、古い慣習や過去の成功例に固執し、時代の変化に対応できない愚かさを批判するための寓話である。ここから、古いやり方に固執して進歩がないことのたとえとして「守株」「株を守る」という故事成語が生まれた。韓非子は、儒家が理想とする「先王の政治」も、社会状況が激変した現代においては「守株」と同じくらい愚かなことだと断じている。

レベル:共通テスト標準|更新:2025-07-26|問題番号:120