102(『韓非子』五蠹 より 守株)
本文
宋人有耕田者。田中(1)有株。兎走触株、折頸而死。(2)因釈其耒而守株、冀復得兎。兎不可復得、而身為宋国笑。(3)今欲以先王之政、治当世之民、皆守株之類也。
【書き下し文】
宋人(そうひと)に田を耕す者有り。田中に(1)株(くいぜ)有り。兎(うさぎ)走りて株に触れ、頸(くび)を折りて死す。(2)因(よ)りて其(そ)の耒(すき)を釈(す)てて株を守(まも)り、復(ま)た兎を得んことを冀(こひねが)ふ。兎、復た得べからずして、身は宋国(そうこく)の笑ひとなる。(3)今、先王(せんのう)の政(まつりごと)を以(もっ)て、当世(とうせい)の民を治めんと欲するは、皆(みな)株を守るの類(たぐひ)なり。
【現代語訳】
【設問】
問1 傍線部(2)「因釈其耒而守株」という農夫の行動に見られる、根本的な思考の誤りは何か。最も適当なものを次から選べ。
- 一つの成功体験を、普遍的な法則であると勘違いしたこと。
- 地道な努力よりも、偶然の幸運に頼ろうとしたこと。
- 本来の仕事である農業を、安易に放棄してしまったこと。
- 兎がぶつかったのは、ただの切り株ではなく神木だと誤信したこと。
問2 傍線部(3)「今欲以先王之政、治当世之民、皆守株之類也」という筆者の主張において、「兎」にたとえられているものは何か。最も適当なものを次から選べ。
- 古代の聖王(先王)。
- 古代の理想的な政治(先王之政)。
- 古代の理想的な政治がもたらした、社会の安定と繁栄。
- 古代の理想的な政治を、現代に復活させようとする学者。
問3 筆者は、なぜ「先王の政」を現代に適用しようとすることを、「守株」と同じくらい愚かだと考えているのか。その理由として最も適当なものを次から選べ。
- 先王の政治は、記録が不完全で、正確に再現することができないから。
- 先王の政治が成功したのは、その時代の特殊な社会状況によるもので、時代が違えば通用しないから。
- 先王は特別な徳を持った聖人であり、現代の凡庸な君主には到底真似できないから。
- 現代の民衆は、古代の民衆よりも狡猾になっており、古い徳治政治では治められないから。
問4 この寓話が示す、筆者(韓非子)の政治思想の根本的な特徴は何か。次の中から選べ。
- 過去の成功例を深く研究し、現代に応用することを重視する、歴史主義的な考え方。
- 時代や社会の変化に応じて、統治の方法も絶えず変革していくべきだとする、現実主義・相対主義的な考え方。
- いつの時代も変わらない、普遍的な道徳や仁義に基づいた政治を理想とする、理想主義的な考え方。
- 君主個人の才能や徳に頼らず、誰がやっても機能する、厳格な法制度を重視する考え方。
【解答・解説】
問1:正解 1
- 農夫の誤りは、兎が切り株にぶつかって死んだという「一回限りの偶然の出来事」を、これからも繰り返し起こる「必然的な法則」であるかのように勘違いしてしまった点にある。この根本的な誤解が、鋤を捨てて株を守るという愚かな行動につながった。2や3も正しい側面を指摘しているが、思考の誤りという点で最も根源的なのは1である。
問2:正解 3
- このたとえ話では、「農夫」が「現代の学者(為政者)」、「耒(鋤)」が「現代に必要な法や術」、「株」が「先王の政(過去の成功例)」、「兎」がその成功例がもたらした「結果(利益、社会の安定)」に対応する。農夫が、一度兎を得た株に固執するように、現代の学者も、一度成功した先王の政に固執し、それがもたらした(とされる)社会の安定という「兎」が再び得られると期待しているのである。
問3:正解 2
- 韓非子は、法家の思想家として、時代や社会状況の変化を非常に重視した。彼にとって、儒家が理想とする「先王の政」が成功したのは、それが優れていたからというよりは、人口が少なく物資が豊かであった古代の社会状況に偶然適合していたからにすぎない。社会状況が激変した現代(当世)に、その古い政治手法を持ち込んでもうまくいくはずがない、というのが彼の考えである。
問4:正解 2, 4
- この寓話が直接的に示しているのは、過去のやり方に固執せず、時代に合わせて方法を変えるべきだ、という現実主義・相対主義的な考え方である(2)。これは、儒家が説くような、時代を超えた絶対的な「徳」や「聖王の道」を否定するものである。さらに、韓非子の思想全体を考慮すると、彼がその変革の具体的な方法として提唱したのが、君主個人の徳(=不安定)に頼るのではなく、客観的で厳格な「法」による統治システムであった(4)。この文章は、そうした法治主義の必要性を説くための、儒家批判の導入部となっている。
【覚えておきたい知識】
重要句法
- 不可復~ (また~べからず):「二度と~できない」。
- 為A笑 (Aのわらひとなる):「Aの笑いものになる」。受身形。
重要単語
- 株(くいぜ):切り株。杭。
- 釈(す)つ:手放す。捨てる。
- 耒(すき):土を耕す農具。
- 冀(こひねが)ふ:強く願う。期待する。
- 先王(せんのう):古代の徳の高い聖王。儒家が理想とする。
- 当世(とうせい):今の世の中。現代。
- 五蠹(ごと):国をむしばむ五種類の害虫。韓非子が批判した儒学者などを指す。
背景知識:守株(しゅしゅ)・株を守る
出典は『韓非子』五蠹篇。韓非子は、戦国時代の法家の思想家で、君主の権力、法、策略による統治を重視した。儒家の徳治主義を、現実離れしていると厳しく批判した。この話は、古い慣習や過去の成功例に固執し、時代の変化に対応できない愚かさを批判するための寓話である。ここから、古いやり方に固執して進歩がないことのたとえとして「守株」「株を守る」という故事成語が生まれた。韓非子は、儒家が理想とする「先王の政治」も、現代においては「守株」と同じくらい愚かなことだと断じている。