116(『荘子』人間世 より 無用の用)
本文
匠石之斉、至于曲轅、見櫟社樹。…(中略)…弟子厭観之、走及匠石、曰、「自吾執斧斤以随夫子、未嘗見材如此其美也。先生不肯視、行不輟、何也。」曰、「已。勿言之矣。散木也。…(中略)…(1)是不材之木也。無所可用。故能若是之寿。」
匠石帰、櫟社樹見夢曰、「女将悪乎比予。若将比予於文木邪。夫柤梨橘柚、果実熟則剥、剥則辱。大枝折、小枝泄。(2)此以其能苦其生者也。故不終其天年而中道夭。…(中略)…予求無所可用、久矣。幾死、乃今得之。(3)為予大用。使予也而有用、且得有此大也邪。」
【書き下し文】
匠石(しょうせき)、斉(せい)に之(ゆ)き、曲轅(きょくえん)に至り、櫟社樹(れきしゃじゅ)を見る。…(中略)…弟子(ていし)、之を観て厭(あ)き、走りて匠石に及びて、曰く、「吾(われ)、斧斤(ふきん)を執(と)りて夫子(ふうし)に随(したが)ひしより、未(いま)だ嘗(かつ)て材の此(かく)の如(ごと)く其れ美なるを見ざるなり。先生、視(み)るを肯(がへん)ぜず、行きて輟めざるは、何ぞや。」と。曰く、「已(や)んぬ。之を言ふ勿(なか)れ。散木(さんぼく)なり。…(中略)…(1)是(こ)れ不材(ふざい)の木なり。用ふべき所無し。故に能(よ)く是(かく)の若(ごと)く寿(いのちなが)し。」と。
匠石帰る。櫟社樹、夢に見(あら)はれて曰く、「女(なんぢ)、将(まさ)に予(われ)を悪(いづく)にか比(ひ)せんとするか。若(なんぢ)、将に予を文木(ぶんぼく)に比せんとするか。夫(そ)の柤梨橘柚(そりきつゆう)は、果実熟すれば則ち剥(はが)され、剥さるれば則ち辱(はずかし)めらる。大枝(たいし)は折られ、小枝(しょうし)は泄(ひ)かる。(2)此れ其の能(のう)を以て其の生を苦しむる者なり。故に其の天年を終へずして中道にして夭(わかじに)す。…(中略)…予、用ゐらるる所無きを求むること、久し。幾(ほとん)ど死せんとして、乃(すなは)ち今之を得たり。(3)予の大用と為す。予をして有用ならしめば、且(まさ)に此の大なるを有(たも)つを得んや。」と。
【現代語訳】
石が家に帰ると、あのクヌギの神木が夢に現れて言った、「お前は私を何と比べようというのか。美しい模様のある(役に立つ)木と比べようとするのか。あのカリン、ナシ、タチバナ、ユズなどの木は、果実が熟すと皮をむかれ、むかれれば辱められる。大きな枝は折られ、小さな枝は引きちぎられる。(2)これは、その有用な能力によって、自らの生を苦しめている者たちだ。だから天寿を全うできずに途中で若死にする。…(中略)…私は、何の役にも立たない存在になることを、長い間求めてきたのだ。何度も(役に立つと見なされて)殺されそうになったが、今ようやくそれを手に入れた。(3)それが私にとっては、大いなる有用さなのだ。もし私が(お前たちの言う)役に立つ木であったなら、そもそもこれほど大きく成長することができただろうか、いや、できなかっただろう。」と。
【設問】
問1 傍線部(1)「是不材之木也。無所可用。故能若是之寿」という棟梁の言葉が示す、この木の長寿の理由とは何か。最も適当なものを次から選べ。
- 神木として人々に大切に祀られてきたから。
- 材質が悪く、木材としての人間の役に立たなかったから。
- あまりに巨大すぎて、人間には伐採することができなかったから。
- 生命力が非常に強く、どんな環境でも生き抜くことができたから。
【解答・解説】
正解:2
棟梁の石は、「不材の木(役に立たない木)」「用ふべき所無し(使い道がない)」という理由(原因)と、「故に能く是の若く寿し(だからこのように長生きできた)」という結果を、明確な因果関係で結びつけている。つまり、木材としての価値がなかったことこそが、人間に伐採されることなく長生きできた理由だと述べている。
問2 傍線部(2)「此以其能苦其生者也」という木の言葉の逆説的な意味として、最も適当なものを次から選べ。
- 優れた能力を持つ者は、その能力ゆえに、かえって自らを危険にさらし、生命を縮めることがある。
- 優れた能力を持つ者は、その能力を維持するために、絶え間ない苦しみを経験しなければならない。
- 優れた能力を持つ者は、その能力を他人のために使うことで、自らを犠牲にすることがある。
- 優れた能力を持つ者は、他者から嫉妬され、そのために苦しむことが多い。
【解答・解説】
正解:1
木は、果樹が「能(=果実を実らせる能力)」を持つことによって、人間に「剥され」「辱められ」「折られ」「泄かる」と述べている。これは、人間にとって有用な能力を持つことが、その木自身の「生を苦しめ」、天寿を全うさせない原因になっている、という逆説を示している。「役に立つ」ことが、かえって自らの命を危険にさらす、という荘子的な価値観の転倒がここにある。
問3 傍線部(3)「為予大用」とあるが、木にとっての「大用(大いなる有用性)」とは、具体的にどのようなことであったか。最も適当なものを次から選べ。
- 人間に伐採されることなく、自らの天寿を全うし、大きく成長すること。
- 神木として、人々の信仰を集め、精神的な支えとなること。
- 多くの鳥や獣たちのすみかとなり、生態系に貢献すること。
- 最終的に、人間には理解できない、宇宙的な目的を果たすこと。
【解答・解説】
正解:1
木は、「無所可用(役に立たないこと)」を長い間求めた結果、「幾死(何度も死にそうになりながら)」、ついに「此の大なるを有つを得ん(この大きさを保つことができた)」と述べている。つまり、木にとっての「大用」とは、人間の役に立つことではなく、人間に利用されることなく、自然のままに生き続け、大きく成長するという、生命体としての目的を達成することそのものである。
【覚えておきたい知識】
重要単語
- 匠石(しょうせき):大工の石(せき)さん、というほどの意。
- 櫟社樹(れきしゃじゅ):土地神を祀る神木であるクヌギの木。
- 囲(い):両腕を広げて抱える長さ。太さの単位。
- 仞(じん):古代の長さの単位。七尺または八尺。
- 輟(や)む:やめる、中止する。
- 厭(あ)く:満足する、飽きるほど十分に見る。
- 散木(さんぼく):役に立たない木。
- 不材(ふざい):役に立たないこと。才能がないこと。
- 文木(ぶんぼく):木目が美しい、役に立つ木材。
- 天年(てんねん):天から与えられた寿命。
- 夭(よう)す:若死にする。
- 大用(たいよう):大きな有用性。
背景知識:無用の用(むようのよう)
出典は『荘子』人間世篇。荘子は、人為的な価値観や常識に縛られず、自然のままに生きること(無為自然)を理想とした道家の思想家。この「無用の用」という考え方は、その思想の根幹をなすものの一つである。人間社会の基準で「役に立つ」とされるものは、かえってその能力ゆえに利用され、傷つけられ、本来の生命を全うできない。一方で、「役に立たない」と見なされるものは、誰からも干渉されずに、ありのままの生命を全うできる。常識的な価値観を転倒させ、物事の本質を問い直す、荘子らしい逆説的な思考が示されている。