114(『史記』蘇秦列伝 より 鶏口牛後)

本文

(蘇秦説韓王曰)「韓地方九百余里、帯甲数十万。天下之彊弓・勁弩・利剣、皆従韓出。…(中略)…夫以韓之彊、大王之賢、而西面事秦、称臣而朝、天下必笑王。
是故願大王之熟計之。臣聞、『(1)寧為鶏口、無為牛後。』今西面事秦、大王之与牛後、何以異。」
(2)韓王忿然作色、攘臂按剣、仰天太息曰、「寡人雖不肖、必不能事秦。」

【書き下し文】
(蘇秦(そしん)、韓王(かんおう)に説きて曰く)「韓は地方(ちほう)九百余里、帯甲(たいこう)数十万。天下の強弓(きょうきゅう)・勁弩(けいど)・利剣(りけん)は、皆(みな)韓より出(い)づ。…(中略)…夫(そ)れ韓の彊(きょう)と、大王の賢とを以て、西面(せいめん)して秦に事(つか)へ、臣と称して朝(ちょう)せば、天下、必ず王を笑はん。
是(こ)の故に大王の之を熟計(じゅっけい)せんことを願ふ。臣聞く、『(1)寧(むし)ろ鶏口(けいこう)と為(な)るも、牛後(ぎゅうご)と為(な)ること無(な)かれ。』と。今、西面して秦に事ふれば、大王の牛後たる、何以(なにをもっ)て異ならん。」と。
(2)韓王、忿然(ふんぜん)として色(いろ)を作(な)し、臂(ひぢ)を攘(はら)ひ剣に按(あん)じ、天を仰ぎて太息(たいそく)して曰く、「寡人(かじん)、不肖(ふしょう)なりと雖(いへど)も、必ず秦に事ふること能(あた)はじ。」と。

【現代語訳】
(合従策を説く蘇秦が、韓の王に説いて言った)「韓の国は領地が九百里四方に及び、武装した兵士は数十万を数えます。天下の強弓、勁弩、鋭い剣は、みな韓の国から産出されます。…(中略)…そもそも、これほどの韓の国の強さと、大王の賢明さをお持ちでありながら、西を向いて秦に仕え、自ら家来と称して秦の朝廷に出向くようなことがあれば、天下の人々は、必ずや王のことを笑うでしょう。
ですから、大王がこのことをよくお考えになるよう願っております。私が聞いておりますことわざに、『(1)いっそ鶏のくちばしとなっても、牛の尻にはなるな。』とあります。今、西を向いて秦に仕えるならば、大王が牛の尻であるのと、何の変わりがありましょうか(いや、全く同じです)。」と。
(2)韓王は、かっとなって顔色を変え、腕まくりをして剣の柄に手をかけ、天を仰いで大きくため息をついて言った、「私は不徳者ではあるが、断じて秦に仕えることはできない。」と。

【設問】

問1 傍線部(1)「寧為鶏口、無為牛後」ということわざが説く価値観として、最も適当なものを次から選べ。

  1. 大きな組織に属して安定を得るよりも、小さくても独立した組織の長となる方が良い。
  2. 強大な力を持つ者に従うことで、自らの安全を確保するのが最も賢明である。
  3. 鶏のように小さな利益を追い求めるよりも、牛のように大きな目標を目指すべきである。
  4. 先頭に立って危険を冒すよりも、最後尾で安全を確保する方が賢い生き方である。
【解答・解説】

正解:1

「鶏口」は、小さくとも自分の意志で動かせる鶏の「くちばし」、すなわち小国の独立した君主をたとえる。「牛後」は、大きくても他人に従うしかない牛の「尻」、すなわち大国に支配される家来の立場をたとえる。「寧ろAと為るも、Bと為ること無かれ」は、「たとえAであっても、Bにはなるな」という選択を示す句形である。したがって、このことわざは、たとえ小国であっても、独立した主権者であることの方が、大国の属国となるよりはるかに良い、という価値観を示している。

問2 蘇秦が、韓王のプライドを刺激するために用いた表現として、本文に該当しないものを次から選べ。

  1. 韓の国力と大王の賢明さを、最大限に褒め称えたこと。
  2. もし秦に仕えれば、「天下が王を笑うだろう」と指摘したこと。
  3. 秦に仕える王の姿を、屈辱的な「牛後」にたとえたこと。
  4. 秦に仕えなければ、「後の禍ひ必ず至らん」と脅したこと。
【解答・解説】

正解:4

選択肢1、2、3は、いずれも蘇秦が韓王の自尊心に訴えかけるために用いた巧みな弁論術である。しかし、選択肢4は、別の場面(『史記』蘇秦列伝の、より詳細な記述)で、秦に土地を割譲し続けた場合の危険性を述べた部分であり、この抜粋部分ではプライドを刺激する目的で「脅す」表現は直接的には用いられていない。むしろ、この場面では一貫して「名誉」や「恥」に焦点を当てて説得している。

問3 傍線部(2)の韓王の一連の行動は、彼の心がどのように動いたことを示しているか。最も適当なものを次から選べ。

  1. 蘇秦の言葉に感銘を受け、感動のあまり身震いしている。
  2. 蘇秦の言葉でプライドを傷つけられ、その怒りを合従への決意に変えている。
  3. 蘇秦の言葉を嘘だと見抜き、激しく反論しようとしている。
  4. 蘇秦の言葉の真意を測りかね、激しく動揺している。
【解答・解説】

正解:2

「忿然として色を作す」は、かっとなって顔色が変わる様子であり、強い怒りを示している。これは、蘇秦に「牛後」とまで言われ、秦に仕えることの屈辱を突きつけられたことに対する、プライドの表れである。そして、その激しい感情は、ただ蘇秦に向けられるだけでなく、「必ず秦に事ふること能はず」という、秦への反抗と合従への参加という、明確な政治的決断へと昇華されている。

【覚えておきたい知識】

重要単語

背景知識:鶏口牛後(けいこうぎゅうご)

出典は『戦国策』韓策(『史記』蘇秦列伝にも類話あり)。戦国時代、強大な秦に対抗するため、蘇秦が韓・魏・趙・燕・斉・楚の六国を説いて南北の同盟(合従策)を結ばせようとした際の逸話。これは韓王を説得した場面である。この故事から、「大きな集団や組織の末端にいるよりも、たとえ小さくともその長となる方がよい」という意味の「鶏口となるも牛後となるなかれ」、略して「鶏口牛後」という言葉が生まれた。独立や自主性を重んじる気概を示す際に用いられる。

レベル:共通テスト標準|更新:2025-07-26|問題番号:114