113(『孟子』梁恵王上 より 五十歩百歩)

本文

梁恵王曰、「寡人之於国也、尽心焉耳矣。河内凶、則移其民於河東、移其粟於河内。河東凶亦然。察隣国之政、無如寡人之用心者。隣国之民不加少、寡人之民不加多、何也。」
孟子対曰、「王好戦。請以戦喻。填然鼓之、兵刃既接、棄甲曳兵而走。或百歩而後止、或五十歩而後止。(1)以五十歩笑百歩、則何如。」曰、「不可。(2)直不百歩耳。是亦走也。」曰、「王如知此、則無望民之多於隣国也。不違農時、穀不可勝食也。数罟不入洿池、魚鼈不可勝食也。斧斤以時入山林、材木不可勝用也。穀与魚鼈不可勝食、材木不可勝用、是使民養生喪死無憾也。(3)養生喪死無憾、王道之始也。」

【書き下し文】
梁(りょう)の恵王(けいおう)曰く、「寡人(かじん)の国に於(お)けるや、心を尽くせるのみ。河内(かだい)凶(きょう)なれば、則(すなは)ち其(そ)の民を河東(かとう)に移し、其の粟(ぞく)を河内に移す。河東凶なれば亦(ま)た然(しか)り。隣国(りんごく)の政(まつりごと)を察(さっ)するに、寡人の心を用うるがごとき者無し。隣国の民、加(ますま)す少(すく)なくならず、寡人の民、加す多くならざるは、何(なん)ぞや。」と。
孟子(もうし)対(こた)へて曰く、「王、戦ひを好む。請(こ)ふ、戦ひを以(もっ)て喩(たと)へん。填然(てんぜん)として之(これ)を鼓(こ)し、兵刃(へいじん)既に接(せっ)するに、甲(こう)を棄(す)て兵を曳(ひ)きて走(に)ぐ。或(ある)いは百歩にして後に止(や)み、或いは五十歩にして後に止む。(1)五十歩を以て百歩を笑はば、則ち何如(いかん)。」と。曰く、「不可(ふか)なり。(2)直(た)だ百歩ならざるのみ。是(こ)れも亦走れるなり。」と。曰く、「王、如(も)し此(これ)を知らば、則ち民の隣国より多からんことを望むこと無かれ。農時(のうじ)に違(たが)はずんば、穀(こく)は勝(あ)げて食(くら)ふべからざるなり。数罟(さくこ)を洿池(おち)に入(い)れずんば、魚鼈(ぎょべつ)は勝げて食ふべからざるなり。斧斤(ふきん)を時を以て山林(さんりん)に入らしむれば、材木は勝げて用ふべからざるなり。穀と魚鼈と勝げて食ふべからず、材木勝げて用ふべからずんば、是(こ)れ民をして生を養ひ死を喪(とむら)ふに憾(うら)み無からしむるなり。(3)生を養ひ死を喪ふに憾み無からしむるは、王道(おうどう)の始めなり。」と。

【現代語訳】
梁の恵王が言った、「私は国に対して、心を尽くしている。河内地方が凶作になれば、そこの民を河東地方に移住させ、河東の穀物を河内へ運んでやる。河東が凶作のときもまた同様だ。隣国の政治を観察してみても、私ほど人民のために心を用いている者はいない。それなのに、隣国の民が特に減るでもなく、私の国の民が特に増えるでもないのは、なぜだろうか。」
孟子が答えて言った、「王は戦争がお好きです。どうか戦争でたとえさせてください。どんと太鼓を鳴らして合戦となり、いざ敵と刃を交えるという時になって、鎧を脱ぎ捨て武器を引きずって逃げ出す兵士がいたとします。ある者は百歩逃げてから止まり、ある者は五十歩逃げてから止まりました。(1)この五十歩逃げた者が、百歩逃げた者を臆病だと笑ったとしたら、どうでしょうか。」と。恵王は言った、「それはだめだ。(2)ただ百歩ではなかったというだけのこと。これも同じく逃げたのだ。」と。孟子は言った、「王がもしその道理をお分かりならば、民が隣国より多くなることなどお望みになるべきではありません。農作業の時期を妨げなければ、穀物は食べきれないほど実るでしょう。細かい網を池に入れさせなければ、魚や亀は食べきれないほど増えるでしょう。季節に合わせて木を切らせれば、材木は使いきれないほどになるでしょう。穀物や魚やすっぽんが食べきれず、材木が使いきれないようになれば、これは民が生きている者を養い、死んだ者を弔うのに何の心残りもないようにさせる政治です。(3)民に生きる上でも死を送る上でも心残りがないようにさせること、これこそが王道政治の第一歩なのです。」と。

【設問】

問1 孟子が、恵王の政治に関する問いに対し、傍線部(1)「以五十歩笑百歩、則何如」と、全く関係のない戦争のたとえ話から始めたのはなぜか。その意図として最も適当なものを次から選べ。

  1. まず王の得意な「戦」の話をすることで、王の興味を引きつけ、聞く耳を持たせるため。
  2. 直接的に王の政治を批判するのを避け、王自身にたとえ話から類推させ、自らの誤りを悟らせるため。
  3. 王の政治がいかに戦好きで民を苦しめているかを、遠回しに非難するため。
  4. 政治と戦争がいかに密接に関係しているかを、まず王に理解させるため。
【解答・解説】

正解:2

恵王は「自分は誰よりも良い政治をしている」と自負している。それに対し、孟子が正面から「あなたの政治も隣国と大差ありません」と批判すれば、王はプライドを傷つけられ、反発するだけだろう。そこで孟子は、まず全く別の「戦」のたとえ話を持ち出し、王自身の口から「五十歩も百歩も、逃げたことには変わりない」という結論を言わせた。これにより、王は客観的な道理を自ら認めることになり、その後の孟子の本論(王の政治批判)を受け入れやすくなる。これは、相手を直接否定せず、自ら気づきを促す、儒家らしい巧みな説得術である。

問2 傍線部(2)「直不百歩耳。是亦走也」という恵王の答えは、物事のどのような側面を的確に捉えているか。最も適当なものを次から選べ。

  1. 程度の差や量の違い。
  2. 行動の動機や原因。
  3. 物事の本質的な共通点。
  4. 結果の重大さや影響。
【解答・解説】

正解:3

五十歩と百歩には、「五十歩ぶんの距離」という程度の差はある。しかし、恵王は「是れも亦走れるなり(これも同じく逃げたのだ)」と述べ、兵士として戦うべき場で「戦わずに逃げた」という本質的な部分では、両者に何の違いもないことを見抜いている。この「物事の本質を見抜く」点が、孟子が王に気づかせたかったことであった。

問3 傍線部(3)「養生喪死無憾、王道之始也」で孟子が説く「王道」の根本とは何か。最も適当なものを次から選べ。

  1. 民衆の生命と財産を、外敵の侵略から守ること。
  2. 民衆に道徳教育を施し、精神的に豊かな生活を送らせること。
  3. 民衆が自らの生産活動によって、安定した生活を送れるような環境を整えること。
  4. 凶作や災害の際に、迅速な救済措置をとること。
【解答・解説】

正解:3

孟子が挙げる「王道」の具体策は、「農時を妨げない」「細かい網で稚魚を取り尽くさない」「季節構わず木を切らない」という、農業・漁業・林業といった生産活動の基盤を守ることである。これにより、民が自らの手で生活を成り立たせ、家族を養い、死者を弔うことに「憾み(心配事)」がないようにすることこそが、王道政治の第一歩だと説いている。恵王の政策(4)は、問題が起きた後の対症療法にすぎず、孟子は、問題が起きないようにする根本的な政策の重要性を主張している。

【覚えておきたい知識】

重要単語

背景知識:五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)

出典は儒教の経書の一つである『孟子』梁恵王上篇。孟子は戦国時代の儒学者で、孔子の思想を発展させ、特に「性善説」と「王道政治」を説いたことで知られる。この話は、梁(魏)の恵王の問いに対し、孟子が王道政治の根本を説いた場面である。ここから、「少しの違いはあっても、本質的には同じようなものである」という意味の故事成語「五十歩百歩」が生まれた。表面的な違いに惑わされず、物事の本質を見極めることの重要性を示す教訓として用いられる。

レベル:共通テスト標準|更新:2025-07-26|問題番号:113