112(『淮南子』人間訓 より 塞翁が馬)

本文

近塞上之人、有善術者。馬無故亡而入胡。(1)人皆弔之。其父曰、「此何遽不為福乎。」居数月、其馬将胡駿馬而帰。(2)人皆賀之。其父曰、「此何遽不能為禍乎。」家富良馬、其子好騎、堕而折其髀。人皆弔之。其父曰、「此何遽不為福乎。」居一年、胡人大入塞、丁壮者引弦而戦。近塞之人、死者十九。此独以跛之故、父子相保。故福之為禍、禍之為福、(3)化不可極、深不可測也。

【書き下し文】
塞上(さいじょう)に近きの人に、術(じゅつ)を善(よ)くする者有り。馬、故(ゆゑ)無くして亡(に)げて胡(こ)に入る。(1)人皆之を弔(ちょう)す。其の父(ちち)曰く、「此(こ)れ何(なん)ぞ遽(にはか)に福(ふく)と為(な)らざらんや。」と。居(を)ること数月(すうげつ)、其の馬、胡の駿馬(しゅんめ)を将(ひき)ゐて帰る。(2)人皆之を賀(が)す。其の父曰く、「此れ何ぞ遽かに禍(か)と為(な)る能(あた)はざらんや。」と。家、良馬(りょうば)に富む。其の子、騎(の)るを好み、堕(お)ちて其の髀(ひ)を折る。人皆之を弔す。其の父曰く、「此れ何ぞ遽かに福と為らざらんや。」と。居ること一年、胡人(こじん)大(おほ)いに塞に入る。丁壮(ていそう)なる者、弦(げん)を引きて戦ふ。塞に近きの人、死する者十に九。此(こ)れ独(ひと)り跛(は)の故を以て、父子(ふし)相(あひ)保つ。故に福の禍と為り、禍の福と為る、(3)化(か)は極(きは)む可(べ)からず、深きこと測(はか)る可からざるなり。

【現代語訳】
国境の砦の近くに、占術に優れた老人が住んでいた。ある時、その老人の馬が理由もなく逃げ出して、北方の異民族の地へ入ってしまった。(1)人々はみな、これを気の毒に思ってお見舞いを述べた。するとその父親(である老人)は言った、「このことがどうして福とならないと、どうして言えようか(いや、福になるかもしれない)。」と。数ヶ月経ったある日、その馬が胡の駿馬をたくさん引き連れて帰ってきた。(2)人々はみな、これをお祝いした。するとその父親は言った、「このことがどうして禍となれないことがあろうか(いや、禍になるかもしれない)。」と。家は良い馬で豊かになった。彼の息子は乗馬が好きで、(その駿馬に乗っていて)落馬し、股の骨を折ってしまった。人々はみな、これをお見舞いした。その父親はまた言った、「このことがどうして福とならないと、どうして言えようか。」と。一年後、胡の軍勢が砦に大挙して攻め込んできた。若く元気な男はみな、弓を引いて戦った。砦の近くの住民で、戦死した者は十人のうち九人にも及んだ。しかし、この息子だけは足が不自由だったために(兵役を免れ)、父子ともに無事でいられた。だから、幸運が不運となり、不運が幸運となる、(3)その変化は際限がなく、その奥深さは測り知ることができないのである。

【設問】

問1 傍線部(1)「人皆弔之」と傍線部(2)「人皆賀之」で描かれている「人々」の態度は、どのような人間心理の典型を示しているか。最も適当なものを次から選べ。

  1. 物事の表面的な吉凶に一喜一憂する、短絡的な心理。
  2. 他人の不幸を慰め、幸福を共に喜ぶ、共感的な心理。
  3. 自分に利害関係のない出来事には、無責任な態度をとる心理。
  4. 珍しい出来事が起こると、すぐに集まってきて騒ぎ立てる、野次馬的な心理。
【解答・解説】

正解:1

「人々」は、馬が逃げたという目先の出来事を見て「不幸だ」と判断し(弔)、馬が増えて帰ってきたという目先の出来事を見て「幸運だ」と判断している(賀)。しかし、その後の展開は、彼らの判断とは常に逆になっている。この対比によって、筆者は、物事の表面だけを見てすぐに吉凶を判断してしまう、一般的で短絡的な人間心理を描き出している。

問2 老人が、息子が落馬して骨を折るという不幸に見舞われた際にも、「此何遽不為福乎」と言えたのはなぜか。その根底にある思想として最も適当なものを次から選べ。

  1. 息子が助かるという未来を、占術によって予見していたから。
  2. 息子が骨を折ったのは、日頃の行いに対する当然の報いだと考えていたから。
  3. どのような不幸な出来事の中にも、必ず幸運につながる要素が含まれているはずだと信じていたから。
  4. 個人の不幸は、より大きな幸運の前触れに過ぎないという、達観した考えを持っていたから。
【解答・解説】

正解:4

老人の一貫した態度は、個別の出来事を「良い」「悪い」と断定しないことである。彼は、幸運は不運の、不運は幸運の始まりかもしれないという、物事の流転を深く理解している。したがって、息子が骨を折ったという不幸も、それ自体で完結した出来事ではなく、より大きな流れの一部であり、これがかえって幸運につながる可能性を常に視野に入れている。これは、物事の吉凶は人間の浅知恵では測れないとする、達観した思想である。

問3 傍線部(3)「化不可極、深不可測也」とは、どのようなことを述べているか。最も適当なものを次から選べ。

  1. 幸運と不運の変化は、人間の知恵では決して完全に理解することも予測することもできない。
  2. 幸運と不運の変化は、非常にゆっくりと進むため、その結果が分かるまでには長い時間がかかる。
  3. 幸運と不運の変化は、あまりに複雑な要因が絡み合っているため、分析することが不可能である。
  4. 幸運と不運は、どちらも極まることなく、際限なく繰り返されるものである。
【解答・解説】

正解:1

「化」は福と禍の移り変わりを指す。「極む可からず」はその変化の果てを見極めることができず、「測る可からず」はその深さを測ることができない、という意味である。これは、人生における幸不幸の流転は、人間の限定的な知性や尺度では、到底理解したり予測したりすることができない、という根本的な真理を述べている。

【覚えておきたい知識】

重要句法

重要単語

背景知識:人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)

出典は前漢の思想書『淮南子』人間訓。人生における幸運と不運は、予測がつかず、また常に変化しうるものであるという教え。安易に目の前の出来事に一喜一憂することの愚かさを説く。この故事は非常に有名で、ここから「塞翁が馬」または「人間万事塞翁が馬」ということわざが生まれた。単に「人生、何が起こるかわからない」という意味だけでなく、物事の本質を見極め、動じない心を持つことの重要性を示す深い教訓を含んでいる。

レベル:共通テスト基礎~標準|更新:2025-07-26|問題番号:112